第427話 虚像と実像
「なんだありゃ? 三十六計逃げるに如かず」
馬堀は部屋の雰囲気が変わりだしたのを感じたときには逃げ出していた。なんだかんだで好奇心の所為か事態の推移を観察してしまう果無にとは決定的に違う。この危機察知能力と決断の早さでこの男は裏よりの探偵を営み今日まで生き残っている。今回の依頼だって、依頼人からはエシラの保護と聞いて仕事を受けている。例えその依頼に裏がありそうと思っても口に出すことは無い。そこもまた果無と違う。
馬堀は鏡の迷宮を走る。この男もまた裏社会で生き残っているだけはあり危機察知能力だけでなく、腕もありそれなりに頭も切れ用心深い。馬堀は鏡の迷宮を記憶するとは言わないが、ポイントポイントに印を残しておいた。馬堀は目印を頼りに鏡の迷宮をスイスイと進んでいく。
「退路の確保、これ常識ってね」
そんなに怖いなら部屋に籠もってればいいのに
「あっ」
小馬鹿にする囁く声の方に向けば馬堀は怒りの形相の自分と目が合う。
そこに映るのは、全く歪みのない0λ反射波面の鏡が生み出す己。
資格情報に頼る人間が鏡と認識できるのは鏡が持つ僅かな虚像の歪みを感覚的に察しているから。
だが0λ反射波面のパーフェクトミラーが生み出す虚像に歪みはない。完全な自分の像が生み出されている。
「おっ俺?」
パーフェクトミラージュを前に馬堀は一瞬自分がどちら側にいるか惑う。
本物ど~ちっだ?
「そんなの考えるまでもねえ~身体を感じる方に決まっている」
そう、体を持っている実感がある。
目を瞑り胸に手を当てれば命の鼓動を感じる。
そうだ俺こそが本体。
だが目を開けば目の前には寸分違わない自分。これは現実側から見た像なのか、もしかしたら鏡側から見た像なのかもしれない。
此方と彼方
どちらで感じていた鼓動?
此方と彼方どちらも胸に手を当てている。
馬堀は自分の腕を抓る。
抓れば感じる痛み。
此方と其方
どちらで感じた痛み?
抓って痛みを感じなければ夢幻と言えるが痛みは感じ、此方と彼方どちらも抓っている。
どっちだどっちで痛みを感じているんだ?
人は普段気にしない癖に一度気になると何処に自分の自我があるか気になって夜も眠れなくなる。
感じる自分と言うが感じる自分を明確にすることは希。大概の者は漠然としている。
異なる風景が広がる視界の見えない裏側に自我があるとくらいしか思ってない。ならば目の前に完全な自分が現れれば自我の行方が揺らぐのは必定。ましてどちらも自分美味し通りに動く。
「くそっ」
馬堀は危機を感じたら逃げるとばかりに鏡から目を逸らすが、逸した先にあるのも恐怖に慄いている自分の姿。その姿の後ろには背を向ける自分が写り、その先には此方を向いて恐怖に慄く自分。
ここは四方に鏡のある鏡合わせの迷宮。
虚像と実像の区別なく無限に自分が増えていく。
どれが俺なんだ?
あそこから二番目に映る自分が本物だと思えば、そこから見ている視点に変わるが、結局は見える風景は同じ。もはや視点を何処に置くかの主観的違いしか無い。
逃げ場無く無限の自分が自分を包囲する。
さあさあ、本当の自分はど~れだ?
再び響いてくる小悪魔の声に苛立ちだち馬堀はやってはいけない怒りで決断する。
「くそっ俺をバカにするな惑わすな。
言われなくたって分かるに決まっている。
これが俺だ」
馬堀は自分で自身を選び取り走り出した。
元の場所、元の三次元空間には意識が抜け倒れた馬堀の身体が取り残され、鏡の向こうには走り去る馬堀の像が映っていた。
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