第470話 虫の知らせ

 何の虫の知らせか目が覚めた。

 窓からの月明かりのみの病室で俺は一人ベットで寝ていた。

 ぐるりと視線を巡らせても誰もいない。

 上体を起こし両の掌をグーパーするが痺れは感じない。

「私は夢乃 胡蝶」

 発音もきちんと出来る。

 脳の後遺症は無いようだな。今すぐにでも行動が起こせる。ならば直ぐに行動を起こすべきだが、なぜ俺は目覚めた?

 朧気だがみぞれと約束したことも覚えている。俺はみぞれが起こしに来るまで寝ていれば良かったはず。

 なのに起きた。

 何を察知した?

 これでも修羅場はそれなりに潜って磨かれている。その勘を気のせいだったと簡単に切り捨てていては生き残れない。

 追求すべきだ。少なくても気のせいだったと納得出来るまで追求すべきだ。

 もう一度部屋を見渡すが誰かが潜んでいる気配は無い。

 この部屋に危機は感じないのなら外か。

 ベットの横に置いてあったスリッパを履いて部屋を出ると廊下も非常灯が灯るだけで薄暗い。だがかえって耳は済まされ、言い争うような声が微かに響いてくるのに気付いた。

 取るに足らない痴話喧嘩かもしれないが、納得するためにも積極的に動いてどんな些細な情報でも仕入れるべきだろう。

 寸鉄持たぬ身の弱さを知ったばかりだ。足音を消して進みたいが京都にあるうぐいす張りの廊下のように歩くだけでギシギシと自己主張をしてしまう。

 ぼろさが防犯対策になっているのか?

 だからといって立ち止まる選択は無い。声の方に歩いて行くと薄暗い廊下の先で灯りが見えた。

 部屋と言うより広い空間に繋がっている感じで、ここまで来ればハッキリとそこから言い争いが聞こえてくる。

 壁に沿って近付き覗いてみると、広いロビーで神狩と知らない少女が言い争い、それを淺香が宥めているという状況だった。

 どうやら口論に夢中で俺の接近には気付いてないようである。

「通してよっ。みぞれを探しに行くんだから」

「駄目だ。こんな時間に一人で出歩くなんて危険だ」

「あんた達がみぞれを探しに行かないからでしょ」

 みぞれと同い年くらいだろうがツインテールを振り回す大立ち回りで大人の神狩に一歩も引かずに食い下がっている。引っ込み思案のみぞれとは対称的だな。

「探さないなんて言ってないでしょ。今別件で出払っている人達に連絡を取ってついでに探して貰うから」

 淺香が少女を宥める。

「ついでじゃ無くてみぞれを探しなさいよ。みぞれがこんな時間になっても寮に帰ってこないなんて絶対なんかあったんだから」

 みぞれちゃんが行方不明? さしずめ寮の友達が心配になってここまで様子を見に来たといったところなのか?

 兎に角、傍観をしている場合じゃ無くなったな。

「どうしたんですか?」

 俺は盗み聞きしていたことなど素知らぬ顔をして会話に入っていく。

「何っ、ああ、あんたが例の泥棒猫ね」

 少女は俺を一睨みすると吐き捨てるように言う。

 目鼻立ちがキリッとしていて黙っていれば可愛いだろうに、ギャンギャン吠えつく小型犬みたいで小憎たらしくなる。

 しかし、泥棒猫とは人生で初めて言われたな。俺がみぞれと仲がいいのが気に入らないようだな。まあこの年代の子供ならよくある心理だな。

「みぞれちゃんが寮に帰ってこないらしい」

 部外者の俺には隠すかと思ったが、神狩は素直に答えてくれた。

「立日沢はどうなりました?」

「総出で探している最中だ。そんなに大きな島じゃ無い、今日中には見つけ出せると思う」

 別件というのは糞餓鬼の探索か。

 確かに俺は糞餓鬼に殺され掛けたが、傍目には俺が勝手に倒れたようにしか見えなかったはず。魔の存在を知っていなければ殺人未遂とは思わない。

 こいつらは殺人未遂の魔人を追っているのか、みぞれちゃんに悪戯しようとしたケダモノを追っているのか。前者なら前提は大きく変わる。

 迂闊な発言は出来ないな。

 今はみぞれちゃんのことに注力しよう。

「そうですか。

 この島の地図ってありますか?」

「・・・っ、残念ながら無いが」

 俺の唐突な質問に神狩は妙な間を挟んで答える。

 本当にないのか、俺には見せられないのか。だがなあ今の時代NETに繋げられれば簡単な地図なんて簡単に手に入る、隠す意味は無いか。

 いや、この島NET に繋がるのか?

