第428話 全と一

 馬堀は異変を感じて直ぐに逃げ出したが、俺は事態の推移を確認してから動き出した。

 俺が殿なのか馬堀が囮になったのかは結果のみが決める。

 それはそれとして馬堀の嗅覚と決断の早さは見習うものがある。俺としては馬堀を雇った依頼人について是非ともじっくり話を聞きたいこともあり、俺を殿に無事逃げおおせていることを祈る。

 などと考えている内に俺は鏡の迷宮の入口に立った。

「ふう~」

 深呼吸を一つ。

 何かあるとすればここからだろう、俺は警戒しつつ鏡の迷宮に再び入った。入って数歩も進んで行けば、左右に通路が伸びていくのが見えるが、これは鏡に映り込んだ虚像の通路。

 鏡の迷宮は合わせ鏡の無限鏡、俺の姿だけで無く道すら無限に写り込んで増えていき視覚情報を惑わしてくる。

 視覚情報に頼っていては無限に広がる迷宮に距離感を失い無限に延びる通路に方向感覚を失い、迷宮に囚われる。

 入ってきたときは実に苦労させられた。目で見て道を覚えることが出来ない以上、右に三歩、左に二歩といった自分の体を単位にしたマッピングをしていくことで踏破できた。苦労はしたが面白くもあった。

 だが、道を覚えてしまった以上二度目の苦労はない。

 俺は記憶を頼りに一歩一歩鏡の迷宮に踏み込んでいく。

 俺が前に進めば鏡に写り込んでいる俺も前に進む。

 俺が右に曲がれば鏡の俺は左に進む。

 目で見ているとときどきどっちが本当の自分か分からなくなるが、記憶を頼りに機械的に進むだけの実に簡単な作業でクリエイティブさの欠片もない。


 あなたつまらない男ね 


「ん?」

 小馬鹿に囁く声の方に向けばいつもどおりのクールな自分と目が合う。

 そこに映るのは、全く歪みのない0λ反射波面の鏡が生み出す己。

 視覚情報に頼る人間が鏡と認識できるのは鏡が持つ僅かな虚像の歪みを感覚的に察しているから。だが0λ反射波面のパーフェクトミラーが生み出す虚像に歪みはない。

 寸分違わない自分が目の前に現れたとき人は存在が揺らぐ。

 鏡に映る虚像と断言する前に気付いてしまう、鏡に映った俺は右手に銃を持っている。

 俺は右利きで左でも撃てるほど器用では無い。

 余程の理由がなければ俺は右手に銃を持つ。

 ならこれは鏡側から見た実像だというのか?

 あの鏡の部屋が反転したとき既に現実と鏡の世界で入れ替わっていた? 実態だと思っていたのは虚像だった?

 些細な気付きが俺を思考の迷宮に放り込む。知らなければ思わないが、魔を知っている俺は妄想に近い可能性すら考えてしまう。


 本当の自分はど~ちだ?


 迷い出す俺を更に惑わす小悪魔の問いかけが響く。


「こういう時は思考を捨てろ。考えるな、感じるんだ」

 目を瞑り胸に手を当てれば命の鼓動を感じる。

 そうだこれこそがミラージュじゃ無いリアル。

 だが目を開けば目の前には寸分違わない自分。 

 此方と彼方、どちらで感じていた鼓動か分からなくなる。

 人間は視覚情報がほぼと言っていいほど頼っている。それ故に目の前に全く同じ象が現れれば脳が誤認する。

 見ている方が自分に決まっていると思うかも知れないが、目の前に全く同じ象がありその象から見える象も全く同じ。

 つまり向こうに意識を移せば左右逆なだけの全く同じ光景が見える。

 虚像と実像に違いは全くないのだ。

 胸を触ればどちらも触り、鼓動を感じる。

 違いが無い。

 一度惑えば、どちらが自分なのか曖昧になっていく。

 まて、幾ら何でも可笑しいぞ。

 いくらパーフェクトミラージュを前にしたとしても、ここまで惑うわけが無い。

 知らないうち、いやあの部屋が反転したときから魔の力が働いているな。

「やってくれる」

 俺は危機を感じたら情報の収集と一旦目の前の鏡から目を逸らすが、逸した先にあるのも自分の姿。

 どこに視線を向けて自分が映る。鏡の中の自分も鏡に映る自分を冷静に観察している。

 ここは四方に鏡のある鏡合わせの迷宮。

 虚像と実像の区別なく無限に自分が増えていく。

 最初から目を瞑って迷宮に挑むべきだったのか?

