第415話 猫

「夢だったのか?」

 確かに夢だったと思えば納得する内容だが、なら疼くこの足は何を意味する?

 足を見て思う確定させるのが怖い。

 シュレーティンガーの猫がじゃないがこのまま夢か現実かあやふやの状態のままにしておきたい。

 だが逃げは後で多大なツケを払わされることになる。俺は靴を脱ぎ足の裏を見ると靴下は乾いた血で赤黒くなっていた。

 これで夢の世界が確定された。

 もう現実に何の影響を与えない俺だけの夢と言っていられない。俺はエシラという金髪少女を探し出さなければならない。探し出さなければ首を落とされる。いや不条理な夢の世界じゃないんだ白兎を返り討ちにしてやることだって可能なはず。もっと言えば逃げたっていい。

 選択肢は無限のオープンワールド。

 姫を探し出し

 お宝を手に入れて

 悪党をやっつける

 冒険者迫の不思議のホテルを舞台にした夢の世界の大冒険が始まりだ。

 ホップステップジャンプの三段活用で直ぐさまプリンセスエシラを探しに行きたいところだが、まずは治療だな。フロントに行って包帯と消毒薬を貰ってこよう。


 部屋から出て廊下を歩いていると向こうから来る男と何気なく目が合った瞬間、全身に戦慄が走って脳が痺れた。

「同業だな」

 中肉中背だがスーツの下の体はボディビルダー並みに膨らんだ筋肉を無理矢理凝縮したような密度を感じる。

 なぜそんなことをするのかといえば、答えは一つ擬態する為だろ。強そうに見えた方が色々と都合良い世の中わざと弱く見せる理由はただ一つ、油断させ不意を突く為。

 まあ今回は俺の感が見抜いたので不発になったようだが、油断したまま此奴に背中を晒したら愉快なことにはなってなかっただろう。

 そんな必要がある人間の職業なんて限られている。

 確かにそっち側に俺は一歩踏み込んでいる。

 男に相対して自然と腰が沈む。

「おっと手を出すつもりはない。俺の擬態を一目で見破る奴と戦ったら無事じゃ済まないからな。

 獲物は早い者勝ちだ、お互い恨みっこ無しで行こう」

 獲物?

 早い者勝ち?

 意味不明な単語を男は勝手に口走り男は勝手に自己完結した。だがそう言いつつも男に隙は無く、逆に此方が隙を見せれば容赦なく牙を剥いていくる気配がある。

 殺し屋。

 そんな言葉が浮かんだ。

 果無 迫は正義の勇者じゃない。

 果無 迫は一等退魔官。その権限はユガミや魔人などの魔関連の事件の時のみ警部並みの権限が与えられる半官半民の公安。理系大学生の俺が公安になった理由は社会正義の実現の為なんかでも因縁の過去の復讐なんてものでも無い。

 ただ惚れた女を振り向かせる為、命を賭ける一般人。

 そんな俺に偶然出会った殺し屋のターゲットがこのホテルにいたと分かったとしても俺が命を懸けて防ぐ義務はない。精々警察に通報するくらいだ。

 互いに油断なく互いに隙を伺い廊下をすれ違い離れていく。

「どうなっているんだ!?!」

 殺気で脳が痺れたおかげで桃色の霞が掛かっていた脳が晴れ渡った。

 果無 迫は一等退魔官。その権限はユガミや魔人などの魔関連の事件の時のみ警部並みの権限が与えられる半官半民の公安。理系大学生の俺が公安になった理由は社会正義の実現の為なんかでも因縁の過去の復讐なんてものでも無い。

 ただ惚れた女を振り向かせる為、命を賭ける一般人。

 そんな俺はこのホテルに何しに来た?

 バカンス?

 冒険?

 違うだろ。

 大原達と合流し幼児化した島村達の様子を確認する為だったはず。

 新米コンシェルジュ大原?

 違うだろ。

 何を認識していたんだ俺は白昼夢でも見ていたのか?

 今ならハッキリと思考が出来る。

 このホテルは客を狂わせる。

 果無 迫は一等退魔官。その権限はユガミや魔人などの魔関連の事件の時のみ警部並みの権限が与えられる半官半民の公安。理系大学生の俺が公安になった理由は社会正義の実現の為なんかでも因縁の過去の復讐なんてものでも無い。

 ただ惚れた女を振り向かせる為、命を賭ける一般人。

 繰り返し己を再認識しなければいつまた自己認識をすり替えられるか分からない恐怖。

 今すぐ脱出するべきだ。俺の唯一といっていい武器である思考を狂わされた。今すぐホテルから逃げ出して旋律士を引き連れてくるべきだ。

 時雨、いやユリで良い。調律なんて知ったことかこのホテルごと爆破してやれば謎もくそもない。

 撤退に恥もクソも無い。

 俺が走り出そうとした時だった。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 先程の男が向かった方から絶叫が上がった。

 前に踏み込んだ足を軸に180°ターン。

 俺は絶叫した方に体が向いていた。そして一歩踏み出す前に、背後から口を塞がれた。

「ふぐっ?」

 この俺がいとも簡単に背後を取られた? このままではナイフ一本で首を搔き切られる。

「抵抗はしないで下さい」

 俺が動こうとするのを察知したかのように声が掛かる。

 この声、コンシェルジュのソフィア?

