第438話 汚い話
「私が総務部渉外課の黒部です」
総務部渉外課。これだけ大きな会社なら甘い汁を求めて有象無象の連中が寄ってくる。そういった連中の対応などあまり表に出せない事案の処理を行う部署なのだろう。それだけに一癖ありそうで、出た腹と弛んだ頬がブルドックを連想させる男だ。
本店入口に踏み入れた瞬間、ロビーで待ち構えていた黒部に案内されたのは本店ビルの地下にある特別応接室。かといって狭いゴミ部屋といことはなく広々とした部屋に埃一つ無く清掃され空調が効いている。スチールラックじゃないどっしりと黒光りする棚に本が並べられ高級応接セットに観葉植物も置かれ見栄えがいい。更には防音設備は万全のようで外の音は一切聞こえてこない。地下に案内されたとはいえ決して粗略に扱われていない雰囲気だ。
だが電波も遮断されている。
完全に外部から遮断された部屋に黒部が1人対応をする。今思えば受付すらさせず自ら出迎えることで此方に接触する人数を絞ったんだろう。ここが本店ビルじゃなかったら、暗殺とか破壊工作でも依頼されそうな雰囲気だ。
そこまで公安と接触したことを知られたくないのか?
なのに少女を連れて表れた俺は場違いもいいところで、黒部に内心でどう思われるか分かったもんじゃないな。だが何か言われても彼女は旋律士、この事件の主役と言ってよく彼女以上にこの場に相応しい者はいない言える。
「退魔官の果無です」
嫌みの一つでも言うかと思った黒部は何も言わず、互いに名刺交換をする。
「彼女は俺のアシスタントの風音 くむはです」
「風音 くむはです。よろしくお願いします」
くむはは俺の紹介を敢えて訂正することなく名刺を持ってないこともありその場で一礼するだけに止める。
「そうですか、まあお座り下さい」
黒部はくむはに対して何も言わなかったが、隠すことなく不愉快だと言わんばかり一瞥をくむはにしてから着席を進めてくる。俺は気にすることなく入口に近い椅子に座り、くむはは俺の後ろに立った。
俺は取り敢えず何も置かれていない机の上に事件の資料を置く。
「いや~随分お若いですね。息子の友達かと思うくらいだ」
この若いは完全に俺を見下しているな。組み易しと思われた以上益々遠慮は無くなると予想される。
「ビジネスは結果が全て歳は関係ありませんよ」
「なるほどその通り。流石エリートさんは言うことが違う、もしや事件をもう解決しましたか」
にちゃにちゃと納豆みたいに耳に絡みつく口調と此方を馬鹿に仕切った顔にイライラする。人を不快にさせる職人だな。
「残念ながら本格的な捜査はこれからです」
「おやおや、こんなところで油を売っていていいのですか?」
お前が呼びつけたんだろ。お前こそ俺に嫌みを言うためだけに呼びつけたのなら暇人過ぎるぞ。
「ビジネスを始める前に報酬について取り決めておきたいと思いましてね。後で揉めるのはお互い嬉しくないでしょ」
本当は他にも色々話したいことはあったが、此奴相手には金の話を決めてからでないと仕事は出来ない。
「はて、私は公安だと伺ってましたが」
「ええ、私は公安99課所属一等退魔官で間違いないですよ」
「官権が民間から金を取るというのですか?」
「何言ってるんです。官権はいつだって民間から搾取しているでしょ」
「ああそうだ高い税金払っているんだ。くだぐだ言わずに民間のために黙って働けよ」
いるよな公僕は民間の滅私奉公するのが当たり前だと思っている奴。
「だから現在警察などが無料で捜査をしているでしょ。それを飛び越えて政治を使って公安を動かしたのはそちらなのでは?
気に入らないようでしたら、警察の捜査結果を待ったらいかがですか?」
普通の警察が手に終えない事件だと上が判断すれば警察機構の面子を保つため公安99課に依頼が来るだろう。その場合費用を民間に請求することは普通ない。
「はんっ。警察はあくまで事故事件の線で捜査を行っているようでしてね。ハッキリ言って時間の浪費ですよ、絶対に真相に辿り着けない」
裏社会と繋がりがあるだけに嗅覚はなかなかのもので、魔の存在を嗅ぎ取っているようだ。だが、その割にはくむはへの反応が今一読み切れない。退魔士を知っている者なら10代の少女も実戦投入されていることは知っているだろ。
あれは10代少女を危険に晒すことへの忌避感、意外と正義感が強い。
退魔士という存在そのものへの忌避感、科学万能時代に怪しいよな。意外と常識人。
女嫌いのゲイ、少年旋律士をご希望だった、キャバクラじゃねーぞ。
まだ読み切れない。
「のんびりした公僕が時間を浪費している間に、こっちは幾ら損失すると思っているんだ?
