第410話 改心

「夕飯の仕度は終わっている。直ぐに夕食にするか、それとも先に風呂に入って汗を流すか?」

 笑顔で出迎えてくれる飯樋、流石にそれとも私とまではいわなかった。それでも帰宅して誰かが出迎えてくれるのは、いつ以来だろうか。普通の連中には当たり前のことだろうが俺には有り難きこと。

「汗だくなんだ。悪いが先にシャワーを浴びさせてくれ」

 俺を殺す気ならこんな真似しないで部屋で気配を顰めて奇襲すればいい。少なくとも俺に何か用があるのだろう。だったらシャワーを浴びたい。正直昨日から山の中を駆けづり回って汚れと汗で気持ち悪い。

「おっおかえりなさい」

 ん?もじもじとした声の方を見れば野上がいた。てっきり己の悪行に潰されたかと思っていたんだが助かっていたようだ。

 しかしこれが野上なのが? あの自信と悪意に溢れていた顔からすっかり険が取れてあどけなさすら感じる。

 まあ島村達同様大樹と一体化した影響なのだろう。ただ時間が短かったからか島村達ほど幼児化はしてないようで、このまま学校生活を再開出来そうだ。

 天夢華の配下になった同級生は地獄で砕け散り、虐めた望月は幼児化で社会復帰は困難だというのに、やりたい放題していた野上はこの結果。勧善懲悪など夢物語だと実感させてくれる。だからといって俺が報復することもない。色々とされたが、それを利用したのも俺だ。

「2人で夕飯の用意しておくからシャワーを浴びてきてくれ」

 飯樋は野上を伴い台所に戻っていった。


 兎に角シャワーを浴びたいと勝手知ったる我が家だ着替えを用意して浴室に向かった。

「ふう~」

 体にこびり付いた汗や土汚れが洗い流れさっぱりとした。湯船に浸かりたいところだが、流石にそこまで気を抜く勇気は無い。体をよく拭いて洗濯された清潔な衣服に着替え、スッキリと清潔に包まる。それでだけで気持ちよく高揚する。気分良く脱衣所から出ると野上が全裸土下座していた。

 高揚した気分を台無しにしてくれる。

 頭と両手は床に付けられうなじから尻までの肌が晒されている。衣服は直ぐ傍に綺麗に畳まれている。

 全裸土下座である。

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「何のマネだ?」

 聞きたくないが聞かなければ進まない。俺は声を振り絞って尋ねた。

「申し訳ありませんでした。

 自分の幼稚な心で多大なるご迷惑をおかけしました。こんな事で許されるとは思ってませんが、まずは誠意を持って謝罪します」

 横目で飯樋を見れば飯樋でさえも首を左右に振ってドン引きの顔だ。

 大樹の影響で改心して謝罪までは理解出来たとして、なぜ裸土下座なんだよ。いや大樹の影響で悪意を生み出す記憶や思考を消された影響か。

 野上は今までもこうやって何人も最大の誠意を見せろと裸土下座をさせて尊厳をいたぶってきたのだろう。それは野上本人にとっても忘れがたい愉悦の記憶。故に消されることなく残ったのだろう。解放され脳が消された記憶と思考を急ぎ穴埋めする中裸土下座は最大限の謝意と脳内で改竄されたのだろう。

 碌でも無い人生を歩んできた自業自得。此奴がやってきたことを思えばこんな事で許されるものでも無い。

「俺がいいと言うまでそのままでいろ」

「すいませんでした」

 野上は俺に言われた通り頭を床に付けたまま姿勢を崩さない。本当に野上なのかと疑うほどの素直さだ。


 俺は野上を放って置いて本題に入るべくテーブルに付いた。飯樋も野上を無視して夕飯の準備をしていく。

 俺の前にはいい匂いが立ちこめる料理がずらりと並べられた。芸達者な奴だ。

「食べる前に要望を聞こう」

 毒は入ってないと思うが敵を前にしてのんびり食事をする気には成れない。

「あの女の所為で救済された人達が次々と苦界に墜とされていった。あなた達が好き勝手に暴れている間私は大樹の制御を取り戻そうと必死だった。」

 まあ天夢華は恨まれて当然だろうな。この男を敵に回すとは可哀想に。

「なんとか制御を取り戻し苦界に墜とされるのを止められた時に、あれが起こった」

 あっ俺も恨まれている?

