第480話 父性?母性?

 診療所に帰ってきて、まずみぞれの病室に行く。ノックをして病室に入るとみぞれは本を読んでいた。

 そうかこの娘には本という手があるのか。雑貨屋に売っていただろうか?

「夢乃さん」

 みぞれは顔を上げ俺に気付くと弾けるような笑顔を向けてくれる。この笑顔を見ると何が何でも守ってあげたくなる。

 俺は時雨との恋が成就する前に父性、今なら母性が先に目覚めてしまったのかも知れない。それだけに港で一乃葉に言われた言葉も思い出される。

 いや今は雑念は捨てろ。仕事を完遂させることに集中だ。そうで無ければ後もない。

「どう体調は良くなった?」

「はい。自分ではもう平気だと思うんですけど、先生は後5日は病室で大人しくしてなさいって、過保護すぎません」

 みぞれは唇を尖らせながら不満を言う。

 どちらかというと大人しめのみぞれがこんな風に拗ねた顔を見せて文句を言うなんて神狩には懐いてい心を許しているんだな。だが神狩の真意には気付いていないようだ。

 まあ敢えてこの歳で悪意に晒されることも無い。知らない方が幸せなこともある。

 俺も癪だが神狩の思惑に乗らせて貰おう。 

 もし大華や翔君が見舞いに来たらみぞれが容疑者にされていることは言わないように口止めしとかないとな。

「どうしました?」

 黙り込んだ俺を訝しんだみぞれが心配そうに聞いてくる。

「ううんなんでも、みぞれちゃんは本が好きなんだね」

「はい」

「私も好きよ。どんな本を読んでいるの?」

「この本はですね」

 信じられないことに俺とみぞれと本の話をして盛り上がった、幾らでも話していたいし話していられそうなほどだ。だがこの幸せに浸っているわけには訳にはいかない。この笑顔を守る為にも俺は泥に塗れて汚れなければならない。

「じゃあ、私はそろそろお暇するね」

「夢乃さんと話が出来て楽しかったです。明日も来てくれますか」

 みぞれは子犬のように甘えて縋るような目を向けてくるので離れがたくなってしまう、いっそ添い寝をしてあげたくなるが、そうもいかない。

「当然よ。

 後これお土産」

 俺はみぞれの前に買ってきた土産を置いていく。

「将棋にトランプ。今度一緒に遊びましょ」

「はい。楽しみにしてます」

「後はプラモデル。意外と息抜きになるわよ」

「そっそうですね。今度挑戦してみます」

 目の前に置かれた戦車のプラモにみぞれはなんとも言えない顔になる。

 やっぱ女の子に戦車のプラモは無かったか。

「じゃあ、また明日」

「また明日」

 俺はみぞれの病室を出ると、その足でそのまま神狩を訪ねる。

「一応帰ったわよ」

 神狩は部屋で何やらパソコンに向かって書類仕事をしていた。カルテでもまとめているのだろうか?

