第472話 慟哭
焦る気持ちを抑えて慎重に走る。
元は道で土は均され固められていたが、長年放置され草に覆われている上に暗い森の中。焦って草に足を取られて怪我でもしたら本末転倒になる。本来なら足下をしっかり照らしてゆっくり歩いて行きたいくらいだ。
だが足下を照らせば行く先の所々の草が潰され汁がまだ乾いていないのが見える。おかげで思ったよりも走りやすいが、推測が裏付けられたようで気持ちが焦り出す。
焦りと慎重の鬩ぎ合いをしながら暫く走ると前方がぼやっと明るくなっているのが見えた。そのまま道形に走ると木々が切り払われ月明が降り注ぐ草原に建つログハウスが見えてきた。
「あそこね」
ログハウスは随分前に閉鎖されたとのことで窓の戸は閉められ、ここからでは中に人がいるかは窺い知れない。だがログハウスへと続く道を覆う草が踏み潰されている。直近で誰かがログハウスに向かったのは確かだ。
「大華さんはここで待機」
「ええっ」
俺は草原に入る手前で大華に命じる。
「我が儘は無しよ。
私達はチーム、貴方を認めているからこそ仕事を与えるのよ。大華さんはもし私達に何かあったら直ぐに診療所に戻って応援を呼んできて」
辺境の孤島。携帯など当然開通して無く。貴重な無線は期待されていない俺達には貸し与えられなかった。
今更だが、神狩に可愛くおねだりして強引に持ち出しして貰えば良かった。
「っでっでも」
「全滅を避けてバックアップを残すのはセオリーよ。バックアップがいるからこそ私達も突入できるの。これ以上子供みたいな事言うなら私は貴方を子供として扱うわよ」
「だったら私がお姉様に付いていって先生をここに残した方がいいんじゃない」
凄い自信だ。
子供の自分より神狩の方が弱いと思っている。
「ならなおさら貴方に残って貰うわ。いざとなったとき追っ手を振り切って診療所まで戻らないといけないのよ。私の命は貴方に懸かっているのよ」
「美佳ちゃん。先生も大人の男としての立場がある。ここは譲ってくれないか」
まあ大の大人の男がここに残って女子供を突入させるわけには行かないよな。体面が悪く面子も潰れる。今は先生とある程度尊敬されているようだが、確実にこの先この島での発言力が低下するだろう。
「はあ~しょうがないね。ここは先生に譲って上げる」
大華は溜息交じりに仕方ないと渋々納得したようだ。
「頼むわよ」
正直糞餓鬼は体格がいい。女の俺と典型的学者らしくヒョロガリの神狩では普通でも返り討ちに遭う可能性がある。いわんや相手が魔人となればその可能性は指数関数的に跳ね上がる。
俺はいざとなれば外に仲間がいることを躊躇無く駆け引きの材料にするだろう。本気で大華の役割は重要だ。
「でも先生、私いざとなったら躊躇わないわよ」
「ええ許可します」
大華はまるで人でも殺すかのように深刻な顔で告げ、神狩もまた重く頷く。
俺が立ち入れる雰囲気じゃ無いが、いざとなったら神狩を見捨てると宣言したということかな?
まあ初対面の俺と違ってそれなりに付き合いの長そうな神狩を心情的に簡単に見捨てられないだろうから、声に出して覚悟を決めたといったところか。以外と可愛いところもあるじゃ無いか。
「これで後顧の憂い無し。
先生行きましょう。出来れば奇襲したいので足音は殺して行きましょう」
「了解した」
俺と神狩は一度踏まれ潰された草の上を歩くことで出来るだけ音を立てないようにログハウスに近付いていく。
取り敢えず何事も無くドアの前までは来れた。ここまで接近すれば閉められた窓の戸の隙間から明かりが漏れているが確認できる。
確実に中に誰かがいる。
だが音は幾ら耳を澄ませても漏れてこない。
静かだ。
このログハウスの防音がそんなに優れているとは思えない。
激しい行為の後で疲れて寝入っているか待ち構えているのか。
中の様子を調べたいところだがマイクロスコープなどの装備は無い。下手に戸を外そうとしたら音で気付かれるだろう。
つくづく装備の重要さを思い知らされる。だが無いものはしょうが無い。覚悟を決めるしか無い。
俺はドアノブに手を掛け、神狩の方を向く。
神狩はゆっくりと頷く。
俺はドアを一気に開けると同時に踏み込み、さっと中を見渡し立日沢を探す。
視認次第走り寄って蹴り飛ばす。幾ら魔人だろうが魔を発動する前ならただの人間だ。
だが俺の足は止まってしまった。
「俺は間に合わなかったのか」
ログハウスに入った正面の壁には一糸纏わぬみぞれが逆さにされT字に磔されていた。
足を左右に限界まで広げられた状態で逆さにされ両手は真っ直ぐに伸ばされた状態で掌を合わせられている。
そして、両足首両掌が釘に貫かれ壁に打ち付けられている。
裸に剥かれ、無惨に性器を晒され、人間としての尊厳を踏み躙られただけで無く、悪魔の娘とでもいうのか逆に磔にされている。
これを床に転がっている立日沢がやったというのか?
立日沢も全裸で耳が引き千切られ顔から眼球が抉り取られていた。だが致命傷は180°回った首だろうな。
此奴もなかなかの末路だがみぞれにこんなマネをした奴だと思うと微塵も同情心が湧いてこなかった。
大華は別の意味で置いてきて正解だったな。子供にこんなものを見せられない。
「!」
磔にされているがみぞれの胸の薄い肉が上下するのが見えた。
生きている。
生きているならまだ何とでも成る。陵辱された記憶だろうが体だろうが俺が綺麗に直してみせる。
俺は涙ぐみながらもみぞれに駆け寄った。
そして近寄れば、みぞれが呼吸する音が聞こえる。呼吸する胸。
「良かった。良かったよ~生きていてくれた」
俺は感情のままに泣き崩れるのであった。
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