第450話 アラクネ

「はっ」

「くっ」

 くむはの糸の攻撃を避けることは出来る。だが避けた糸は投網のように広がり蜘蛛の巣の如く逃げ道を塞いでいく。

 気を付けなければ気付かないが、気を付けて光の反射とかに注意を向ければ、キラッと輝く蜘蛛の巣に予想以上に囲まれている。

 正直逃げ道が全くないほどでは無いと思うが、何しろ見にくい。迂闊に逃げては見逃している蜘蛛の巣に自ら囚われに行くことになる。

 あの蜘蛛の巣に捕まるとどうなるのか不明だが、流石に自分で実験する気にはならない。

「はっ」

 打開策を思い付くまでくむはは待ってくれない。追撃の糸。

「ちっ」

 逃げ道が分からないまま咄嗟にしゃがみ込んで躱す。頭上を通過した糸は広がり、頭上に蜘蛛の巣が張り巡らされてしまった。

 もう立ち上がることすら迂闊に出来なくなった。

 直接攻撃しないでネチネチと、くそっまるで妖怪のアラクネだな。

「あら~随分頭を垂れて謙虚になってきたじゃないですか。

 どうです。そのまま土下座して私の靴を舐めるなら飼ってあげてもいいですよ~」

「三食昼寝付きのヒモ待遇なら考えてもいいぜ」

 尤もヒモはヒモで女に捨てられないように暴力・恐喝・色・炊事洗濯・ご機嫌取りと何でもいいから相手を引き止め続ける為に常に相手の心理を読んで努力をしなければならない。時雨のヒモにすら俺はあまり成りたいとは思わない、まあ時雨が俺をヒモにしてくれることなどないからいらぬ杞憂だが。

 おっと話がそれたな。

 活路は何処だ?

 時間が無い。

 どうする?

「まだ謙虚さが足りないようですね~。こんな美少女に飼われるだけでも身にあまる光栄だというのに、もう少し教育が必要なようですね」

 くむはが新たな糸を紡ぎ出そうとする。

「男をこんなチャチな糸如きで捕まえていけると思うなよ」

「そういうのは負け犬の遠吠えって言うんですよ。

 お勉強になりましたか~お馬鹿さん。でも幾らお馬鹿さんでも美少女の奴隷か干物になるかの二択ならどちらを選ぶべきか分かると思いますけどね~」

「俺は果無 迫なんだよ」

 ビクッと俺の気迫に押されてくむはが怯んだその隙に俺が閃光弾を自分の後ろに投げると、背後から強烈な光が放たれる。

「悪足掻きですかっ」

 くむはは咄嗟に手を翳して目を庇い、俺は強烈な光に反射して輝く蜘蛛の巣を見切る。

 活路は見えた。

 だがその先はある意味ここ以上の未知であり死地の可能性がある。だが悩めば良くてくむはの奴隷、悪ければ殉職者入り。それでも無手で冒険に出るほど無謀じゃない。ちょっとした保険をして俺は蜘蛛の巣の間を這って進み。ホームから線路に落ち延びるのであった。

「ふうっ」

 意外と普通だな。転がり落ちて立ち上がって見る風景の感想だった。

 線路二本分の幅の向こうにはホームが見える。くむはに追い付かれる前に向こうのホームから駅の外に逃げる。あの真っ暗の山に入るのは躊躇するが隠れる場所も無いここで戦うよりはいい。兎に角今は逃げるのが優先、反撃はそれからだ。

 とっとと渡るか。

 対岸のホームに向かって走る。

 線路を飛び越え走る走る。

 更に線路を飛び越え走る走る走る。

 更に更に線路を飛び越え走る走る走る走る。

 陸上のハードルのように次々に迫ってくる線路を飛び越えて走っていく。

 待てっ!?!

 対岸のホームまで線路が二本あるだけだったはず。

 俺が足を止めて振り返ると元のホームはぐーーーーんと霞むほど離れている。首を元に戻すと同じく霞む対岸のホームを背景にくむはがいた。

「なっ、ぐおっ」

 驚くと同時に腹に衝撃を受け、くの字になって下がった顎目掛けて腹に食い込んだ蹴りが跳ね上がる。

 歯を食いしばるのが精一杯、視界に稲妻が走り真っ白になった。




 気付けば地面を舐めていた。

 体全体が強打されたように痛い。

 幸いくむはは追撃をしてこない。いたぶるつもりか地面に転がる俺を見下ろしている。

「これは躾で~す。

 悪いことをすると痛い思いをするって身に染みて分かりましか~」

 躾だと? けっ遊んでやがる。あれだけ走ったのに先回りされた仕掛けは分からないが、これがこのユガミの罠だということは分かる。ホームから動かなければ発動しないが、一度線路に降りれば無限に広がっていく空間。

 これと被害者達の末路からもうこの後の展開は予想出来る。

 危機と好機はコインの裏表。

 肝心なときに俺の体は動いてくれるか?

 体全体に鈍痛があるが一瞬に賭けることは出来そうだ。

 くむはは右足を一歩前に出す。

「さあ這い蹲って足を舐めなさい」

 口調はそのままだがくむはの目はおふざけの色がなく神に嘆願するかのようだ。

 どうしてか意地になってるな。そんなことに拘らなければとっくに俺を始末できていただろうに、よっぽど美少女の自分を俺みたいな冴えない奴が足蹴にしたのが腹に据えたらしい。

 ある意味時雨への愛が俺を助けたと言ってもいいのかな?

「・・・」

「強情なお馬鹿さんですね。ここから逆転する手なんて無いでしょう」

 チャンスを持つ俺の耳に汽笛が木霊してきた。

 視線を向ければ線路一杯に電車が並んで一斉に向かってくるのが見えた。このままだとホームに逃げ切れずに今までの被害者のように轢死体の仲間入り。

「私が手を下すまでもないようですね。

 これが最後です。私に屈服しなさい。そうしたら助けて上げますよ」

 電車を見たくむはの上から目線の態度に焦りが滲んでいるのを俺は見逃さない。

「お前だって窮地だろうが」

「残念でした。窮地なのは貴方だけですよ。

 さあどうします?」

「俺も答えてやる。窮地なのはお前だけだ」

「どういう意味ですか?」

 くむはは首を傾げる。

「こういう意味だ」

 俺はホームの電柱に結んでおいたワイヤーを引っ張るのであった。

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