第436話 利権に群がる
「風音 けけと申します。以後お見知りおき願います」
「一等退魔官の果無 迫です」
応接間でビジネスマンのように名刺交換を行っているのは、青紫に華柄の着物と短めのポニーテールが似合う妙齢の女性であった。
引退した退魔士なのか妙に迫力のある人で極道の妻達に素で出演できそうである。
「こちらは娘の くむは です」
「風音 くむは です。
名刺は持ってないので挨拶だけで失礼させて下さい」
肩まで伸ばした銀髪が羽根のようにふわっと広がるブレザーの姿の少女は丁寧に頭を下げる。
顔付きはまだ高校生くらいの幼さが残るが体はグラビアアイドルが出来そうな成熟さ、女に羽化する寸前の高校生から女子大生くらいだろうか。
「ということは学生の方が本業と言うことですか?」
「はい、まだ高校生なので」
時雨と同じか。学徒動員ばかりとはこの業界も人材不足なのだろうか。
「どうぞ座って下さい」
「失礼させて貰います」
2人が対面のソファーに座るのを持って俺も座る。
ちなみに此方は俺1人、如月さんは忙しくて相手をしてられないとのこと。それでもお茶出しだけはしてくれた。あの人警視クラスだよな? 実務部隊だけでなく庶務的な人員を要求した方がいいのでは?
「それで本日はどういったご用件で」
「ご活躍を風の噂で聞いていましたが、こうして会ってみると本当にお若いですね」
時間の無駄をしたくないので本題から入ったが、ふっと圧は霧散し軟らかい大人の女性の余裕でやんわりと流されてしまった。
やりにくい相手かも知れないな。
「どうも」
さて本当に若い俺に対して使った若いという言葉をどう繋げていくのかな。
「その年で一等退魔官という現場TOPとはお凄い」
けけさんは微笑みながら若いを男心を擽る才気溢れる者として繋げてきた。普通の営業トークだが、美人が使うと効果絶大そのまま契約書にサインをしてしまいそうだ。
場はすっかり美人女将に籠絡される初心な青年の図に変わった。
「それほどのことはないですよ。単なる人手不足です」
TOPもなにも俺しかいないだ。TOPでもありBOTTOMでもある。
「若いのに謙遜は似合いませんよ。
その若さで政府の仕事を一手に握るのは並々ならぬ実力をお持ちなのでしょう」
面倒臭い仕事を押しつけられている現状も見方によってはそう見えるものなのか。
「巡り合わせが良かっただけですよ」
望んで目指してた訳じゃない。本当に切っ掛けは時雨との運命の出会い。時雨と繋がりを維持しようとする中で退魔官になったのは自然な流れ。
運命とは神の悪戯。時雨に会う前に退魔官を知ったら、絶対に拒否していただろう。なぜなら退魔官は割に合わない。少々の大金で毎回死線を潜る。死んだら金があっても意味が無いのは常識。まあ残す相手がいるなら話がまた違うのだろうが、そんな相手は俺にはいない。
「なるほど、分かりました。
若い故か貴方は退魔官としての自覚が足りないのですね」
若いを未熟な若造に反転させ雰囲気がガラッと反転した。先程までの美人女将の和やかさは消え極妻に戻って喉元に刃物を突き付けられたかのような圧を感じる。
速いだけではない緩急を使い分ける技巧派と言ったところか。
「どういう意味です?」
長い前振りは終わっていよいよ本題のようだ。
「公に立つ者には公平性が求められるます。分かりますか?」
「はい」
分かりますかという疑問形でいてノーを許さない強要。上からの押し潰す商談を展開する気のようだ。だがこんなの相手の気が余程弱くなければ成功しない、つまりまだ何か俺を押し切る弱みを握っている可能性が高い。
「ならば一部の者とよろしくないズブズブの関係になるのはいかがなものでしょうか?」
けけはズバリ匕首を突き刺してきた。
何のことか身に覚えがあり過ぎる。
退魔官として賄賂脅迫証拠の捏造利益供与と表に出せないようなことを日常茶飯事で行っている。
だが故にそれが退魔官と言い切れる。
「安易な正義感を語りたいのでしたら・・・」
「だまらっしゃい。言い分けは男子として上に立つ者として見苦しい。
矢牛家、雪月家と懇意にしていることは知っているのですよ」
んっ?