「百鬼夜行です」

 百鬼夜行?

「人間の姿のまま見ては命はありません。この仮面をお被り下さい」

 俺は背後から何かの仮面を付けられた。

「さあもう大丈夫です。その廊下の角からそ~と覗いて下さいな」

 逆らっても碌な事にはならないな。

 言われたとおり廊下の角からそっと覗く。


 祭りで行列を為す男達に棒で支えられ踊る竜のように、男は体中を串刺しにされ行列を為す白灰黒斑と各種揃った兎達に串刺しにした棒で支えられ空で踊っていた。

「えいやえいや」

「ほれほれほれ」

「よいしょよいしょ」

「せいやせいや」

「ぎゃああああああ、ころしてくれえええええええええ」

 男はまだ死んでないようで掛け声に合わせて体を上下させられる度に絶叫を上げていた。

 そして廊下の角を曲がって消えていった。


「もういいでしょ」

 声を掛けられ振り返ると予想通りコンシェルジュ ソフィアがいた。

「足を怪我なさってますね。医務室で治療しましょう」

 取り敢えず大人しく付いていくと学校の保健室のようなホテル内の医務室に辿り着いた。

 ほっどうやら拷問室や処刑室ではなかったようだ。

「営業はここまでだ。

 さっさと椅子に座って靴を脱げ」

 急に口調がぞんざいになったソフィアに言われたとおり丸椅子に座って裸足を差し出すと、ソフィアは慣れた手つきで消毒液し薬を塗っていく。

 痛みが少し和らいだ。

「なんでお嬢様がお前如きを認めたのか未だ理解出来ないな」

 ソフィアは包帯を巻きながら言う。

「?」

「あの絶叫を聞いて一目散に逃げるチキンだったら、勝負を待つまでもなく白兎に代わって私が首を狩ってやったんだが、お前は振り返った。

 ギリギリだったな」

 夢の世界の出来事を知っていることも驚きだが、ギリギリという言葉の不吉さに霞む。

「ギリギリ我慢出来た」

 我慢出来なかったら俺の首はあの瞬間に搔っ切られていたんだろうな。

 好奇心猫を救う。

「隠れん坊に勝ったら認めてやろう。

 精々足搔け」

 果無 迫は一等退魔官。その権限はユガミや魔人などの魔関連の事件の時のみ警部並みの権限が与えられる半官半民の公安。理系大学生の俺が公安になった理由は社会正義の実現の為なんかでも因縁の過去の復讐なんてものでも無い。

 ただ惚れた女を振り向かせる為、命を賭ける一般人。

 頭がまともな内に営業を辞め素に戻ったソフィアに一気に尋ねる。

「大原達はどうなったんだ? 他のみんなも無事なのか?」

「悪いが人手不足でな。当ホテルにスカウトさせて貰った」

 まだ生きてはいるようだな。

「責任者の俺に一言の断りも無くか」

「弱い奴が吼えるなよ。見限られた方が悪いだろ」

「なら俺が奪い返しても文句はないな。

 ついでにエシラのバージンロードも奪ってやるよ」

 殺気を感じたときには掌に激痛が走っていたが俺は逆の手でソフィアの顔面にカウンターを放つ。

 拳に僅かな手応え。

 この間僅か1秒にも満たない攻防。こんなの凡人の俺に対応出来る限界を超えたバトル。大事にしてそうなエシラを出汁に挑発すれば首筋を狙ってくるだろうと予測し、挑発してからの行動は全て定めておいたとおりに動いただけ。

 やっと事態の認識が出来たときには俺の左の掌はナイフで貫かれていて、後方に飛び去っていたソフィアの顔面には僅かに殴られた跡が残っていた。

「おいおい、こんな美女を睨むなよ」

「モテないんでな。美女を前にすると緊張してしまうんだよ」

 こんな怖い女とハイさよならできるか。フリーにさせたらいつ寝首を搔かれるか分かったもんじゃ無い。

 視界に捕らえている今この場で始末する。

 挑発は成功し、この女の武器を一つ奪い間合いを取らせた。接近戦で勝てる気は全くしないが銃を使った戦闘ならワンチャン在る。

 後はいつ銃を抜くかだけだ。

 焦るなよ、銃だけが俺のアドバンテージ。

「ギリギリだな。ギリギリだが私とクロスレンジでダンス出来た褒美に聞かせてやろう。

 私の名はソフィア・チェシア。

 私の仕事は迷い込んだ鼠を始末すること」

 にっと笑うソフィアの笑顔に益々ここで決着を付けるしか無いと決意が強まった。

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