第483話 泥棒猫

 めり込む肘に神狩は体をくの字に曲げる。すかさず足を払ってやると面白いように神狩は地面に背中を打った。

 一瞬息が詰まって動きが止まった神狩から俺は悠々とマウントを取る。

「大丈夫?」

「君が言うか」

 馬乗りになった俺を見上げながら神狩は苦しそうに言う。

 皮肉が言えるあたり大丈夫そうだな。

「本当ならここで追撃しているところよ。

 先生が弱くて良かった。おかげで加減が出来たわ」

 正直俺が加減できる余裕がある相手なんて退魔官になってから初めてじゃないか?

「慣れないことはするものじゃないな。それで私をどうする積もりだ?」

 神狩はもう抵抗する意思はないことを示すために両腕を地面に広げてみせた。

「そんな怖い顔しないで、私は先生と仲良くしたいの」

「殴っておいてか?」

「この程度男と女の肉体コミュニケーションよ。

 それに銃で女を脅したのは先生が先じゃなかったかしら。銃じゃなくて美味しいお酒と肴で誘って下されば幾らでもしゃべりましたのに」

「女性との会話は逃げてでね」

 仕事のように何か目的がある会話以外が苦手、意味の無い会話は苦手であり意義を見いだせないタイプ、つまり俺と同じ同族だ。

「その気持ち分かりますわ。ですからここからは有意義な会話をしましょう。

 私、先生に協力して欲しいことがあるの聞いて下さるかしら?」

 先程までなら立場は圧倒的に神狩が上なので女の武器を使ったお願いしか出来なかったが、暴力で立場を対等に持って来れた。そうあくまで対等、優位に立ったと思い違いしたら痛い目に合う。

「なんだ。聞くだけ聞こう」

 神狩もそれが分かっているのだろう変に謙ったりしたい。

「私の装備一式を探してちょうだい」

「銃ならそこに落ちているぞ」

 神狩が視線を向けた先には神狩が転倒した拍子に落ちて転がった銃があった。

 武器をこうもあっさり失うとは神狩はやはり戦闘の素人だな。だが銃を扱うことに躊躇いはなかった。戦闘の素人でも戦闘と無縁の一般人ではない。

「当然銃も返して貰うけど、それ以外にも重要なものがあったはずなのよ」

 あの日俺は表の身分用の警察手帳とスマフォを持っていたはず。警察手帳には俺の男の時の写真が貼ってあるので却って誤解を招く可能性があるが、そこはうまくごまかしたとして、警察手帳とスマフォは本土に戻ったときに威力を発揮する。

「まどろっこしいのは嫌いと言ったぞ。端的に何なのか言え」

 神狩ははぐらかす俺にさぐりを入れようともしない、単刀直入に切り込んで来る。

 こういう態度嫌いじゃないが今は味方じゃない。多分本当に知らないような気がするが、もう少し駆け引きをして情報を引き出したいところだな。

「早漏は女性に嫌われるわよ」

「興味ないな」

「あらま。でもまずは先生が協力してくれるという確約が欲しいな~」

「ふんっどうしろと。契約書でも書くのか?」

「そうね~先生の、この島の秘密でも教えて貰おうかしら。その上で私に協力することが先生にとっても損じゃないことを教えて上げる」

「取引には、少し弱いな。」

「なら、成功の暁にはおっぱいでも揉ませてあげようかしら。それなら・・・」

 何だかんだで男は性欲に弱い。俺は挑発するようにたわわに膨らんだ胸を神狩の頭上で揉みながら言う。

「きさまーーーーーーーーーーーーーーーーー何をしている」

「えっ」

 声の方を見れば鬼の形相の淺香が猛然と此方に向かってくる。

 神狩の迎えにでも来たのかタイミングが悪い。ただでさえ誘惑していると警戒されているのにこの体勢では誤解されてもしょうが無い。

 まあ素人の女一人くらいいざとなれば神狩同様制圧してしまえば・・・。

「えっ!?」

 甘く見た報いとでも言うように、あっという間に淺香は目前、眼前にはぐんと槍の如く伸びてくる前蹴りが襲い掛かってくる。

 咄嗟にクロスガードしたがそのまま吹っ飛ばされ地面を転がる。俺に立ち上がる余裕を与えまいと淺香は間髪入れず駆け寄りマウントを取ろうと覆い被さってくる。

 マウントを取られたら殺される。

 死への恐怖で反射で両足で淺香の肩を押し止めた。

「なっ!?」

 押さえた足を伸ばして払い除けようとするが逆に力に押され足の膝が曲がっていく。神狩との戦いで楽をしたツケを払わされているようだ。

 細身の女の力じゃない。ゴリラとでも戦っているのか俺は?

 力じゃ敵わないと察した俺は直ぐさま淺香の衿を取って巴投げ。これには淺香も虚を突かれたようであっさり投げ飛ばされた。

「お前何者だ? ただの助手じゃないな」

 俺は素早く立ち上がると淺香から距離を取りつつ尋ねる。

 正直この女俺より強い。シンプルに力が強い。奇策が上手くいったが次からは油断しないだろう。この女神狩のただの助手だと思っていたが、本職は護衛だったのか? そもそもあの膂力はどうなっているんだ。

「黙れっ泥棒猫が」

 敵意いや殺意が剥き出しで俺を威圧する。

 この女最初から敵意剥き出しだったがついに殺意にまで昇華した。別に神狩を取りはしないというのに、いや違う、もっと違う理由がある。俺は女、神狩が俺を着替えさせたとは思えない。あの診療所には女の助手は此奴だけ。

 何か見えてきたな。それを確かめるためにもなんとしてもこの窮地を脱しなくては。  ジリジリ

 淺香は俺を警戒するに値すると見なしたのか俺を見定めつつ摺り足で寄せてくる。

 プレッシャーに背中が焦げ付き汗が滲み出る。

 ここでプレッシャーに負けて迂闊に背中を見せたりしようものなら肉食獣の如く一気に襲い掛かってくる。

 だからと言ってこのまま間合いを詰められても終わりだ。次の油断しない淺香の攻撃をうまくいなせるとは思えない。いなせたとしても次か次くらいの攻防で捕まりボコボコに撲殺される。

 一か八かと覚悟を決めようとしたときカミカゼが吹いた。

 火事が広がっているのか風と共に煙が運ばれてきて辺り一面を覆ったのだ。

 そんなに濃い煙じゃないが、元々月明かりが頼りのくらい視界。この程度で視界を塞ぐには十分だった。俺は考えるより先に一目散に森に向かって走り出していた。

「待てっ」

 淺香が怒鳴るがそれで待つ馬鹿はいない。

 俺は森に飛び込む。踏み潰された草木が逆襲とばかりに襲い掛かってくるが構わず突っ切って森の奥へと走って行く。

 走れ走れ。

 何処に向かって走っているか分からないが捕まったら終わりだ。

 淺香への恐怖からこの俺が考え無しに逃げていく。そんな俺の思考の空白、洗脳するには最適なタイミングで声が掛かった。

「こっちだ」

 俺は悪魔と契約する気分で声の導きに従うのであった。

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