第467話 油断

 視界が赤く染まって体から意思が抜けてグラッと倒れていく。

 俺は一体何をされた?

 心臓に激痛が走った。

 鼓動が一気にレッドゾーンまで跳ね上がり血管を破裂せんばかりに血が押し出された。

 毛細血管が網目状に浮き上がって脈打つ様は赤いサナダムシがのたうち回っているようだった。

 視界は赤く染まり、酩酊より酷く思考が迷走する。

 脳卒中と紙一重。

 自分の体すらどうなっているのか把握できない。

 一体何が?

 物理的に少年は俺に何もしていない。

 物理的には。

 魔だというのか?

 魔人だというのか?

 こんな田舎の島に魔人がいるというのか?

 疑問が尽きないままに視界が赤く90°傾いていることが認識できた。多分俺は無様に地面に倒れたんだろう。

 今にも千切れそうな血管で意識だけは必死に繋ぎ止める。

 脳や心臓の血管が切れるのが先か意識が切れるのが先か、いやもう血管の一二本切れているのかもしれないが、もう痛みすら感じない。

 こんな田舎の島の医療設備じゃ脳の血管が切れていたらどうにもなるまい。果無 迫の人生は孤島で名前も知らない少年に殺されて人知れず終わる。凡人が分を弁えず時雨と縁を繋ぎたいが為にこんな世界に飛び込んだ似合いの末路とも言える。

 せめて退魔官として職務に殉じたいところだが、ここから相打ちに持ち込める銃もナイフも無い。この少年のことを外部に伝える手段も無い。退魔官としても終わりのようだ。

 ならば果無 迫としてすることはただ一つ、意思の力で少年を睨み付ける。

 ただ睨み付ける。

 ここで少年に犯され殺されようが、果無 迫の意思だけは誰にも折らせない。

「いい様だなババア。

 折角大人しくしてたのにパーだぜ。お前が立日沢様に舐めた態度を取ったのがいけないんだぜ。ババアの割にいい体じゃ無いか責任取って貰わないとな」

 何やら俺の所為にして地面に蹲る俺に糞餓鬼は強姦するとばかりにギラギラ猛りながら近寄ろうとする。

 こういう人間は良く知っている己の欲望のままに人の尊厳を踏みにじれる人間だ。

 その前に朽草が立ち塞がった。

「辞めて」

 よく見れば小さく震えているがそれでもケダモノの前に立ち塞がり、きっぱりと言い切った。

 尊い行為だが、溢れる激流を傘で防ごうとするようなもの。呑み込まれ翻弄されるだけだ。逃げろ逃げてくれ。

 そいつは感動して手を引くタイプじゃ無い。俺は目の前で君が理不尽に蹂躙されるのを見たくない。

 だが指一本声すら上げられない。

 俺はまず第一に武器を入手するべきだった。何処かここには敵がいないなどと甘えた考えがこの事態を招いた。

「どけよ。

 お前の相手は後でたっぷりしてやる。まずはそのババアに身の程を教えてやる」

 立日沢は朽草を睨み付ける。

 完全に理性が飛んでいる目、街でこんな目をした人間が歩いてたら一斉に距離を取るだろう。

 それでも朽草は一歩も引かない。

「ああ、あんだその目は」

「辞めて」

「お前から楽しんでやろうか」

「辞めて」

 まずい。

 今の俺に出来ることは何か無いのか。

 !

 朽草が稼いでくれた時間で体の痺れが僅かに薄れた。これなら僅かにだが出来ることがある。


「なら望み通りお前から・・・」

 朽草に手を伸ばそうとした立日沢の足に小石が当たった。

「ん」

 立日沢は石の飛んできた方を即ち俺を見る。

「イ・・・キる・・な、ばーーーーーか」

 小石を弾いて何とか舌が回った。これだけだが馬鹿を挑発するには十二分だった。

「ッババァ」

 瞬間沸騰した立日沢は立ち塞がる朽草を突き飛ばして俺に向かってくる。

 まあ最低でも犯され最悪で強姦死、だが朽草が不幸になるよりはずっといい。

 俺は不幸に慣れているさ。もう少したてばもう少し痺れが取れるだろう。廻にする予定だった色仕掛けの前倒し、イツモツくらいはへし折って二度と朽草に手を出せなくしてやる。

 俺ってこんなに人のために頑張る奴だったか、思い返して自分でも不思議に思う。

 そうか借りか。

 助けられた借りを返さずしてあの世に逃げるわけには行かないよな。

「辞めてっ」

「うぜえぞっ」

 立日沢に朽草が背中から抱きついて止めようとする。だが大人と子供ほどの体格差、簡単に立日沢は朽草の手を振りほどいて放り投げる。

「やっぱりお前から犯してやるか。

 おっお前」

 猛る立日沢が朽草の方に向いて固まった。

 俺の目がいかれているからだろうか。

 夕日が上手い具合に反射しているのか。

 朽草の目は猫科の肉食獣のように縦に割れた瞳孔が細まり黄金に輝いているように見える。

「辞めなさい」

「そっその目で俺を見るなっ」

 一瞬たじろいだ立日沢が殴りかかろうと拳を振り上げた。

「そこで何をしている」

 一喝が響いた。どうやら島の大人が通りかかったようだ。

「ちっ覚えていろよ」

 流石の立日沢もまずいと思ったのかこの場から捨て台詞を残して逃げて行き、その背を見届け俺の意識は沈んだ。


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