もしかして、この人が退魔官というアンタッチャブルな存在の糾弾をしに来たと思ったのは俺の早合点?
「何が誤解があるようですが、その二家だけでなく他にも依頼は出していますよ」
獅子神やユリにも依頼は出した実績は嘘偽り無くある。
「言い分けは見苦しいと言いましたよ。
聞けば六本木家の放蕩娘や外道の獅子神家などのあまりよろしくない者達とも繋がっているそうじゃないですか」
その2人が問題なのか~。ズンと胃が重くなった。
うっすらと思っていたがあんまり評判よろしくないんだな。だが勝てば官軍、仕事は果てしてこそ評価される。
「そういった者達で組んで利権の独り占めを企んでいると勘ぐる者が出てくるのは必然なのでは?」
「そういった懸念もあるでしょうから徐々にツテを広げて依頼も広く出すよう前向きに検討しています。いずれそういった噂も消えていくでしょう」
要は新しく出来た公安からの依頼という利権に食い込ませろという話なのか? だとしたら最初の印象と違って組みやすい女だな。
「そうですか、今はその言葉を信じましょう。なら、こうして会ったのも何かの縁、家のくむはを使ってやってくれませんか?
聞けば丁度事件が起きているとか」
さらりと手駒を進めてくるな。これが今日の訪問の本命で間違いないだろう、まずは此方に楔を打ち込んでおくつもりか。
しかし、このおばさん何処まで事前に調べてきているんだ?
手強いな。
「それは誤った情報ですね」
「そう言いますと?」
「まだ魔の事件と認定されていない、目下調査中の案件なんですよ。
退魔士を雇うかどうかは調査結果次第といったところで、現状では旋律士の出番はないんですよ。
申し出は有り難かったんですが、調査結果を待って下さい」
一旦この場を切ろう、それで俺が完全に主導権を握れる。情報を集めて役に立てるようなら使ってみるし、駄目そうなら疎遠になるだけの話し。
ビジネスに恨みっこ無し。
「私が知らないだけで貴方は旋律士なのですか?」
如何にも残念そうに言う俺に対して猿芝居は辞めろとでも顔を顰めると思ったが、けけは予想外のことを真面目な顔で尋ねてきた。
「いえ普通の一般人ですよ」
この質問の意図は何だ? 全く分からない。
「それが1人で魔の事件を調査するのですか?」
「そうですが? それが退魔官の仕事ですし」
「でしたら尚更くむはを使ってやって下さい。まだ未熟ですが雪月家の娘よりは役に立ちます」
「はい、お母様」
えらく対抗意識が強いが風音家と雪月家は仲が悪いのか?
