第485話 穴の先の神
穴とは別世界への入口として昔話によく語られる。いいおじいさんが潜れば理想郷に辿り着き悪いおじいさんが真似して潜れば地獄に行くのは定番である。
このように古来より穴は異界への入口として期待と畏怖の対象であり、穴を覗き込むとき人は穴の向こうに己を投影する。
この酉祕島の山中に開いている穴がいつからあったのか知る者も記録もなく、もしかしたら島が出来たときから空いていたのかもしれない。誰も知らないほど古く、酉祕島を一望できる山頂近くに空いたこの穴の先に神がいると島民の信仰の対象となるのに時間は掛からなかった。
山頂付近に鬱蒼と生い茂る木々によって洞のようになっている場所があった。この場所に続く鳥居が連なる石段も木々に視界を遮られ下から見ただけでは分からない。
余所者では見付けられない隠された場所。それでいて雑草などは丁寧に取られていることから、島民によって大切にされていることが分かる。
霞が漂い身が引き締まる冷気が漂うに石段を登り切れば小さい神社の境内ほど開けた木々の洞の中央は黒く穿たれていた。大きさは大型の井戸くらいある円状、淵からは水が染み出ていた。木々の隙間から木漏れ日が差し込み暗くはないはずだが、昏く窺い知れない穴の底からは風が吹き上がり呻いていた。
穴の両脇には穴の上に棒などを掛けられるように赤い台座が設置され、その横には巫女装束を纏った島主の一族から選ばれた巫女が恭しく控えていた。
そこへ到る鳥居が連なる石段を屈強な男達が二本の棒を神輿のように担いで登ってくる。平行な二本の棒の間には裸にされた男がうつ伏せの状態で大の字にされ荒縄で括り付けられていた。
男達は祭りの神輿と違い威勢の良い掛け声もなく粛々と登ってくる。担がれる男は屈強な躰付きではあったが、裸に剥かれたその逞しい体は打撲や切り傷だらけであった。
上まで登り切ると男達は決して穴の底を覗き込まないように慎重に二本の棒を穴を跨いで両の台座に設置する。これで括り付けられた男は穴の上に置かれたことになる。
「くそっくそっ俺にこんな事しやがって、絶対に呪ってやる。この島に禍を呼んでやる」
男は顔を上げ前の前に立つ巫女に叫き散らす。
「散々島を襲って男を殺し食料と女を奪っていった悪党が吼えるな」
叫き散らす男に巫女がぴしゃりと言い放った。
運ばれてきた男はこの海域を荒らしていた海賊の頭目だったが、昨日嵐で船を島の裏側に避難させたところを島民に襲われ捕らえられたのだ。
部下の男達はその場で皆殺しにされ魚の餌にされたが、頭目はその強さが仇となって生き残ってしまい、禍を封じる意味でも島の神に捧げられることになった。
「黙れっ、弱肉強食が海の掟だ。俺が好きにして何が悪い」
「ならば、負けたお前は今は弱者だ。何をされても文句はないな」
「巫山戯るな俺を自由にしろっ」
海賊の頭目はあくまで強気で命令する。
「それを決めるのは我ではない。神だ。神の答え次第では自由にもなれよう。
さあ、お前は神に何を見る」
「神だと~」
馬鹿馬鹿しいという顔をしつつも、海賊の頭目は取り敢えず巫女が恭しく指し示す穴の先を覗き込む。
ぽっかりと地面に空いた穴。
日が差し込まない昏い穴。
見通すことが出来ないの昏い穴の先。
見えないが故に人はそこに己の内を投影し幻視する。
暫く小馬鹿にしていた海賊の頭目の顔が恐怖で染まっていく。
「辞めろ辞めろ。俺を引き釣り込もうとするな。お前等が弱いのがいけないだっ。裏切ったお前が悪い。他の男に色目なんか使うから」
襲って皆殺しにした商船の船員、その優秀さに己を脅かす存在になると恐れた部下、飽きて鬱陶しくなってきた愛人、昏い見通せない穴の底に海賊の頭目は己の心に僅かにあった良心を投影し、己が理不尽に命を奪った者達が浮かび上がってくる。
海賊の頭目は穴の深さに己の罪の深さを見る。
「改心する。罪を償う許してくれーーーーーーーーーーーーーー」
「神を見たようだな。
酉祕島の神よ。この島に仇為した海賊を捧げます」
巫女が告げ、巫女や周りにいた男達は恭しく頭を垂れて目を瞑る。
そして目を開け頭を上げたときには海賊の頭目を括り付けていた棒だけが残っていた。
穴に衣服を剥ぎ取られ素っ裸になった男女がそれぞれ二本の棒に括られ運ばれてきた。壮年の男は元島主、女はそのうら若い妻であった。
元島主は鬱憤晴らしに殴られたのか肌が痣で紫色に染まり、嫁は慰み者にされたのか股関節が外れ股間から血が滴り落ちていた。