 それでも迷宮を記憶している俺なら余裕で脱出出来ただろう。だがそれでは不測の事態には対応出来ない。

 目を開けて突入するしか無かった。

 目を瞑って突入が出来るのは、仕掛けが分かって不測の事態が起きないことが約束されているときのみ。

 結論として俺に落ち度は無い。

 ならば仕方ない。後悔は無意味。打開策を考えるだけの事。

 さて、どれが俺なんだ?

 悩めば無限に増えた俺も悩む。

 あそこから二番目に映る自分が本物だと思えば、そこから見ている視点に変わるが、結局は見える風景は同じ。もはや視点を何処に置くかの主観的違いしか無い。

 逃げ場無く無限の自分が自分を包囲する。


 さあさあ、本当の自分はど~れだ?


 再び小悪魔の声が響いてくる。

 しかしそもそもこれは問題なのか?

 これだと思えばその像の視点になり、そこから同じ世界が広がっている。目を瞑り胸に手を当てれば鼓動も感じる。

 実像と虚像の区別なく等しく俺だと言うなら。


 全て俺でいい。


 へっ?


 今までこちらを小馬鹿にしていた声に初めて戸惑いの響きが生まれる。

 全て違いなく俺だというなら全て俺でいい。虚像とか実像とかの違いは細かいこと。

 どれを選んでも同じなら、全てを選んでも同じ。

 逆転のイメージ、どれか一つを選ぶんじゃ無くて全てを選ぶ。

 俺は無限に増える俺の像全てに意識を乗せる。

 なっなんだこれは!?!

 難しい問題が解けて視界が広がった感覚。

 出来なかったことが出来るようになった高みに登る感覚。

 今まで俺が経験してきた経験が霞むほどの一皮も二皮いや次元を超えるほどの感覚。

 世界の宇宙の果てまで意識が行き渡る、全能感に包まれていく。

 これがシャカが体験したという悟りなのかもしれない。


 全てであり一である。


 無限の俺達は思考を並列させ、こちらを馬鹿にする声の在り処について推察を開始し、余力で記憶通りに鏡の迷宮を機械的に歩く作業を始める。


 ちょっちょっとどれが本物の自分か気にならないの?


 人はもう一人の自分の存在を許せない生き物だ。

 ドッペルゲンガー、双子の確執など昔からそれを題材にした物語は数無数にある。

 唯一無二と保障されている自我の存在が脅かされることは恐怖でしか無い。だが歴史上にはそれを克服した人物もいる。

 シャカだ。

 シャカは自我ですら捨てろと説いた。

 自我に拘らない生き方。

 彼に習えば、どれがオリジナルかなんて小さいことだ。


 普通そんなの耐えられない気が狂う。


 そうか? 実に晴れやかな気分だけどな。


 そんなの錯覚まやかしよ。薬でラリっているときに自覚できないのと同じよ。自分が壊れてしまう前に辞めなさい。


 ん~、もしかして俺の心配をしてくれるのか?


 ちっ違うわよ。遊び相手がいなくなったらつまらないと思っただけよ。


 そうか、そうか。意外とさみしがり屋なんだな。


 だから、遊び相手がいなくなったらつまらないと思っただけよ。

 べーーーーだっ。


 俺は初めてこの少女を殺さなくて良かったと思った。

 この少女が感じているのは不安、そして寂しさ。

 勝負に勝ったらお尻ペンペンくらいで許してやるか。


 並列思考し歩く俺の前の床に馬堀の身体が転がっていて、何があったか一瞬で推察できた。

 この場堀は実態? それとも虚像の世界に捨てられた馬堀の一つに過ぎないのか。

 無限の俺の1人が馬堀がこの場に転がってない世界を認識、馬堀はその世界を選んだようである。その世界で追いかければ意識ある馬堀を捕まえられるだろうが。

 ・

 ・

 ・

 時間の無駄だな。

 そんなことにリソースを割きたくない。

 今の俺は全能感に包まれ至福を感じていた。

 今の俺なら宇宙の真理すら解き明かせそうだ。

 凄い凄いぞ。今まで幾ら考えても分からなかったことがスイスイ解を得られる。

 難解な公式が理解出来。

 苦労していたアルゴリズムが組め。

 新装備の複雑なギミック。

 これなら5次元、宇宙の真理すら解けるかも知れない。


 かつて無い興奮と快楽に高揚していた俺だったが、それは突然に終わった。

 いつの間にか鏡の迷宮から出てしまったのだ。

 この世界が元の世界でこの俺がオリジナルなのかは分からない。だがオリジナルが別の世界にいたとしてそれはもう俺とは別の存在、この世界においては俺は俺で有り俺がオリジナル。

「やるぞ」

 俺はメモ帳を出すと数々の得た真理を理解出来ている内に書き込んでいく。ついでに推察が終わっていたエシラの居場所も書き留めておくのであった。

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