第399話 悟り

「さて、あなたも大樹と一体となって永遠の救済を得るのです」

 大樹から蔦が降りてきて地面に寝転がる果無を包み込もうとする。

 本来幾ら飯樋が記憶を消そうとも、次の瞬間には肌が感じ耳に聞こえ目に写り記憶が刻まれ人生が始まり人は苦しむ。だからこそこの思考が無い状態で大樹と一体化させて永遠に思考すること無き状態を維持させるのが飯樋の救済である。

 蔦に括られれば少女達同様二度と思考すること無き肉の植物が生まれる。

 蔦が果無に絡まろうとした瞬間、果無は跳ね起きた。

「なっ」

 果無は飯樋を敵と覚えていたかのように真っ直ぐ飯樋に向かい出す。

「記憶は確かに消したはず?

 無意識で私を敵と認識した? 魂に刻まれているとでも言うのか?」

 飯樋が驚いているうちに果無は間合いに入り込み拳を突き出す。それは武術を習った者とは思えない動き、ゴリラが放つ野生のままのパンチに似ている。

「本能で動くとでもいうのか」

 飯樋も人々を救済せんと世界を渡り歩いてきた男、実戦で磨かれ下手な格闘家より強い。無駄が多いテレフォンパンチなど軽く避ける。避けるが果無が自分を攻撃する理由が分からず次の一手が打てない。

 果無を殺すことは簡単だ。カウンターで顎を揺らしその隙に首を捻ってしまえば良く、飯樋にはそれが出来る技量がある。だが人々の救済に目覚めた飯樋にとってそれは出来ない。

 動乱の時代に生を受けた飯樋は正義感が強く優しい男だった。暴力が蔓延る時代に飯樋は弱き人々を救う為とその手を汚したこともあった。だが人々を救いたいと願う数十年に及ぶ旅路の果てに得たのは暴力で無く記憶を消す魔の力だった。

 大望の力であったがそれでも人を一時的にしか救えなかった。辛い記憶を消しても人は新しい苦しみに出会う。それは人である以上どうしようも無いことであり、それこそ悟りを開き涅槃に辿り着きでもしなければ永遠に救われることは無い。

 だがそれで割り切れるような男なら魔の力なんかに目覚めない。更なる救済を求める長き旅路の果てにこの大樹のユガミで出会ったのだ。

 辛い時代の人々の思いから生まれたこのユガミは、時代に打ち拉がれた人々を誘い込み首を括ってその辛い記憶を永遠に思い出させ苦しめるユガミであった。恐れた人々は首を括られ足がゆらゆら揺れる様子から「葦遊」と隠語で名付けた神社を建てて大樹のユガミを祀ったのであった。

 飯樋はこのユガミの特性に注目し己の希望通りに変質させるに十数年と長い年月を重ねて今に到ったのだ。

 気の遠くなるような年月を懸けてやっと辿り着いた人々の永遠の救済を始めた早々に断念して暴力に頼るなんて出来るわけが無かった。

 これも仏の試練、乗り越えれば更なる救済に辿り着けると飯樋は果無を救う方法を模索する。

 それが徒となる。

「くっ」

 テレフォンパンチと見切って避けたはずが避けた方向に拳の軌道が変わった。

「ぐっ」

 それでも躱せば、拳に気を取られて死角となった足を踏まれた。動きを止められた飯樋にボディブローが突き刺さる。

「ぐはっ」

 苦しみつつも足を払い間合いを取る。

「一体何が?」

 初めこそ本能のままのテレホンパンチだったが、段々と段々と飯樋が避けづらい行動やフェイントを取るようになってくる。

 それは無駄を省き体系的に整えられた汎用性のある対人間用格闘技では無い。対飯樋用に特化した格闘技を身に付けていっているようだった。


 我思う故に我あり。

 誰が否定しようが思う自分だけは己だだろうと否定出来ないという哲学の真理。

 逆に言えば思わなければ自分は存在しないということだ。

 思うとは「頭で考えたり心で考えること」


 人間は成長するにつれ言葉を手に入れる。

 言葉こそ動物と人間を分かつ壁。赤児の頃はそこらの犬と変わらない知能だったのが言葉を覚えることで思考は論理的且つ具体的に変わっていく。言葉を体得した人間が言葉無しで思考することはもはや不可能と言ってもいい。


 果無は全ての記憶と共に言葉を消去された。更に記憶も消されたことでイメージも出来ない。即ち頭でも心でも思うことが出来なくなった。逆説的に我思わず我無し。

 果無という我は消えたのである。

 だがこの状態こそ数々の仏教徒や行者が追い求める境地。

 無。

 人は言葉という万能ツールを手に入れたが故に逆にそれに支配される。故に度々言葉を超えた思考、悟りを手に入れようと座禅やヨガ、山に籠もった荒行を試みる。

 言葉を忘れイメージを忘却し己を無とした果てに得られるもの

 真理であり、悟りであり、天啓である。

 また芸術家や職人も三昧に没頭し己を消し、この領域に到る時があり。

 その結果、後世に受け継がれていく逸品を生み出す。


 道を究めんとする者達が恋い焦がれる領域。果無は図らずもこの領域と同じ状態となったのだ。

 悟り。言葉を超越した圧倒的イメージによる思考。

 我に拘る果無がその我を消そうとする天敵に対して対抗する術を求め「対飯樋用の悟り」を得たのはごく自然の流れであった。


 飯樋はいつもは洗脳に近いかも知れないが本人の同意を得て記憶を消している。そして不純物を発生させまいと消した瞬間には大樹と一体化させている。

 今回はそのどちらの工程も得ていない上に相手が悪かった。


「自ら救済の手順を編み出しておいて、それを逸脱した結果ですか。

 ですが手順を踏んでいては救えなかったのも事実。ならば改良すればいい、記憶を消すと同時大樹と一体化させればいいだけのこと。

 その悟り、私の全霊を持ってけ消させて貰う」

 悟りを得たならその悟り如消せばいい。神の天啓だろうと人間の脳に収まった瞬間から飯樋の手の届く範囲となる。

「忌まわしき業よ。消えよ」

 飯樋は己の魔の力を強める。その瞬間意識の無いはずの果無は笑ったように見えた。


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