第468話 純文学のように

隙間風が入ってきそうな板張りの部屋、窓際に白い花が一輪生けられている。他には何も無いような部屋の中央に置かれたベットの上には夢乃が寝ていた。

 健やかな呼吸に掛け布団の上からでも分かる胸の膨らみは規則正しく上下していて絶対安静の患者どころか安眠しているだけに見える。だがその横に座る朽草は一瞬でも目を離せば夢乃が消えてしまうとばかりに眠る夢乃を瞬きを忘れ見守っていた。

「もう遅い。帰りなさい」

「でも」

 そんな朽草を心配して神狩がぎこちない笑顔を作って優しく諭すが、朽草は離れがたいようだ。

「大丈夫。精密検査をしたが幸い血管はどこも切れていない。ゆっくり寝ていれば明日の朝には自然と目を覚ます」

 この廃校になった小学校を再利用したような木造平屋の診療所のどこにそんな最新鋭機器があるというのか神狩は自信たっぷりに言い切る。

「夢乃さんはいい人だったのに、私が案内したばっかりに・・・」

 朽草は俯き膝の上で手をぎゅっと握り締める。

 悪いのは90%立日沢で下手な挑発をした夢乃が10%、いや寧ろ夢乃が余計な横槍をしなければ朽草が嫌な思いをすることになるが、ここまでの大事には成らなかっただろう。

 だがそれだけに自分を助けたせいで夢乃がこうなってしまったと思ってしまう。

「そんなことはない。これは我々の管理ミスだ」

「それに私嬉しかったんです」

 心痛な顔で言う神狩に朽草は告解するように言う。

「嬉しかった?」

 神狩は一瞬夢乃がこんな目に合って朽草が喜んでいるのかと思ってしまった。

「助けて貰って嬉しかった、凄い嬉しかったんです。

 夢乃さんがこんな事になってしまったのに、私の所為で、私が不幸を呼ぶせいで、夢乃さんをこんな目に合わせてしまって・・・。

 どうして私は・・・」

 俯いた朽草から涙がポタポタ垂れ、それを飴細工のような白く滑らかな指が拭った。

「泣かないで、折角の可愛い顔が台無しよ」

 いつの間にか起きていた夢乃が微笑みながら朽草に言う。

「夢乃さんっ。

 御免なさい御免なさい」

 朽草は夢乃の胸に縋り付いて泣きながら謝る。

「大丈夫、私は強いもの。この程度はへっちゃらよ」

 夢乃は優しく泣きじゃくる朽草の頭を撫でながら一度は死を覚悟していたとは思えないほど軽く言う。死線を潜りすぎて感覚が麻痺してしまっているのか、朽草を心配させない為なのか、判断は難しい。

「っでもでも私の所為で・・・」

「明日島を観光したいな~。誰か優しい娘が案内してくれないかな~。

 ねっみぞれちゃん」

 夢乃は蹲っていた朽草の頭を自分に向けさせて明るくおねだりする。

「えっ、でも私と一緒じゃ・・・」

「え~私をそこにいる無愛想なオッサンに案内させる気、嫌よ」

 傍で成り行きを見守っている神狩は肩を竦める。

「可愛いみぞれちゃんがいいの。貴方がいいの」

「私が・・・」

 朽草にとっては求愛にも等しく、胸が熱くなるのを感じ、もう逆らえないと感じた。

「それとも私が嫌い?」

「そっそんなこと」

 朽草は慌てて否定する。

「ならお願いね。

 はい、指切りげんまん、嘘吐いたら押しかけちゃうぞ」

 夢乃は朽草と強引に指切りげんまんをする。

「もう分かりました。明日案内します」

 駄々っ子に呆れた母親のように朽草は言う。

「うん。

 ならみぞれちゃんももう帰りなさい。寝不足で私を楽しませることなんかできないぞ」

 夢乃は朽草のおでこを指でツンと押す。

「はい、帰って明日の朝また来ますね」

 泣き止んだ朽草は笑って返事をする。

「楽しみにしているわよ」

「楽しみにしていて下さい。

 先生、夢乃さんのことお願いします」

「任せておきたまえ」

 朽草の頼みに神狩は力強く返事をする。

「さようなら」

 朽草は部屋の出口できちんと夢乃と神狩の方に向いて頭を下げると帰って行った。

 朽草の足跡が玄関まで行ったのを確認して神狩は夢乃の方に向く。

「ふう~いつから起きていたんだ」

 神狩が夢乃に話し掛けたときには夢乃は再び眠りについていた。本当に朽草を慰めるためだけに起きたようであった。


 診療所を出て町にある寮に向かう朽草の足取りは軽かった。

 診療所から麓に三本に分かれている道、その内の島の町というか中心に通じている真ん中の道を行く。

 中心に通じている道とはいえ港に行く道を同じで森を抜けなければならなく、朽草は森に入っていく。

 獣が静かに息を潜める森が黄昏に染まっていき、木々の影が一人歩く朽草に伸びていく。

「ふふっ明日は一杯綺麗なところに案内したいな。そうだお弁当も作って上げたら喜ぶかな」

 朽草は明日夢乃を独り占めできる未来に頬が綻み、映画の一幕なら観客の目は釘付けになるだろう。

 この人を引きつける魅力は表裏一体、いいものも悪いものも引き寄せる。

 本人にはどうすることも出来ず、他人も目を向けずにはいられない。

 朽草の性格から察するに、今まであまりいいものは引き寄せなかったようである。

 だがこの誰もいない静寂に包まれた森なら誰に構うこと無く魅力を出せる。もはや獣すらはっと息の飲み眺めてしまう。

 微笑み軽くリズムを刻んだステップは舞踊を舞っているようであった。

 幸せそうな笑顔。

 鼻歌をくちずさもうとしたさんらんぼのようなピンクの唇

 ごつい無骨な掌でガバッと塞がれた。

 一瞬の出来事

 反射的に逃げようとした腰に丸太のような腕が回され腰と腕で万力のように挟み込まれる。

「んんん」

 朽草が恐怖に見開いた目で後ろを見ると獣欲に染まった立日沢だった。

 生臭い鼻息が朽草のうなじに吹き掛けられ朽草の全身に鳥肌が立つ。

 恐怖と嫌悪感で必死に暴れるが拘束が緩まるどころか、ますますそそり立つ腰が圧着してくる。

 助けを呼ぼううとすれば、開いた口にごつい岩のような指が触手のように侵入してきて舌を弄ぶ。

「お前は俺の肉穴だ」

 朽草は立日沢に深い森の闇にひきづられて行くのであった。

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