第446話 思いっきり笑ってあげますね

「納得できませんっ」

 終電間際の閑散とした駅構内にくむはの怒声が響き渡る。

 今日はもう護衛しなくていいと言った途端の反応がこれだ。今までの連中と違って素直で聞き分けのいい娘だと思っていたので意外な反応だった。

 終電間際は酔っ払いが騒いだりするのが日常なので通り過ぎる人も僅かに視線を寄越し痴話喧嘩とでも思って素通りしていく。

「納得できなくてもこれは雇用主の命令だ。黙って従え」

「ぐっ」

 くむはは歯を噛み締め拳を握り締め命令を呑み込もうとするが、それの一瞬だった。

「なんで私が付いていったら駄目なんですか」

 くむはは少し青みのかかった湖水のように綺麗な瞳に俺だけが映り込むほど顔を迫らせて噛みついてくる。恋人なら独占できたと喜ぶところかもな。

 予想外の反応だったが別に理由を説明しない積もりだったわけじゃない。いつもの如く合理的に結論から述べただけのことだったが、日本式にだらだら前置きから入った方が誤解を招かなかったかもな。

「他意はない。

 四人目の被害者が出たことで判明したが、今回のキーワードは孤立だ」

「孤立?」

「そうだ被害者四人、事件発生時には社会との縁が希薄だったと推測できる」

 失恋、リストラされた独身中年、独り身の年金生活者。そして今回の大学デビューをしくじった女学生。

 資料を見返したがそれぞれ友達が大勢いるようではなかった。そうなると社会との縁が希薄になるのと比例にして三人は孤独になっていったと推測される。失恋に到っては世界から見捨てられた心境だろう。

「その上で人が少ない終電に一人で乗っている。

 社会からの縁が薄れ誰からも認識されないことがトリガー条件だとしたら、お前が傍にいて俺を護衛している時点で条件が崩れてしまう」

 俺もまた自慢じゃないが友は少なく、退魔官の仕事がなければ社会への縁は極薄になるだろう。きっと研究室で誰とも会話しないまま一日が過ぎる生活が普通になる。

 こうやって忙しく人と関わっていることは俺にとって異常なのだろう。

「気配は完璧に消せます」

 くむはは胸を張って提案し食い下がってくる。

「そういう問題じゃない。気配を完璧に消そうがお前が俺を認識している時点で駄目なんだ。

 俺は1人で電車に乗る」

「でも貴方を1人にさせるなんて・・・」

 ここで一旦言葉を呑み込んだくむは、続きは言いにくいことなのであろうか。

「貴方みたいな普通の人がユガミの生み出す認識の狭間に誘い込まれてどうするのです。5人目の被害者になるだけです」

 泣きそうな顔でハッキリと無能と言ってくれる。まあ実際俺ではユガミは倒せない、生き延びるだけで精一杯である。

「これでも数々の修羅場から生還している」

 いつも生死の境ギリギリだったけどな。

「今回も無事な保証はありません。

 私がいれば絶対に貴方を無事帰して見せます」

 くむはは胸に手を当て自信たっぷりと俺の目を見て言い切った。

「その心意気は嬉しいが、君がいるとそもそもユガミが表れない。

 終点に俺が表れなかった時点で捜査を開始して出来るだけ早く迎えに来てくれ。

 それが君に出来るベストだ」

 もし俺が行方不明になりユガミがいると確信さえできれば、路線上にあるだろう認識の狭間への入口を見つけるくらい無能な俺でも出来る、いわんや旋律士なら。

「これだけ言っても分かってくれないのですか」

「旋律士ならこれ以上被害者が出るのを防ぐことを優先しろ」

 情に篤い娘のようなのでくむはの旋律士としての責任感に訴える。

 被害者が出ること何て何とも思ってないくせに

 くむはが何が呟いた気がしたが続く言葉に掻き消えた。

「あなたならいいんですか」

「じょうがない、俺もこれでも退魔官だ」

 ほんとしょうがない。嫌なら辞めるしかないが今の俺にその選択はない。

「分かりました、なら小指を出して下さい」

「小指?」

 何がならなのか俺には全く分からない。

「早くっ」

「はい」

 くむはの気迫に押され思わず素直に小指を出してしまった。

 くむはは俺の小指にどこからか出した銀色の糸を結びつける。そして両手で包み込むと目を瞑り真摯に祈りを込める。

 手が温もりに包まれ心臓に何か温かいものが流れ込んでくるのを感じる。

 一時立つとくむはは離れた。

「これは?」

 俺の小指には蝶結びに銀糸が結ばれている。この銀光、旋律具の輝きに似ているような気がする。

「お守りです。私が付いてけないならせめてそれくらいは許可して下さい」

「ありがとう」

 くむはの健気な言葉につい言ってしまった。

 この俺がお守りね。

「じゃあ行ってくる。

 もし無事終点に辿り着いたら笑ってくれていいぜ」

「はい、思いっきり笑ってあげますね」

 くむはは笑顔で俺を送り出してくれるのであった。

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