「大樹どころではなくなった。墜とされた彼女達を救い出すのに手一杯になってしまい、終わったときには大樹はどこかに消えていた」

 この話し的に野上も飯樋が救ったということか。品性方正な俺には救いの手は無かったというのに品性下劣な野上は本気で星の廻がいいな。

「別の狭間に流れていったか。制御を取り戻したと言っていたが新たに人を襲うことは無いのか?」

「あれは心が弱った人を山に誘い込み首を括る恐ろしい首縊りのユガミだ。あそこにあった葦遊神社は首縊りのユガミを祀り封印する為に建てられた」

 首を括られ足が機能を果たすことなく遊んでゆらゆら揺れる。足の隠語で葦遊神社。最初に調査に行くのが正解だったようだ。そうすれば野上や天夢華などという遠回りをすることなく事件を解決できたかも知れない。

「それを見付けた私はその特性を活かし変質させ制御することに成功した」

「それでやったのが少女の神隠しか」

「救済だ。君達に目を付けられなければ、これからも傷付いた人々の救済を続けていただろう」

「昔ならいざ知らず、これだけ高度に発達した社会では俺が気付かなくても誰かが気付いていたさ」

 場合によっては問答無用の旋律士が派遣されたかも知れない。そういった意味では話の分かる俺が派遣されたことは飯樋にとっては幸運なことだった。

「残された者の執着を断ち切るのは難しい、今後の課題だな」

 本人は良くても残された縁者は騒ぎ出す。あの薄情そうな栗林すら思いだし探そうと動き出したんだ、人の縁を切るのは難しきこと。

「今度からは俺のような孤独な人間だけを救うんだな」

 俺の言葉に飯樋は苦虫を潰したような顔になったが気を取り直して口を開く。

「話を戻そう。

 制御を取り戻した以上人を襲うことは無いだろう。一体化した彼女達と共に静かに在るだけだ」

「犠牲者が出ないのは幸か不幸か、なら公安に情報は入ってこないだろう。そうなると俺が力に成れることはないな」

 情報があってこそ動けるのが俺だ。何処にあるか分からない狭間に潜むユガミなど俺では絶対に見付けられない。

 新たな犠牲者が出ないのなら俺はもう探さない。大樹に囚われた彼女達はあのままが幸せなのだろう。今更戻ったところで苦しむだけだ。幸せなまま朽ちるがいい。

「其方は時間を掛けてでも自分で探し出す」

「そうか」

 てっきり大樹を探すのを手伝ってくれたと思ったが違ったようだ。

 なら目的は何だ?

 ある意味ユガミを探すより厄介なことを言われそうな予感に折角汗を流した背中に汗が浮かぶ。

「あなたも墜ちた彼女達を助けたようだから分かるだろう。彼女達は純真無垢だ。とても苦界で生きていけない。誰かが世話をする必要がある。

 彼女達が生きていける場所を用意して欲しい」

 やはりか。飯樋の人柄と目的を考えれば簡単に導き出せる。

「何人だ?」

「私が救えたのは5人」

 それが悟ったお前の執着。金も権力も名誉もお前を縛れないが彼女達はお前を縛る。

「対価は? まさか俺がお前みたいに無償の愛を持っているなんて思ってないだろ」

「無条件にとまでは言わないが私の力を貸そう」

 記憶を消す能力。喉から手が出るほど欲しい能力だな。

「彼女達の戸籍は残っているのか? 時間が経ちすぎていると戸籍が消えている可能性もある。その場合普通の生活に戻るのは困難になるぞ」

 普通に家を借りるにも仕事に就くにも日本では戸籍が居る。

「彼女達は全てを忘れているし、私も知らない」

 本名すら忘れているなら戸籍が残っているかすら調べるのは困難だな。新しく戸籍を用意するとなると国に頼るしかないか、五津府か。だが安易に五津府に頼るとますます国に縛られる。それは避けたいところだな。