 まあいい。今は追求をしている場合じゃ無い。

「分かりました」

 俺はくるっと踵を返す。

「待て、何処に行くつもりだね」

「当然、みぞれちゃんを探しに行きます。

 ただその前に部屋に戻って着替えようと、あっ出来れば懐中電灯を貸して貰えるとありがたいですね」

 流石に寝間着姿で夜の森を徘徊するほど無謀じゃ無い。

「待て君は病み上がりだし、島の地理にも詳しくない。二重遭難になる」

「元々私はこの島にいない人間、私のことは気になさらずに」

 神狩が言っていることは至極合理的でいつもの俺なら納得したかもしれない。

「知ってしまった以上そういう訳には行かないんだよ。君の安否は私の責任になる。

 これ以上手間を増やさないでくれ」

 食い下がってくるのは責任感か何か知られたくない秘密がこの島にはあるのか、多少突いてみるか。

「そうですか。貴方なら揉み消すくらい簡単にできそうですけど」

「それは私の人間性を否定しているのかね」

 神狩から本気の怒気を感じる。この件に関しては純粋に俺の心配をしてくれているようだ。ぶっきらぼうで無愛想、人体実験でもしてそうな顔をしているくせに人は見かけによらないな。

「失礼しました。先生は見ず知らずの私を手当てしてくれた人ですものね。謝ります。

 ですがこれ以上の問答は必要ありません。

 今は私よりみぞれちゃんです。立日沢もいないとなると一刻を争うはずです」

「ぐっ、君はその事態を想定しているのか」

「当たり前じゃ無いですか。元々あの少年はみぞれちゃんに執着していました」

 それだけはさせてはいけない。俺のように心が壊れた人間を増やしてはいけない。

「だが先程も言ったが所員総出で探している。君が言う通りなら立日沢を探すことはみぞれちゃんを探すことにも成る」

「はい、その筋での捜索はお任せします。ですが私の勘が外れていて、みぞれちゃんは単なる事故に遭った可能性もあります。その場合立日沢は見つかってもみぞれちゃんはみつかりません。その最悪の結果を座して待っていられるほど私は忍耐強くないのです」

 捜索隊は立日沢が逃げ込みそうな場所を探していてみぞれが立ち寄りそうな場所じゃ無い。

「格好いい」

「えっ」

「格好いいですわ、お姉様。

 私、大華 実沙といいます。お姉様の名前は?」

 何この娘、ぐいぐい来るぞ。

「夢乃 胡蝶よ」

「何て綺麗な名前。不肖この実沙がお姉様に島の案内をしますわ」

「それは心強いわね。着替えてくるから懐中電灯を確保しておいて」

 一刻を争う状況だ、利用できる者は利用させて貰う。

「待てっ勝手なことはするな」

「五月蠅い」

 俺は指先を神狩の額に突き付けた。

「貴方の選択肢は二つ。黙って見送るか、一緒に来るか。

 それ以外は聞かないわ」

 俺は神狩の返事を待たず部屋に戻ろうとする。

 こういう理論的に責めるでもなく買収するわけでも無く、感情的に暴論を押し通して押し通せるのが美人のいいところだ。

「くっ、淺香君はここで所員の指揮を頼む」

「先生自ら動くことはありません。それなら私が」

 神狩が俺と一緒に行動するのが面白くないのか淺香が神狩を止めようとする。

 この女こそ内心俺のことを泥棒猫と思っているんだろうな。安心しろ、その気は全くないと伝えたいが伝えても信じないだろうな。

「こういった実務は君の方がうまい。一刻も早く立ち立日沢を見付ける必要がある」

「分かりました」

 苦虫を潰した顔で俺を睨みながら淺香は渋々言う。

「頼む。

 待ちなさい。私も一緒に行く」

 こうして三人でみぞれの捜索を行うことになったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る