第440話 夜
ガタンゴトン。
レールからの振動は揺り籠の心地良さ、疲れた人間を安らぎの世界に誘う。
終電の車内には仕事に疲れたサラリーマンや夜遊びに疲れた大学生などがぽつんぽつんと睡魔に誘われている。
俺は長椅子に1人座り心地いい振動に身を任せ如月さんがまとめてくれた資料を読んでいる。俺の対角くらいの位置にくむはは座って小説の世界に没頭しているように見える。その姿は自然で辺りを警戒している護衛には見えない。傍目には俺とくむははたまたま居合わせただけの関係に見えるだろう。
くむはは旋律士としてだけでなくこういった技能も叩き込まれているようで、意外と拾いものかも知れない。これで旋律士としての腕が確かなら次から有料で雇ってもいいかもしれないが、その場合けけをどうやって押さえ込むか頭が痛くなる。
ガタンゴトン
暗闇に輪郭が沈み月明かりに輪郭が滲む。
曖昧な世界は認識をぼやかし律も狂い出す。
電車の揺り籠に思考は沈み認識はまどろむ。
認識があやふやになっていく夜の電車。
ふと寝落ちした瞬間に狭間の世界に落ち込んでも不思議ではない。
俺もまた資料の世界に没頭し周りから隔絶されている。
そして俺は魔に何度も遭遇し魔との縁が強い。
絶好の穴場に絶好の餌を投げ込んだんだ、魔を釣り上げられると予感していた。
闇の先に街の灯が浮かび、夜風が吹きすさぶ。
俺とくむはは無人のホームに降り立ち、アナウンスが駅から出ろと急き立てる。
「どうしますか?」
若干くむはの口調が冷たく感じるのは俺の気のせいだろう。
「駅から出るしかないだろ」
俺の予感を嘲笑うよう何事も無く終点まで辿り着いてしまった。
本当は魔などいない普通の事件なのかも知れない。だがそれは昔から悪魔の証明と言って一番証明するのに手間が掛かる。
やはり仕事はそんなに甘くないようだ。
駅から出ると小さいながらもローターリーがあった。俺達と同じ終電に乗ってきた数少ない人に迎えの車がやってきてはテールランプが遠ざかっていく。
あっという間に駅前のローターリーには俺とくむはだけになった。
ざっと見渡した感じ駅の近くにはホテルはなく、遠くの黒塗りの山がよく見える。いつもなら始発が動き出すまで24営業店でもないか夜の街を1人徘徊していただろう。
だが今日に限れば草日さんも後一時間も経たないうちに迎えに来てくれるし、隣にはくむはがいる。
いつもと違う隣の暖かさに俺が視線を漂わせると駅の外灯が届かない闇の中に浮かび上がる自動販売機が見えた。
「何か飲みたいものはあるか?」
こんな俺でも俺だからこそ無駄をさせたことを申し訳なく思ったのか、いつもと違うことを自然と口にしていた。
「それが私への残業代ですか?」
くむはは冗談とは思えない真面目な表情で聞いてくる。
「そこまでケチじゃない払うならちゃんと払うさ。これは心遣いだよ」
そうか、これが金を払って雇った旋律士なら気なんか使わなかったんだろうな。金を払うことで何の気兼ねもいらない関係になれる。
無料というのは財布には優しいが精神には負荷が掛かるものなんだな。だとしたら俺はけけの術中に陥りかけているのかも知れない。
「なら遠慮無く甘えさせて貰いますね。
まだ草日さんは来ないようですし、どうせならあそこのコンビニで夜食を買いませんか?」
くむはは目敏く街灯の中に浮かぶコンビニの光を見付けていたようだ。そしてその屈託のない甘える猫のような笑顔を見せてくる。この笑顔に先程のはこの娘なりの冗談だったんだと思い至った。
「太るぞ」
「若いので大丈夫です」
くむははふんすと答える。
「分かった好きなの奢ってやるよ」
「やったあ~。草日さんが来ちゃいますから早く行きましょう」
素直に喜ぶ様にくむはが女子高生であることを今更実感した。
「はいはい」
そうだよな。この娘達は本来こんな殺伐な世界にいるような歳じゃない。もっと俺が経験できなかった青春を謳歌していてしかるべきなんだよな。
そう思うと俺はくむはの欲しいままに肉まんでもおでんでもコーヒーでも買ってやってしまった。
女子高生相手にこういう気持ちになるなんて俺は本当に大学生かと思わないでも無いが仕方が無い。
『ありがとうございました』
くむはと並んでコンビニから出る。
「いっぱいですね」
ほくほく顔の笑顔でくむはが俺の持つコンビニの袋を見ながら言う。
「ロータリーに戻って一緒に食べましょう」
「そうだな」
俺とくむははローターリーのベンチに座り肉まんを頬張る。
「くむはは部活とかしているのか?」
「う~旋律士の家にに生まれましたからね、そういうのは諦めてます」
「暗い青春だ」
「むーー友達はいっぱいいますから週末遊びに行ったりしてますから」
「そりゃ悪かったな。
部活はそれとして勉強はどうなんだ?」
「なんでそんなこと聞くんですか?」
くむははあからさまに嫌そうな顔で言う。
ちょっとプライベートに馴れ馴れしすぎたかな。思春期の少女との距離感は難しい。
「こんな遅くまで仕事していて勉強は大丈夫なのかなと思っただけだ」
「中の中です。ちゃんと両立してます」
「油断したら一気に下の中に行きそうだな」
くむはの見栄を張ったような顔に俺はつい意地悪を言ってしまう。
「そんなことないです」
ムキになった顔で反論するあたり図星だな。
「まあ勉強がきつかったら夜の護衛は控えてもいいぞ。暫く深夜の電車に乗ることになりそうだし」
「大丈夫です。風音家の人間として旋律士としての務めはしっかり果たします。
ただ・・・」
くむはが上目遣いで俺を見て言い淀む。
「ただ?」
くむはは意を決したように一気に口を開いた。
「果無さんは帝都大学ですよね。よろしければ未来の有能な旋律士を確保するためにも仕事が終わったら勉強を教えて頂けると嬉しいです」
「大学に進学するつもりなのか?」
「はい、できれば」
「まっ時間があったら見てやるよ」
できればと言う言葉が涙を誘うので思わず承諾してしまったが、多分時間は無いんだろうな。
「ありがとうございます」
俺とくむは星空の下たわいのない会話を草日さんが迎えに来るまで続けるのであった。
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