「どこかの施設に隔離するというのは駄目なのか? 外界から隔離されて植物のように生きられるぜ」

 思い付く限りでは一番現実的だ。上手く立ち回れば魔の被害を受けた者として国に面倒を見させることも出来る。

「それは大樹と一体化して我が消えたからこそ得られる幸せ。彼女達は我を取り戻しつつある。それは地獄だ」

 意外と注文が五月蠅い。

「俺になんか頼らないでその力を使って大金を稼いだらどうだ? それで彼女達を養うのが現実的だな。

 資本主義社会だ金があれば大抵はなんとか出来る」

 記憶を消す能力は惜しいが俺はこの案に安易に乗る者なら切り捨てるつもりで提案した。危険な力を持っている者を仲間にするなら見極めは大事だ。

「私も世界を知っている身。苦界で生きる以上綺麗事だけで済まないことは分かっていますが、無理です」

「なんでだ? 記憶を消せるんだろ」

「逆に聞きますがこの力でどうしろと?

 ヤクザでも襲って金を奪えとでもいうのですか? そんなことを繰り返していてはその内誰かが嗅ぎ付けます。またシン世廻などの組織が来るかも知れませんし、それよりもっと厄介なあなたが来るかも知れない。

 私としては出来ればあなたを敵に回したくないですね」

 やはり能力に溺れた愚か者じゃない。これなら組むに値する。

「条件を整理すると彼女達に平穏な生活を送らせて欲しいというが、苦界においてそれがどんなに難しいか知っているだろう。誰もがそれを望んで苦しんでいるんだぜ」

 ヤクザですら大金を稼いだらリタイヤして静かに暮らしたいのが普通だ。修羅の世界にずっと居たい者は滅多に居ない。

「条件を飲めないと?」

「条件を下げろ。ある程度の彼女達の面倒は見るが、平穏な生活を掴めるかどうかは彼女達の自助努力にして欲しい」

 正直そこまで面倒を見れる者など神でそこまで面倒を見ようとする者は目の前の飯樋くらいだ。

「いいでしょう」

 飯樋はあっさり承諾した。

「安請け合いされるよりは信用できます。

 私は彼女達の生活支援が行われている間あなたに力を貸しましょう」

 最初からここらを落とし所にしていたな。食えない奴だ。

「契約成立と言いたいが、最後に確認するがあれは契約の内なのか?」

 俺は裸土下座をしたまま微動にしない野上を指差す。

「彼奴は記憶もそんなに失ってないようだし親も健在だ。戻れば戻れる」

「彼女の性根はそんなに変わってません。戻せば以前の彼女に戻ってしまうかも知れませんがいい方向に行く可能性もある。

 彼女にチャンスをあげてくれませんか?」

「分かったチャンスを一度やろう。それ以降は何も保障しない」

 もう一度敵対するようなことがあれば今度こそ遠慮はしない。

「分かりました」

 飯樋の了承を得て俺は立ち上がり野上の元に行く。

「聞いていたな」

「はい」

「本当なら少年院にでも放り込みたいくらいだが、飯樋の顔を立てて一度だけ謝罪を受け入れよう」

 俺の殺害を委託した罪を俺は許そう。俺が許せば俺の報告次第で公上は無かったことに出来る。

「はい」

「後はお前の自由だ、家に帰るなり好きにしろ」

「なら私に今までの悪行の贖罪をする機会を与えて下さい」

 喜び勇んで顔を上げるかと思えば裸土下座をしたまま可笑しな事を言い出した。

「具体的に?」

「あなたの仕事を手伝わせて下さい」

「俺の仕事は命に関わる。軽く死ぬぞ」

 脅して忠告する本音は俺がヤダ。以前の野上を知る俺としては寝首を搔かれそうで絶対に部下にしたくない。

「そうで無くては贖罪になりません」

 野上は怯むことなく即座に返してくる。

「お願いです。贖罪のチャンスを下さい。やれといえばパパ活をして資金を稼ぎます。あなたの肉人形にだってなります。

 ですからどうかチャンスを下さい」

 なにこれ、ここまで贖罪に拘る理由が分からない。新手の俺への嫌がらせか? だとしたら非常に効果的だな。

「分かった。必要なときに声を掛ける」

 飯樋との約束がある以上こう返事するしかない。まあいい辛い仕事を与えて逃げ出すように仕向ければいい。

「ありがとうございます」

 野上は満面の笑みで顔を上げた。

 人間が本当に改心するなんて事があるのか?

「では早速夕飯の準備をしますね」

 野上はいそいそと服を着出すのであった。

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