第449話 ケース
蜘蛛が獲物を捕らえるときに吐き出す糸のようだった。
俺は目の前に迫ってくる糸に対して位置取りをしていた背後の電柱に回り込む。電柱は盾となって糸を防いでくれる。
「ちっ」
くむはは糸が電柱に当たったのを見て舌打ちする。
「一応言い分けを聞いておこうか」
俺の命令通り駅を調律しろと言ったから電柱を攻撃した可能性は数パーセントある。後で誤解だったと後悔しないためにも安易に激怒するよりクールにいこう。
「そんな顔面偏差値で気取らないで貰えます~。噴き出すのを我慢するのは大変なんですから」
くむはは今までの此方に敬意を払った態度から一変、此方を明らかに小馬鹿にする口調になっていた。
まあ俺が女性に良くされる態度なのでいちいち腹も立たないが。
「その様子じゃ。間違いなく電柱でなく俺を狙ったようだな」
「いえいえ誤解ですよ~私はちゃんと電柱を狙ったんですよ~ご命令通り駅を調律しま~す。下手に動かれると危ないので動かないで下さいね~」
くむはが綿雲から紡いで腕を振り払えば獲物を捕らえる銀糸が襲い掛かってくる。
避けられないほどのスピードでも変幻自在所為でも無い。正直銃で狙われた方が怖いくらいだ。
躱すと同時に銃を抜き必殺の三連射。三連射は確実にくむはを打ち抜く軌道だったがくむはが動くことなく銃弾は空中で静止した。
「何!?」
目を凝らし角度を変えて月明かりを反射させればキラッと光る。くむはの周りにはいつの間にが蜘蛛の巣の如く糸が張り巡らされていた。その蜘蛛の巣に銃弾は絡め取られたようだ。
あんな細い糸でマグナム弾を受け止めるというのか。流石オカルトパワーの旋律具だな。物理の常識を軽々超えてくる。
それにしてもいつの間に張った? 攻撃を躱せると甘く見そうになったが、どうやらトラップに追い込んでいくタイプか。
いやらしい奴だ。
目先の対応だけに追われていたら死中に嵌まっていく。
「こんなか弱い美少女に躊躇いなく撃ってくるなんて男の矜恃もないのですか?」
「時代は男女平等だろ。俺は俺に牙剥く奴は平等に扱うぜ」
格好良く言ったところで俺には強者の余裕はないだけのこと。常に死力を尽くさねば俺が死ぬ。
「クズ男の常套句頂きました」
「お前こそ背後から斬りかかる裏切る者じゃないのか」
「ほんと勘違い男はキモイですね。
残念でした~裏切ってません。最初から仲間じゃありませんから」
最初から警戒していた俺でさえ心を許しそうになった。あれが演技なら魔性の女、旋律士より女優か詐欺師を目指した方が大成できるんじゃないか。
「安心しろそんなこと分かっている。
ただより安いものは無し。下心なしで俺に近寄る女はいない」
けけが何かを狙っているのは読めてたが、まさかストレートに俺の命を狙ってくるのは想定外だった。
「自分で言ってて悲しくならないのですか?」
くむはが哀れむような目で此方で見るのがムカつく。
「別に俺は惚れた女以外に興味は無い」
「強がりは滑稽ですよ」
くむはの今までの馬鹿にした口調に怒気が含まれる。
自分が眼中無しと言われてプライドが気付いたか、どうせ俺が興味が有ったと言ったらいったでキモイって返すくせに。
「何の為にそんな手の込んだことをした?
