陸の孤島

第434話 よっぱらい

 曇天の夜空の下、蜘蛛の子の様に人が蠢く都会で1人の女が叫んでいた。

「ちきしょう、隆のばかやろーー」

 顔は真っ赤でスーツも少しはだけていると、そのOLは見て分かるほど酔っ払っていた。

 彼女の名は内橋、失恋でもしたのかしこたま飲んで叫びながら歩いていた。それでも日頃の習慣を体が覚えていたのか、改札を通って最終電車に乗り込んだ。そして乗ると同時に空いている椅子に座ると速攻で寝込んでしまった。

 年頃の娘が酒に酔ってだらしない格好で椅子にもたれ掛かっているが誰も注意しない。下手に関われば痴漢冤罪になる時代ではしょうが無いのかもしれない。

 駅は埼玉の方に向かう電車で一人一人またいなくなっていく。

 寝過ごしてますよ

「はっ」

 天の声か見かけた車掌が呼び掛けたのかはたまた内なる声か、内橋は呼び掛ける声に反応してはっと目を覚ますと慌てて電車を降りた。

 内橋がホームに降りると電車は躊躇うことなくドアを閉め行ってしまった。遠ざかっていく電車のテールランプを眺めつつ内橋の頭は段々覚醒していく。

「ここどこ?」

 内橋は自分が見知らぬ駅で1人ぽつんと立っている事実に気づき、羞恥に襲われる。

「あちゃーーーーーーーーやってしまった。やけ酒飲み過ぎた。これというのも隆が悪いのよ。クソッ隆」

 内橋は近くの柱に蹴りを入れると少しスカッとした分少し頭が冷えた。

「はあ~しょうがないわね。ここホテルとかあるかしら?」

 終電が行ってしまった事実に嘆きながらも当たりをキョロキョロするが見渡す限り駅以外に灯りは見えず、星空を背景に浮かぶ黒い山の輪郭が見えるだけだった。

「嘘でしょここ何処よ」

 内橋は慌ててスマフォを出すが位置情報どころかNETにも電話にも繋がらない。

「今時スマフォが繋がらない駅なんてあるの信じられなーーい」

 ひとしきり叫んで叫んでいてもしょうが無いと取り敢えず駅の外に出ようと動き出す。

「あれ」

 駅のホームの両側に線路が二本づつ走っている。これはよくあるが、問題は反対側のホームへ行く跨線橋がないことであった。地下道もない。

「そんなどうしろっていうの?」

 田舎なんかだと路線橋も地下道もなくホームから階段を使って線路まで一旦降りてから道を伝って隣のホームに渡る構内踏切と呼ばれるものがある。だが、この駅には線路に降りる階段は無い。しかもご丁寧にホームには線路に降りるなと注意書きがある。例えるならこのホームは線路の海に囲まれ外部と隔絶された孤島である。

 ホームには時刻表とベンチがぽつんとあるだけ。公衆電話も水道もトイレもない。ベンチで休んでいても冷風に晒され朝露に濡れて体を壊す、とても一晩過ごせるような場所では無い。

「どうしよう。こんなところで一晩過ごせないし」

 内橋はきょろきょろ周りを見渡し駅員もいないし終電は行ってしまい電車も当分来そうにない。

 ホームとホームの間はたかが二線路分である。何かがあっても直ぐさま渡り切れる幅である。

「よいしょっと」

 ホームに手を突いてゆっくりと足を伸ばして慎重に線路に降りる。

「さっさと渡っちゃお」

 駅の外に出れば流石に何かあるだろう。特にトイレ、女としてというより社会人として色々恥ずかしいことをしてしまったが、流石に漏らすのは次元が違う。こんな田舎駅で1人ぽつんと漏らした日には女としての自分の中の何かが砕けてしまう。新しい恋を探すどころか倒れたまま老後を迎えてしまいそうである。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんと線路を飛び越える。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんと線路を飛び越える。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

線路と線路の間、ちょっと歩いて再び線路が現れる。

 ぴょんぴょんとレールを飛び越え線路を横切る。

「ちょっと待って可笑しいでしょ」

 まだ酔いが残っていたから気付くに時間が掛かったのか、あり得ない事態に酔っているからだと逃げたのか、内橋本人にも分からない。分からないがいい加減事実に向き合わなくて成らなくなった。

 今まで躓かないように下を見ていた視線を上に上げる。

 すると。

 ずらーーーーーーーーーーーーーーーと地平線が霞むほどに線路が並び、地平線の彼方にホームが辛うじて見える。

「そんな馬鹿な」

 内橋は慌てて振り返ると、背後も地平線まで線路が並んで地平線の端に元にいたホームが見えた。

「酔ってる。私まだ酔っているんだわ」

 現実を逃避しようとした耳に警笛が響いてくる。

「えっ」

 横に視線を向ければずらりと並ぶ線路から隙間無く電車がライトを輝かせ向かってくるのが見えた。

「そっそんな逃げなきゃ」

 逃げなければならないがどちらに? 地平線の彼方を目指すか電車と駆けっこをして逃げ切ってみせるか。

 一世一代の決断、好きな人が出来たと恋人に別れを告げられて了承したとき以上の決断を迫られる。

 走った。

 内橋は斜めに走った。

 ホームを目指しつつ電車から遠ざかる一見合理的な判断だが、所詮人間の足では中途半端すぎた。

 ほどなく脱獄囚を照らすようにライトの輝きに捕らえら包まれ巨大なハンマーで叩かれたような衝撃に襲われるのであった。


 朝の通勤時間。

 踏切は何人もの人間を堰き止めている。

 通せんぼをする遮断棒の前には朝の通勤通学するサラリーマンや学生が待っていた。

「もう早く開いてよ、イライラする。ん?」

 通せんぼを喰らっている女子高生の1人は頬に何か生暖かいものが当たったのを感じた。

「いやっ何、もしかして鳥の糞!??」

 慌てて女子高生が頬を拭うと手が真っ赤に染まっていた。

「何これ血?」

 女子高生は不審に思って上を向くとその顔にゴンッとボール大の物が当たった。女子高生の首はあり得ない方に曲がり倒れ、倒れた女子高生の足下にはコロコロゴロゴロと恐怖に引き攣った女の生首が転がっていくのであった。


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