第452話 今生の奇蹟
最初に見た通り線路2本分の向こうにあるホームの上にある電柱と此方のホームの電柱の間に蜘蛛の巣を張り、その上にくむはは平然と立っている。
旋律具によって固定された認識で上の世界を見れば線路2本分の距離の先に電柱の先は有り、視線を下に向ければ電車が列を成して走る向こうの先に電柱の根元は霞んでいる。
下手な騙し絵を見せられた気分になる。
理屈で考えたら駄目なんだろうな、理系として敗北を感じるがそういうものだと受け入れるしかない。受け入れれば、くむはが余裕で俺の前に表れられたカラクリも想像出来る。
「あらあらゴキブリ並みに逃げ足だけは速いようですね」
相変わらずくむはは余裕の笑みで此方を煽ってくる。
必死の俺の脱出もくむはにとっては何のことも無いことだったようだ。
やはり伊達に旋律士じゃない。俺のような凡人にとっては魔人と区別が付かない超人。
「おかげさんでね」
さてどうしたものか?
ここに留まっていても活路はない。
此方の電柱と向こうの電柱の間には電線が走っている。この電線を使えば向こうのホームまで行けるだろうが、電線の上を自由自在に走るなんてマネは出来ない。蓑虫の如く電線を伝っていけば、蜘蛛の巣の上を自在に動くくむはに狩られるだけだろう。かといって蜘蛛の巣の上を歩くマネは絶対に出来ないしな。
前門のと・・・蜘蛛という奴だが、幸いなことに後門に蟷螂はいない。
ホームは逆側にもう一つある。
だが其方に逃げたとしても電線の上をとろとろしていたら同じ事、あっという間に追い付かれてしまうだろう。
だったらいっそ走ってみるか。電線は蜘蛛の糸よりは太いし幅も線路二本分ほど勢いで渡り切れる可能性はなくはない。
やれるか?
万が一足を滑らせたら真っ逆さまに電車の上に落ちて跳ねて叩かれ挽肉の出来上がり。
いや発想を変えて時速90km出ている電車の上に安全に着地する方法は見いだせないものだろうか?
上手くけばくむはからもここからもおさらばできる。
「もしかして作戦考えてます~、無駄ですよ~。
地上なら0.001%の奇蹟があったかも知れないけど、この狩り場では勝率は0%で~す。素直に諦めて下さ~い」
「諦めたらどうなるんだよ」
「即身仏か轢死体くらいは選ばせて上げるわよ~。お勧めは即身仏で来世にワンチャン」
くむはは可愛く左手でガッツポーズする。
その台詞は俺の逆鱗に触れた。
来世など無い。
今この時こそ全て。
「どっちもご免だ。
お前調子に乗りすぎだろ、泣かしてやろうか」
敵ならば女だろうが容赦ないのが数少ない俺の美徳。
「あなたこそ泣いて土下座して私に縋ったらどうですか~。
優しい私が蜘蛛の糸を垂らして上げるかも知れませんよ~」
とても慈悲深い仏の顔には見えないな。
「ならお前が泣いたら優しい俺は何をしてあげればいいのかな」
「そうですね。もしそうなったら責任取って貰おうかしら」
「責任?」
何を言っているんだ。けけに遺言でも伝えればいいのか?
「男でしょ自分で考えて下さい」
意外なことにくむはは真剣な顔をしていた。
「なら男として責任持って泣かしてやらないとなっ」
話していて作戦は決まった。
一瞬のワンチャンに賭ける。
俺は死闘の開始を告げるように銃を抜き撃ちするのであった。
「無駄で~す。学習しないお馬鹿さんですね」
銃弾は予想通り此方を舐めきった顔をしたくむはに届く前に蜘蛛の巣に絡め取られる。
だが数瞬の時は稼げた。
その数瞬にタメを作り俺は矢のように解き放たれ電線の上を走り出した。
勢い。
電柱と電柱の間に張られた電線の上を走って行く。
綱渡りなんて練習したことなんか無いが勢いで走り続け、恐怖に呑まれ勢いを止めたとき俺は落下する。
脅かされる生存に脳が覚醒していく。
ゾーン
フロー
無我の境地
忘却状態
何でもいい
走ればびょんびょん上下に振動する電線の様子すらゆっくり見える。
足を一歩踏み外せばそのまま地獄に真っ逆さま。
上下の揺れに合わせて膝のバネを効かせて平衡バランスを取りつつ正確に電線の上に足を繰り出していく。
「へえ~思ったよりはやるのね。でもそれで勝てるとでも思ったのかしら」
くむはは覚醒状態の俺を前にして余裕の上から目線の横綱相撲。蜘蛛の巣を使わず、敢えて同じ土俵である電線の上に飛び乗りた。
どうあっても俺の心を折ってみせたいらしいな。
サディストめ。
くむはに比べれば俺など電線の上をドスンドスンと走っているようなもの、くむはは氷上の上を滑るかのように一切電線を揺らすことなく向かってくる。
フィギュアの芸術点なら10対0のコールドゲームだが、これは喧嘩だ。
「はっ」
碌に照準は付けられないが前に撃つだけなら出来る。走りつつ腰を少し落として斉射。
「悪足掻き」
くむはは電線の上に飛び上がって三回転ジャンプ、銃弾は虚しく突き進むのみ。
美しく、無意味な行為。
俺へ実力を見せ付けるためだけの行為。
だが俺はくむはが回転して俺への視線が切れた瞬間を狙って、銃を仕舞い、仕掛けを施し、単分子ナイフを引き抜く。
足を止めない止められない。
あっという間に詰まる間合い。
俺はくむはの着地のタイミングで単分子ナイフを真正面に突き込む。
「ざ~んねん」
くむはは着地から流れるように屈みつつスピンを行い、その回転力で再度飛び上がった。
舞い上がり突き込まれるナイフの先に指を乗せるとそのままくるっとナイフの上で海老反り倒立。
「化け物が」
くむはにもう遊びはない。俺の言葉に何の言葉を返すことはない。
くむはは悲しそうな目で俺を一瞬見た後、俺が次の足を前に出す前にナイフから指を離して踵落としを俺の脳天に振り下ろす。
そのままなら俺の脳天は叩き割られ電線の上で無様な土下座を晒してから地獄に落下していたかも知れないが、電線は大きく横にぐんとスライド、上に乗っている俺も横にスライドし、空に舞って踵落としの途中だったくむはだけはその座標に取り残される。
「えっ」
空ぶってくむははえっとした顔を見せたまま真っ逆さま。
「今生の奇蹟を掴み立ったようだな」
俺は咄嗟に電線を掴み落下を免れているのであった。
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