俺を排除したいならこんなめんどくさいことをしないで闇討ちすればいいだろ。別に護衛が付いてるVIPじゃないぜ」
俺はくむはの煽りを無視して気になっていた質問をした。
普通に夜道で襲えばいい。手練れ5人にでも奇襲されたら俺では対応出来ない。わざわざ色仕掛けで近付いて隙を伺う必要は無い。
「別に私は暗殺者じゃないんですけど。
風音家は旋律士を律する風。腐臭を排除するのが役目」
「俺が腐臭?」
「あらあら自覚がないようですね~。まあ自分の臭い気付かないもんですからね」
この場合の臭いとは体臭のことじゃないよな? くむはの俺を小馬鹿にした態度にそうとも言い切れなくなっている。
「俺は自分の務めを果たしているだけだぜ。文句があるなら国に言ってくれないかな」
汚れ仕事をしている自覚はある。でも俺が進んでやっているわけじゃない。あくまで上からの命令を遂行しているだけ。責任は上に取って貰わないとな。
「上に命令されただけ、俺は悪くない。小悪党の常套句ですね~」
「小悪党とは言ってくれるぜ。
それで俺の質問に答えてないぜ。俺が目障りならこんな面倒臭いことをする必要は無いだろ」
「ほんとお馬鹿さんなんですね。
だから暗殺者じゃないと言っているじゃ無いですか、私は貴方を見定める為に近寄ったんですよ」
「なるほど光栄なことに俺が眼鏡に適ったようだな」
どこいら辺が此奴らの逆鱗に触れたんだろうな。今後の為にも知っておきたいところだ。
「ええおかげで余計な仕事が増えて迷惑ですよ。
でもお馬鹿さんもたった一ついい仕事しました。ここなら小細工をすることなく退魔官の殉職に出来ますね」
「国の仕事を仕切る退魔官である俺が目障りなのか?」
確かに退魔官もやりようによっては美味しい利権になる。この地位を欲しがる連中は大勢いるだろうな。
退魔官の利権が此奴らの想定以上に大きかったから欲しくなったのか? もしそうなら最初から言って貰えれば利権分けたんだけどな~。俺は退魔官の職権を独占したいと思ったことは無く、出来れば同僚が欲しいくらいだ。
今からでも交渉の余地はあるか?
「お馬鹿さんだから勘違いしてもしょうが無いかも知れませんが、別に貴方から権力を奪いたいわけじゃありませんよ。
寧ろ逆です」
「逆?」
「権力は人を狂わす。
権力と結びついたときから腐敗が始まります。ですから風音家では清浄を保つためにも旋律士は権力から一定の距離を置くべきとしています」
くむはが言っていることは分からなくもない。
俺でさえ自由に年上の警官を顎で使うことに愉悦を覚えるときもある。それでもだ。権力が無ければ人が多く何処にでも人の目がある現代社会では魔の退治は難しい。開き直ってオープンにするという手もあるが社会の混乱はいかほどだろうな。陰謀論でなく国が隠したがる思惑は理解出来る。
「現実問題旋律士だって社会に生きているんだ。仕事をスムーズに進めるためには権力と結びつくのも仕方ないと思うが」
「程度の問題ですよ。
現実世界の権力を持っている者が魔の世界の力まで掌握したら誰も逆らえなくなる。
だからこそ魔の世界と関わる者は自分を律することを求められる」
「時代に取り残された老害のようなことを言う」
「黙れなさいブタ。
我等も初めは傍観した。だがあなたは次々に旋律士と結びつき、権力者だけでなく裏社会とも繋がりだし、ついに我等も黙ってられなくなった。
それでも最後の判断をする前に一度あなたを見極めることになって、私が派遣された。
だがなんなんですかあなたは、ちょっと従順に従う可愛い女を演じたら簡単に懐に入れる好色さ。報酬の二重取りどころか三重取りの強欲さ。犠牲者のことを悼む気持ちもなく平気で利用する非情さ。依頼人を恐喝し、あげくは捏造冤罪も厭わない狡猾さ。
どれだけ真っ黒なんですか、これじゃあ擁護のしようがないじゃないですか」
なぜかくむはは出会った頃の顔で悲痛そうに言う。
まだ少女だ、人を殺すことに躊躇いが残っているのか知れない。
だとしたら、くむはを追い込んだのは俺なのか?
「裏街道が汚いのは当たり前。汚物に塗れることを厭わない者以外に誰が仕事を進められる」
「果て無く悪辣。
どうしてそうぬけぬけと言い放てるんですか。それで誰が納得するというの」
「誰かに理解して欲しいとは思わないさ。俺は俺が良かれと思ったことをして生きて死ぬだけさ」
あの日誓った。
俺は華を守るケースになる。ケースが汚れるのを厭ってどうする。
「童貞君が粋がってもキモイですよ」
くむはは覚悟を決めたように此方を小馬鹿にする顔に戻っている。
「粋がるなよ。お前こそ底が浅いぞ耳年増のバージン」
「殺す。その前に私の足を舐めさせてやる」
こうして俺とくむはは決定的に決裂するのであった。
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