「宋猪。よくも裏切ったな」
「これも島の為です」
元島主は待ち構えていた宋猪と呼ばれた男を睨み付けるが宋猪は涼しい顔で言う。
「よくもヌケヌケとぬかすっ。貴様本土の連中に誑かされたな。そうでなければお前のような卑怯者だが臆病者がこんな大それた事が出来るわけがない」
「なんとでも」
「頼む、宋猪。せめて妻だけでも助けてくれ」
元島主はもう自分のことは諦めているが妻のことを恥を忍んで嘆願する。
「一人残る方が可哀想ですよ。残ったところで後ろ盾も女なんて、島の男の慰み者になるしか道がない。だったら一緒に送ってやるのが情けというものでしょ」
「貴様ッ」
元島主が怒りで歯が潰れるほどの食い縛る。
「女も直ぐに送ってやる、先に行って待っているがいい。
まずは元島主様からだ」
宋猪が元を強調して命じると元島主は穴の上に設置された。
「己おのれ己、呪ってやる。散々島に尽くしてきた俺を欲に駆られて裏切った貴様等絶対に許さない」
「貴方のその独りよがりの正義がこの島を危うくしているのが分からないのですか」
怒る元島主に宋猪は恐れるどころか呆れ気味に溜息を吐く。
「なんだと」
「愚直でしたが元島主だった貴方に敬意を称して島の伝統と掟に従って見送って上げましょう。
貴方がしてきたことが正しく島の為だったというなら神が助けてくるかも知れませんよ」
これは明確な謀反、裏切り行為である。ある島民は不忠者と罵り、ある島民は島主一族の祟りを恐れる。こういった感情を残しておくと今後の島の統治に影響が出る。
だからこそ元島主を神に捧げ、神も元島主を助けなかったことで己の正当性を証明する必要がある。
例え茶番劇でも人はこういった儀式で納得する。誰しも心に闇を抱えたままにしたくないもの。
「さあ貴方は神に何を見ますか?」
元島主は昏い穴の底を怒りに満ちた目で睨み付けた。
戦ってきた島を脅かす外敵と。
戦ってきた島を食い物にするため権力を握ろうとする内敵と。
時には理不尽なことをしたかも知れないが全ては島の発展の為、島民の生活向上の為、幸せの為、私心無く島に尽くしてきた。
なのに最後はその島民に裏切られた。
燃えろ。燃えてしまえ。己の献身に唾賭けた者達は全てが灰となるまで燃えろ。灰となっても燃やされ続け苦しみ続けろ。
元島主は穴の深さに己の底の見ない怒りを投影し、地獄の業火を見た。
「燃えろ地獄の業火に焼かれるがいい」
「それが貴方の本心でしたか、やはり貴方は島に仇為す者だったようですね。
酉祕島の神よ。ここに島に禍為す者を捧げます」
島民達が黙祷を捧げ、目を開けたときには棒だけが残っていた。
「さて貴方も愛する夫の元に直ぐに送って差し上げましょう」
妻は穴の深さに先に行った夫を投影しつつ穴に呑まれていった。
裸に剥かれ一本の棒に狩られた鹿のように仰向けに手足を縛られ吊された少女が運ばれてきた。
少女はただの島民の子だった。だが島で不漁が続き飢饉に陥ったとき、島民は原因を求めた。そして巫女のお告げによって一人の少女が怨霊に魅入られたからだという宣託が下り。自分の身内を選ばれたくないといち早く防衛に動いた者達によって少女が選ばれた。
少女の家族はその場で撲殺され、少女は穢れを祓うため島の神に捧げられる。
少女は仰向けに吊されたまま穴の上に置かれる。流石に何の罪も無い少女に穴を見せるのは可哀想と思ったのかも知れない。生け贄を押しつけた者達にも僅かに良心があったのかも知れないが、そんなことここまで追い込まれた少女にはもうどうでも良いことだった。
「島の神よ。今ここに穢れた者を捧げます」
哀れな生け贄が穴の上に設置されるのを確認すると巫女が恭しく口を開く。
縄は解け少女は墜ちていく。穴に墜ちていく少女は見上げる穴に何を投影したか。
罪人、権力争いに敗れた敗者、口減らしに選ばれたもの、飢饉に際した生け贄。
島民は島の不都合、暗部、ゆがみを神に捧げることで社会を保ってきた。数多の人々が穴の先に何かを見ていった。
これらは何もこの島特有なものでは無い。一見長閑そうなこの島でも人間社会でよくあることが当然のように行われていただけのこと。
水に包まれぐいっと穴に引っ張られた。
足裏からの感触が消え穴の上に浮いた俺は穴を見る。
無数の人々が神を見てきたこの穴の先に俺は何を見る?
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