「捜査はどうだったかね」

「順調よ」

「それは良かった。丁度時間だし、食事でもしながら色々と聞かせて貰おうかな」

「いいわね」

 二人で食堂に行くと淺香が食堂で夕飯の準備をしていた。俺をチラッと見て顔を一瞬顰めたか淺香は無言で俺の分も追加で用意する。

 なんか毒でも入れられてそうで怖い。

「島を巡ってみてどうだったかね?」

 3人で同じテーブルに着くと神狩がまず当たり障り無いことから尋ねてくる。こんな仏頂面なのに結構気を遣うんだな。

「何も無い島ね。こんな何も無い島で、あなたみたいな人が大人しくしているのが不思議だわ」

「随分な言い草だな」

 俺の軽い挑発を軽く神狩は流す。

「あら人を見る目はある積もりよ。

 明らかにオーバースペック。本土で何かやらかしたの?」

「先生に対して失礼だぞ」

 淺香が怒ったように会話に横槍を入れてくる。

「や~ね~軽口じゃ無い。

 分かってるわよ。あなたが大人しく左遷なんかされるタマじゃ無いことくらい。何かあるんでしょこの島に」

「何のことかな」

 神狩の瞳の奥底に潜り込むように見据えてやるが、神狩は涼しい顔で味噌汁を啜る。

「この島には貴方の知的好奇心を満足させる何かがある」

 この男が単純に善意で島の医者をするわけないし、金で動く男でも無い。消去法的にそうなるが、それが何かまでかは分からない。情報が少なすぎる。

 だが、これほどの男が夢中になる物なら俺も興味が惹かれる。

「買い被りすぎだ」

「そうかしら。良かったら教えてくれないかしら。もしかしたら協力し合えるかもよ」

 本心からだった。何となくだが神狩とは男女で無くビジネスパートナーとして波長が合いそうな気がする。そして協力できるのなら金も権力も無い俺の取引材料にも成る。

 ビジネスパートナーより信頼できる関係は無い。

「君の方こそ何か秘密がありそうだが」

「あら先生私に興味が有るの?

 だったらそれこそ今夜二人っきりでゆっくりお酒でも飲みながら語り合いません」

 酒の力を借りればこの男でも口が軽くなるかも知れない。

「貴様っいい加減にしろ。この淫売が先生に近付くな」

 淺香が怒りを隠すこと無く俺に怒鳴りつける。

 別に神狩と男女の仲になる気はないんだがな~、邪推も良いところだ。

「お堅いのね。

 大丈夫取ったりしないから。体で無くて、ただ語り合いたいだけよ」

「貴様、先生が優しいからって図に乗ってると私が身の程を教えてあげましょうか」

 淺香からスンと怒りの表情が消えて此方を冷たく見据えてくる。

 本気で俺を殺す気か? 揶揄いすぎたか? 男女のもつれはいとも簡単にシリアスになり、何か切っ掛けがあれば修羅場になる。

 なんで俺が女と男を取り合わないといけなんだか。

「二人とも辞めないか」

 神狩が強めの口調で言う。

「すいません先生」

「ごめんなさい」

 別に俺が絡んだわけじゃ無いがここは謝っておく。

「私も君のことは気になる」

「先生」

 淺香がなんとも言えない顔になる。

「君はなぜか私と同じ臭いがする」

「似たもの同士って訳ね。

 さっきの話その気になったらいつでも話してね」

「考えておく。

 だがその前に事件の方はどうなっている?」

「順調よ。でもまだ捜査一日目よ。確信を持って言うには情報がまだ足りないわ」

 いよいよ本丸に切り込んできた神狩の質問に俺は淀みなく動揺無く平然と答える。

「本当かしら?」

 淺香が疑いの目を向けてくる。

「本当よ。

 出来れば生徒さんと話せれば、あっという間に真相に辿り着けるかもよ」

「それは許可できない」

「みぞれちゃんが冤罪になっても?」

「なら生徒と話させてもいいと思えるような根拠を示して欲しい。そうすれば私も考えよう」

 神狩もみぞれには甘いな。

「ふう~もう少し外堀を埋める必要がありそうね」

「時間は無い早くすることだな」

 その後は風呂を貸して貰う。

 湯船につかってまじまじと自分の体を観察する。

 男の時に鍛えていた影響か引き締まったからだ。女の優しく包み込むような柔らかい体というより女豹のように獲物を狙うかのような躰付き。並みの男なら互角に戦え、それでいて女を強調するように胸はある。淺香が神狩を取られると不安になるも分かる。

 自分が女だったらこうなりたいと思った願望が詰まったような体だ。

 つまりはそういうことなんだろうな。

 じっくりと自分お体を堪能した後に風呂を出ると、俺の一時的な部屋となった病室にある机でノートに色々と昼間調べたことをまとめ出す。

 ノートパソコンと違って書き間違えると簡単に直せないのがイラッとくる。それでも慣れてくると集中して仕事が進み出した頃何か外からざわつきを感じた。

 外に出ると月は紅に染まって天に輝いていた。

 暖炉の如く紅く月を照らしているのは森、森が燃えている。

 そして燃えているのはログハウスのあった辺りだった。


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