第396話 忘脱

 少女とはいえ魔人、それも数名に一斉に攻撃されては俺では背中を向けて全力で逃げるくらいしか出来ない。だが飯樋はその場で微笑みつつ弥勒菩薩半跏思惟像のような印を結ぶ。

 何か仕掛ける気か? 

 飯樋と会話をしその志を聞いた。納得出来るかどうかはおいておいて飯樋は人間であり、不可解なユガミでは無い。ならその魔はなんだ? 少女を吊したみたいに植物を自在に操ることか? だがそれだけだと今まで起きた現象の一部しか説明出来ない。やはり情報が足りないが、まあいい。今回は珍しく漁夫の利を得られる立場になれた。せいぜい潰し合って互いの魔を暴いて貰うとしよう。

「気を付けて何か仕掛けてくる」

 攻撃を仕掛ける少女達のリーダー格っぽいショートの少女が仲間に警戒を呼び掛け、飯樋に注目が集まる中ちらりと横目で天夢華を見れば、ナイトとばかりに天夢華の傍に少女が2人控え、1人は油断なく此方を睨み付けていた。

 隙があればヘッドショットを試みるのもありと思っていたが、夢見る少女でもそこまでは甘くないようだ。

「私に任せろ」

 袴に身を包み白刃煌めく長刀を持った少女が一番槍を貰うとばかりに警戒するどころか逆に一人飛び出していった。

 そして勢いよく袴を脱ぎ捨て裸になった。脂肪がうっすらと乗る引き締まった躰付きで腹筋は割れていた。お嬢様の手習いじゃ無い本格的に武道を鍛えているのが覗えるが、露出狂の願望でもあったのか?

「松本、天夢華様の前よ、少しは自分の欲望を抑えなさいよ」

「逆だ。天夢華様、私の欲望を堪能あれ」

 松本は長刀を大上段に構えるとぐるぐると回し遠心力をその刃に乗せていく。

 あの一撃は重い、受けた剣ごと断ち切れる勢いがある、まして飯樋は寸鉄帯びない無手。だが飯樋に印を崩す様子は無い。

「さあ、男なら熱い血潮を私にぶっかろ」

 間合いに踏み込み振り下ろそうとした勢いとは裏腹に、スポンッと長刀は松本の手からすっぽ抜けて明後日の方向に飛んでいった。

 飛んだ肩透かしだ。鍛えた体はハッタリかよ。

「何をやっているのよ。もういい私がやる」

 長刀がすっぽ抜け恥ずかしいのか茫然と立つ松本の横を上半身裸になっていた中塚が通り過ぎる。

「さあ、私が優しく包み込んであげるから。ぴゅっぴゅしましょうね」

 男を潰す嗜虐心に染まった笑顔の中塚は自分の両胸を揉みつつ飯樋に駆け寄っていきつつ、そのままへたり込んだ。

「ぴゅっぴゅ? ぴゅっぴゅって何?」

 中塚は子犬のようにあどけなく首を傾げた。

「みんな、様子が変よ。一旦離れなさい、・・・・なんで?」

 リーダーの少女が指示を出すが、その指示を聞けた者は本人を含めていなかった。飯樋に迫っていた少女達は皆我を忘れたような顔でその場に座り込み迷子の子供のような顔をしていた。

「私何をしていたんだっけ?」

「ここどこ?」

「まま~」

「お母さん」

「お腹すいた~」

 飯樋は幼児に返ったような少女達を優しく微笑みながら見下ろす。

「忘却とは仏の慈悲。

 己の我欲を暴走させ罪を犯した者だろうと仏は手を差し伸べる。仏の慈悲に抱かれ胎児のように眠りなさい」

 飯樋が優しく諭すと少女達は皆遊び疲れた幼子に戻ったような笑顔でその場に寝転んだ。

「みんな私の快楽を忘れたというの?」

 その様子を見ていた天夢華が仲間外れにされたような悲しい顔をした。その顔を見ると思わず仕事を忘れて何か力になってやりたいと思ってしまう。

「皆救済されたのです」

「天夢・・・」

「忘れたくない」

 護衛の少女2人も顔から険が取れていき天夢華に縋るように蹲る。

 まずいあの距離でも飯樋の魔の効果範囲だというのか、天夢華が立っていられるのはひとえに強い我を持っているからか?

「これが救済ですって、誰もこんなの望んでいないわよ」

 天夢華はその美しい眉を顰めて飯樋を睨み付ける。

「本来この様な強引な救済は好みませんが彼女達の業はあまりに重い。今救わねば、私ですら救うことが出来なくなる」

 彼女達は魔に目覚め何をした。胸の奥に秘めた願望が人助けならいいが、中塚のようなものなら既にその手を血に染めている可能性は高い。未成年でも法で裁かれ、まして魔人となれば法の外になり処分されても文句は言えない。

「まさか私も救済するとか言うつもり」

「今だ会話が成立しているあなたの救済は並大抵じゃないでしょう。ですが見捨てません。

 抜苦与楽、忘脱」

 飯樋が警策ように一喝した。

「あんっ」

 天夢華は膝を付いた。だがこれすら見事であった。周りにいた少女達はもう全ての知性が目から消え赤児のような無垢な目、無邪気な顔、そして赤児のように我慢することも羞恥することなく涎を垂らし粗相をする。

 全ての記憶経験がリセットされ生まれたての赤児に戻されたんだ。

「今こそ救いの手を」

 飯樋が天を指差すと天を覆う大樹の枝から蔦が降りてきて天夢華や少女達に絡みついていく。

「離しなさい。こんなの私は望まない」

 弱々しい抵抗を続ける天夢華だが蔦にすっぽりと包まれてしまった。

「さあ少女達に永遠の救いを」

 少女達を包んでいた蔦が解けると中からは裸に剥かれ首を括られた少女達が現れた。そして首を括られたままに手足をぷらぷら、糞尿をぽたぽたちょろちょろ垂れ流しながら釣り上げられていく。

 だが天夢華を包んだ蔦だけは今だ天夢華を包んだままだった。

「彼女は刻を掛けて救済しましょう。大丈夫私は急ぎません」

 いずれ天夢華も全ての記憶と経験を奪われ糞尿垂れ流す自我無き肉人形となって釣り下げられるのであろう。


 終わった。あっさりと勝負が決まってしまった。

 忘却。嫌なことも辛いことも忘れてしまえばいい。確かに忘れることが出来るのは仏が与えた慈悲かも知れない。

 人類を救済したいと願う飯樋が辿り着いた能力だと思えば納得も出来るが、同時にこれほど無慈悲で恐ろしい能力も無い。

 修行による解脱でなく、全て忘れることでしがらみから解放されるというのは結果は同じでも過程が違いすぎる。

 人生の歩みを全て否定するというのか、俺は躊躇うこと無く飯樋を狙って銃を抜き放つのであった。


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