「いやいや、護衛をしてくれるのはありがたいですが、魔事件でなかったら報酬は一切出ないんですよ」
「構いません。
元々今回は報酬を貰う積もりはありませんでしたし。
まずは我が風音家の実力を知ってください。役に立つと思いましたら我が風音家と懇意にして貰いたいですね」
獲物を一旦逃がしてやるほど甘くない、完全な肉食おばさん。どんな手段を使ってもここで楔を打ち込んでいく気のようだ。
さっき懇意は駄目って言っておいてしれっと懇意にしろと言ってくる厚かましさ。
雪月家との間にありそうな因縁。
無料は確かに魅力的だが、あまりぐいぐい来られると裏があると疑いたくなるのが俺という人間。悪意ある人間しか近付いて来なかった悲しい人生の末路さ。
「困りましたね。それこそ特定の家からの贈賄と勘ぐられかねない。公正を求める者達から糾弾されてしまいますよ」
自分から言い出した大義を持ち出されては容易には反論できまい。
意地でも楔を打ち込みたいのなら意地でも楔を打ち込ませない。幼稚な反発心に見えるかも知れないが、それでこそ相手の意図が見えることもある。意図も分からずこの女と契約するのは危険すぎると勘が告げる。
「なるほど、それは困りますね。
なら諦めましょう」
「そうですね残念ですが・・・」
拍子抜けにあっさり引いたな。ここが最後の勝負と理不尽にごねて食らい付いてくると思ったが、このままだと互いに心証を悪くしただけで終わったぞ。
「なら、くむはを此方の勝手で貴方の傍に貼り付けさせましょう。そして貴方が調査中に魔と遭遇したのならくむはは旋律士として勝手に魔を調律します。
全ては家が勝手にやったこと何の問題も無いですよね」
並みの男ならうんと自然に返してしまいそうにけけはニッコリ微笑んで首を傾げる。
「問題だらけですよ」
「なぜですの?
こちらはくむはの実力を見せられて、貴方が言っていた懸念は全て解消されてますよ。これでも駄目ならもう我が風音家を悪意を持って排除しようとしているしか思えなくなります。
これでも旋律士としては古くから続く名家、敵に回す覚悟はおありですか?」
あるといった瞬間この場で首を刈られる。因縁を勝手に付けておいて拒否されれば俺を刈る道理もへったくれもない覚悟がけけから漲っている。そんな馬鹿なことはしないだろと思うが100%否定しきれない自分がいる。
狂気に呑まれた。
ビジネスの話だと思っていた俺は覚悟が足りなかった。これは目を付けられたら運が悪かったと覚悟するヤクザの商売。必要なのは理屈じゃない。こちらも相応に出血する覚悟。
「そこまでしても次からの案件が取れるとは限りませんよ。あくまで私は適した者を選んでいくつもりです」
首を刈られたら心臓を突き刺す覚悟で言う。
「結構です風音家が雪月家に劣るなんてことはありません」
よほど娘に自信があるのか、一滴も血を流すことなく言質は取れた。
「それとこういったことは一回限りでお願いします。
こんなことをしていては他の者からの信用を失います」
もうどうせ相手は引かないのなら譲れない線引きだけはしておく。でないと双方不用意に戦いが始まってしまう。
線引きをしたこのデットラインを超えてくるのなら此方も戦いを始めるだけ。
「あら、合理的な方だとお聞きしていましたが、信用なんて言葉を使うんですね」
けけは何が壺にはまったのか相好を崩した。
この人こういった気を抜いた顔は文句なく可愛いと思えるのはギャップ効果?
「この業界信用くらい無いと渡っていけないでしょ」
法律だろうが憲法だろうが契約だろうが口約束だろうが、最後は個人が守るか守らないかだ。
「なら信用を勝ち取れるように頑張らないと」
けけは今まで殺意が嘘のように10代では出来到底出せない色気が滲む可愛さで言う。
「分かりませんね。正直公安からの案件はそんなに美味しいとは思えない。なぜそんなに入れ込むんです?」
変化球で正直な疑問を素直に問い掛けてみた。退魔官など俺が殉職してまた途絶えてしまうような儚い存在。そしてその可能性は決して低くない。
そんな事この人なら調べて分かっているはず。
「あなたは今後この世界で要となるかもしれない人。要となってから近付いては遅いでしょう。
ビジネス世界で言えば先行投資ですよ」
俺を足掛かりに先にある公安にガッチリ食い込む気なのか? 退魔官がいなくなればその代わりに風間家がその位置に入り込むとか。
夜道に気を付ける必要が出てくるかもな。
「随分と買って下さる。そこまで言われては断る理由がありませんね。
よろしくお願いします」
お互い立ち上がって和やかに握手を交わすが、交わしたけけの掌は柔らかくはなかった。
どんな思惑で俺に食らい付いてきたか知らないが逆に喰らってやるぜ。
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