人口減少対策として路線周りの再開発を行い人を呼び寄せようと巨額の資金が動いているってのに、このままだと原因不明で不穏なオカルトの話だけが独り立ちしていって人足が遠のいてしまう。再開発が終わっても人が集まらなかったら無駄になってしまうだよ。
ええっそういった民間の辛さを公僕は分かってますか」
だからなんだ。お前の会社が多額の損失を出したところで経営者でも社員でもない俺の知ったことか。勝手に給料減額されろ。
此奴が相手を苛つかせて自分のペースに絡め取っていくのが常套手段のようだな。だがそういうのは相手に向き合う気持ちが必要なんだぜ。
「ご自身で魔事件であると判断なさったのなら、公安を介さず退魔士に直接依頼をなさってはどうです。ツテはあるんでしょ?」
鉄道・不動産を扱い歴史が長く大きな会社、過去に魔関連の事件がなかったとは思えない。そういった場合内々で処理するために退魔士に依頼をしていたはず。勝手に事件を解決してくれ。
「時代を考えろよ。そうしたのは山々なんですがね。SNSだなんだで事件がこれだけ広く世間に知れ渡った以上、もう内々で処理するのは不可能。警察からの公式発表が無ければ収まらんでしょ。なのにこっちで処理したら警察は面子を潰されたと臍を曲げるに決まっている」
態度は気に入らないが筋は取っている。まことにもってその通り。公安の俺ですら現場の警察は介入するのを疎ましいと思われてるんだ、民間にしゃしゃり出られたら意趣返しをするかも知れないし、知ったことでもない。
「なら警察の捜査の進展を待ちましょう。いずれ通常の事件でないとの判断になれば正式に此方に案件が回ってきます。
その場合は費用は請求しませんし、警察として公式に事件解決の発表もしますよ。
貴方の懸念は二つとも解決だ」
「だからそれじゃあ、遅いって言ってんだろっ」
素晴らしいとばかりに笑顔でプレゼンする俺の実に合理的な提案を黒部は机を叩いて返答する。
「遅いと言いますが、情報の拡散が早いが流されるのも早いのが現代。ここまで拡散したら一時大人しくして、忘れ去れるのを待つのも手では?」
搦め手として、頃合いを見て別の炎上事件を起こして目を其方に向けさせてもいいだろう。芸能人や高級官僚のスキャンダルなんか民衆の嫉妬が爆発して大炎上間違いなし。公安も世論操作の為ストックを常に三つくらいは抱えている。
「次の事件が起きないならそれもいいですがね」
あの怒りは演技だったのか、また元の嫌みったらしい口調に戻っている。
「次の事件が起きるのを確信しているようですね。
なぜですか?」
「なんだと」
黒部は俺を睨み付けてくる。
「本当は事故なんじゃないんですか?
事故を隠蔽するために此方を利用しているのならただでは済みませんよ。公安の特別留置所は滅多に経験出来ない非日常を味わえますよ」
俺はにっこりと秘境の旅館を紹介するように言う。
「冗談じゃないっ。
そんなものはありはしませんよ。寧ろ事故だった方が気が楽なくらいですよ。こう言っては不謹慎かも知れませんが事故は起きるものですからね。対処も成れたものです。記者会見で上が雁首揃えて頭を下げりゃいい。
ですが今回は本当に分からないのですよ。全車点検をしても人を轢いた跡は見付けられませんでした。
貴方が疑っている特殊な事故があるというなら是非ご教授して欲しいですね。直ぐに対策を考えて記者会見させますよ」
黒部は多少態度が改まったと思ったがまだ俺を格下と思っているようで、何ら羞じることなく不謹慎なことを軽く言う。
俺が公僕だからこの会話を録音なんかしないと思っているのか?
何かあっても自分も抜け目なく録音しているからイーブンに持ち込めると思っているのか?
そうオフレコなんて何それの最初から互いの信頼関係崩壊の交渉。
一つの言葉選びすら慎重になる。
「それは私は専門じゃないので分かりかねますね。
やはり白黒付けるためにも捜査の専門家が調べている結果を待っては、果報は寝て待てですよ」
俺の優位は世の営業に刺されそうな別にこの仕事をやらなくてもいいことだな。
「だから、その間に幾ら損失すると思っているんだよ。
だいたい後ろにいる少女はなんなんだよ。ここは職場だぞ、少女を侍らせてエリート様は何を考えてんだよ。だいたいその子未成年だろ。警察が率先して児童売春か、週刊誌が喜びそうなネタだな」
切り札を出したとばかりに恫喝してくるが、世の中舐めすぎじゃないか? 幾ら何でもそんな分かり易いことする馬鹿がいるわけがないだろ。
退魔士を知らない? なのに魔は知っている?
