第406話 ノア

 心臓がぐにゃっと潰れ、涼月の目鼻耳恥腔肛門毛穴臍と穴という穴から血が噴き出し、口からは美しいソプラノが響き渡った。

 アッアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 神の言語なのか律を持って響き渡っていく。

 

 やがて白銀の姫の全身が塗りむら無く真っ赤に染まって屠殺された獣のようにぐったりとなった。俺は手を下ろして涼月を抱き抱えればべったりと俺の体も血に染まる。

「あなた涼月に何をしたの?」

 天夢華が怒りを抑えた感じて問い掛けてくる。

 確執はあったが天夢華が涼月を愛していたのは本当のようだな。

「慌てなくても直ぐに涼月が望んだ世界が見えるさ」

 ぽつ ぽつ ぽつ

 言ってる傍から天から雨が降り始め、雨粒の当たった俺の頬が赤く染まる。

「赤い雨?」

 巫女の祷りに答えるように雨が天より降り始める。

 祷りは届いた。

 あとは天命を待つのみ。

「これが何だというの?

 こんな雨が涼月が命を代償にする価値があるというの」

「お前が決めることじゃない」

「したり顔で、お前が決めることでも無いわ」

「そう。涼月が決めることさ。静かに待つがいい」

 話をしている間にも血の雨はドンドン強く降り出していく。

 血の雨が世界を赫く染め大地に血溜まりを作っていく。

「天夢華様この男は危険です。好奇心猫を殺す。申し訳ありませんが、ここで速やかに始末します」

 俺と天夢華の会話に焦れた朱矢が割って入ってきた。

「その判断は遅かったな。もう俺を殺そうが殺すまいが世界は裁かれる」

「だとしてもお前は危険だ。行くぞっ」

 朱矢は前に踏み出そうとして踏み出せなかった。

「何が?」

 振り返れば朱矢の足首を血溜まりから生まれた腕が掴んでいた。驚く間にもにゅ~と血溜まりから次々と腕が生えて朱矢の体を掴み弄り出す。

「あっなっなにを、辞めろ気持ち悪い」

 朱矢の叫びに答えるように血溜まりから顔も浮かび上がりてニタ~と朱矢を見て笑う。

 浮かんだ顔は中年男性。

 朝の電車に乗ればよく見る中年の疲れたサラリーマン。

 それが次々と血溜まりから浮かんでくる。

 中年の顔に見覚えがあるのか朱矢の顔が恐怖に染まった。

「この醜い痴漢共が焼いて地獄に送ってやったのに迷いでたか。ならばもう一度焼いてやる」

 朱矢の意識から俺はすっ飛んだようで、俺そっちのけで血溜まりに浮かんだ中年の顔を焼くのに必死だ。だが朱矢に燃やされても血溜まりに浮かんだ顔はニタニタ笑うだけで、お構いなく朱矢の体を血溜まりに引き倒して弄ぶ。

「くっくそ。馬鹿にしていた女に負けて迷い出たか」

 ながかは周りの血溜まりから生えてくる腕や浮かんでくる顔を片っ端から長刀で切り払っている。しかし切っても切っても絶えることなく生えてくる腕にながかも捕らえられ血溜まりに引き倒される。

「ちょっと離しなさいよ」

「やめてやめて」

「御免なさい御免なさい」

 朱矢とながかはリーダー格だけあって気を持って対抗出来ているようだが、その他の少女は少女に過ぎなかった。過去に肥大化した自意識で葬り去った男達の顔が血溜まりから浮かんで恨めしそうに見られただけで泣き叫んでパニックを起こしている。そして腕は容赦なく少女達を掴んで血溜まりに引き釣り込んでいく。

「ああ、ああ何て悲しい光景なんだ。だからこそ彼女達は大樹に抱かれて居るべきだったんだ」

 少女達が慚愧の叫びを上げながら血溜まりに引き釣り込まれていく光景に飯樋は哀しみを上げていた。大樹のコントロールを奪い返そうと大樹の根元にいた飯樋の周りにも過去殺めた者達が浮かび上がり飯樋を引き釣り込もうとするが飯樋はされるがままに自然体で受け入れていた。

 これが過去の罪と向き合ってきた者なのか。

「この醜い光景が涼月が望んだ世界だというの?」

 天夢華はこの光景が耐えがたいとばかりに言い、彼女の周りの血溜まりからは男だけでなく少女達の顔も浮かび上がってきている。

「かつて神は堕落した人に怒り七日と七夜雨を降らせて世界を沈めた。その際に心が清らかだったノアの一族だけは使命を授けて救った」

 俺の周りにも顔が浮かび上がりだしていることから女神様は俺を清らかなる者として救ってはくれないようだ。

「あの娘の本来の怒りは男だけに向いていたはず。

 お前が彼女を歪めたのか」

 天夢華の目に憎しみが込められている。

「失礼だな。

 俺はお前によって歪められた彼女を本来の彼女に戻しただけだぜ。

 彼女の運命に介入して歪めたのはお前の方だ」

 あんな力に目覚めさせられなければ彼女も日の光の下を歩く人生があったのかも知れない。

「あなた冷酷ね。自分に出来たから他人も出来ると思っている、他人に要求する。

 誰しもあなたには成れないのよ。あの時の彼女に私が手を差し伸べなかったら、彼女の輝きは失われていたわ」

「俺が冷酷ならお前は傲慢だな。

 彼女ならお前がいなくても自ら輝きを取り戻していたさ」

 汚泥の中からこそ美しい蓮が咲く。

「今度会ったらその澄ました顔が二度と出来ない快楽を刻んであげる」

「それは楽しみだ」

 俺は既に膝上まで溜まった血の池の上に涼月をそっと浮かべる。涼月は血の池の上に天使の羽根のように浮かんで1人流れていく。

 そして俺を罪が掴んで一気に血の池の中に引き釣り込まれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る