いや真実なんかどうでもいいのか、そう見えればいいということか。
なら乗って少し探ってみるか。
「売るつもりですか?」
「其方の態度次第だな」
この態度、週刊誌の記者とコネがあるしなんなら隠し撮りもしているな。
いいストーリーに沿って映像をうまく加工すればそう見えるかも知れないが、乗せられて精々怪しいゴシップ誌止まりだろ。
「どうしろと?」
「最初から言っているだろ、ぐだぐだ言ってないでお祓いでも何でもして速やかにお化け退治をしろよ」
結局それか。要約すれば「ただで魔を退治しろ」。
しかしそれだけのためにここまで執拗に絡んでくるか。所詮会社の金だろ。その為に公安に睨まれる危険を冒すほど愛社精神があるようにも見えないが。
正攻法で反論してみるか。
「彼女がその祓い屋、もっと言えば旋律士。彼女に変な真似したら、もう退魔士は今後一切御社からの依頼を引き受けないでしょうね。
こんなにも分かり易いのに、分からなかったのですか?」
こんな汚い大人同士の場にただの少女がいるわけないだろ。退魔士を知っている者なら直ぐに察する。
「ああっ、苦し紛れを言ってんじゃねえよ。そんな子が化け物退治をするってのか? 普通もっと厳つい奴だろ」
「ヤクザを相手にするわけじゃないんですから、まああなたが退魔士に会ったことが無いことがよく分かりましたが、以前はどうしたんですか?」
「うるせえなっ。前は仲介屋に会っただけで退魔士本人は会わなかったから。退魔士ってはみんなこうなのかな。いい目の保養だ。こんなことなら前の時も会っておくべきだったぜ」
目から鱗とはこのことか。そうかそうだよな。俺だって普通ならこの場にくむはを連れてくることはなかっただろう。今回に限り色々と反応が見たかったので連れて来ただけだ。
俺もまだまだ視野が狭い。
「まあ貴方のイメージ通りのごつい人もいますがね。
なら分かるでしょ。実際に退魔を行う彼女は民間なんですよ。彼女に働いて貰うためにも報酬がいるのですよ。それとも彼女に無料で命を懸けて戦えというのですか?」
俺は立ち上がって舞台役者のように大仰にぐるっと回る。
「国が払えばいいだろ。その為に税金取ってんだろ」
「国民の皆様の税金を無駄に使うわけにはいきませんからね」
そして視野が広がったことで、この男が嫌がらせが趣味の嫌な奴でなかった場合でここまで頑張る理由が一つ推測できた。
「民間会社を助けるのが無駄だというのか、これでもインフラを預かる大企業だぞ」
「その大企業が手掛ける巨大プロジェクトだ。その金額に比べれば退魔士に払う報酬なんてびびたるもんでしょ」
「民間は経費節減なんだよ」
「それであなたが浮いた報酬をがめていては同じでは?」
「なっ」
「報酬の件、なんなら上の方に直接聞いてみましょうか?」
俺はぐるっと見渡して光った箇所に行き、本棚の本に偽装されたカメラを取り出す。
「おまえっ」
「これを持って総務部に行きましょうか」
総務部に直接乗り込めば部長くらいいるだろ。駄目ならその上、国家権力振りかざして社内を縦横無尽。
「何言ってんだ駆け引きだよ駆け引き値引きするための、民間は経費節減が必須なんだよ。
成功報酬で300万は出す」
黒部は慌てて報酬の話をし出した。ふてぶてしいようで意外と肝が小さいな。
「400万。嫌なら上司と直接交渉します」
「分かったよ。400万出す」
経費節減のため頑張らないのかな~、心が折れたか?
「成功の定義は?」
「原因の究明」
「なるほど、ならそれが魔だった場合はどうします?
そういう事態を想定したからこそ我々に依頼を出したのですよね」
「当然排除して貰う」
「プラス200万です」
「追加費用を取るってのか?」
「調査と退治じゃ危険度が違います。嫌なら別の人に頼みますか」
「150万」
おっ抵抗した。そこいら辺が元々のラインだったのか。なら550万の報酬で値引きした分はがめるつもりだったのか、本当に経費節減の愛社精神なのか。
前言撤回、油断ならない奴だ。
「解決後のアフターフォローはどうします?」
上乗せ交渉はしないが追加費用の話をする。
「それもかよ」
「正直警察の方から泣き付かれれば動かしやすいんですが、今回は完全に彼等の面子を潰しますからね。
正直其方の対策の方が費用が掛かるかも知れません。
必要経費+300万」
「それは上に確認をしないと」
裁量ラインを超えたか。
「この事件を治める何かいいアイデアを其方で出してくれれば報酬として100万払ってもいいですよ」
「それは俺がアイデアを出しても良いってことか」
「はい。正直、毎回考えるの大変なんですよ。その労力を思えばそのくらい。
私から仕事の対価として払うんですから、疚しいことのない金ですよ」
「検討してみる」
「よろしくお願いします」
一瞬見せたギラついた目を俺は見逃さない。欲深さはやる気に繋がる、やる気を出した黒部なら通すだろ。そして俺を児童売春のロリコン野郎に陥れようとした手腕に期待させて貰おう。
「あと、もうめんどくせえからこっちから言ってやる。
調査費用は幾らだ?」
黒部は俺を欺けないと諦めたのかヤケグソ気味に言う。
まあ普通の探偵は成功報酬とは別に調査費用というものを貰う。黒部の奴、意図的に調査費用のことは言及しないつもりだったようだが、100万が効いたのか観念したのか。
「あっそちらは頂きません」
「えっ?」
「今回は公的に受けましたからね。私の公的な権限はあくまで魔事件の範囲。
これが魔事件でなかったら報酬を請求する権利も発生しません。其方の望み通りの私1人ただ働きですよ」
俺は悲しそうに言うのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます