第395話 欲望

「我等シン世廻は神のよって作られた息苦しい世界に反逆した者達が己の世界を創造するため集まった組織。あなたもその胸に叶えたい世界があるのなら我等シン世廻に参加しなさい」

 天夢華は聖女が勇者に天啓を伝えるような厳かさで飯樋を勧誘し思わず傅いて承諾してしまいそうな雰囲気が漂うが、あの女あれだけ飯樋の思想を否定していたのを忘れたのか? 繊細が見かけに騙されそうだが、神経は図太いな。

「私は確かに今の無慈悲な世界に絶望し、この救済を世界に広げたいとは思っている」

「なら・・・」

「だが言葉を返せば小さいながらも救済を実現しているのですよ」

 姫のように優雅に差し出された天夢華の手を飯樋は取らなかった。

「小さいですわね。この程度で満足しているのですか?」

 男なら恥じ入ってしまいそうな高貴さに溢れた天夢華の言葉だが飯樋は動じない。

「シン世廻に来ればあなたの望む救済を一気に広げることも出来るかも知れないのよ」

 勇者よ旅立てと告げているようであったが飯樋は奮い立たない明鏡止水、心穏やかな表情のまま。

「私は別に今の世界を否定したいわけではないのですよ。私は今の世界から零れ落ちた人々を掬い取れればいいのです」

 なるほど世界救済委員会の連中とも相容れなさそうだな。此奴も彼奴らも飯樋みたいな謙虚ならいいが皆性急に世界を変えたがる。まあ一時でも今の世界にいたくないという絶望は分からないでもないがな。

「本当に小さい男ですわね」

 天夢華は人類に失望した女神の如く言う。

 天夢華の勧誘は失敗するだろう。勇者に夢見る発情期の少年なら天夢華の女神のような誘いにほいほい乗るだろうが、いい年こいた大人の男が色ボケだけで転職はしないだろう。

 色が駄目なら金か看板だが、そもそもシン世廻は闇に潜むマイナー組織普通の人は知らないだろう。まあ飯樋は普通の人じゃないが裏社会にネットワークを持ってなさそうだから知らないだろ。そうなるとカリスマのある廻が直接来るか活動実績をアピールする必要があるんだが、そんなこと頭の良さそうなこの女が分からないとは思えないんだが、する気配はない。さっきから貶してばかりだ。

 もしかして組織の命令で来ただけで天夢華は本人は乗り気では無いのか知れないな。放って置いても決裂してくれそうだが、少し探りを入れるか。

「鶏頭になるも牛後になるなかれ。

 怪しい組織に入って下っ端になるより男らしいじゃないか」

「小さいですわ。牛後が嫌なら牛頭になればいいだけのことじゃなくて」

 さらっと言うが、それは自分達のボスを追い落とせと言っているんだが、そんな小さいことそれこそ気にしないんだろうな。

「そこまで人を否定するなら、お前はどんな世界を望んでいるんだ?」

 天夢華の望む世界に興味が湧いた。それが此奴の魔に繋がるとの打算もあるが、純粋にこの天使のような美少女がどんな世界を望むのか知りたいという気持ちもある。

「先程から言っている通りよ。

 人としてよりよく生きること。即ち欲望の解放ですわ。人は下らない社会通念や常識に囚われるべきではないわ。己が望むことをもっと解放するべきなのです。

 私は欲望に邁進する人間が大好きですわ」

 言っていることは俗っぽいのに天夢華言うと精霊の囁きのような透明感がある。

「だから野上に手を貸したのか?」

 あれも自分の欲望に素直な女だった。

「そうですわ。彼女はまれに見る素直な人ですものつい手を貸したくなってしまいましたわ」

 それで殺され掛けた俺はたまったもんじゃ無いな。

「ならなぜ水永の時は俺に手を貸した?」

 これが分からない。野上の計画通りに言っていたら水永は壊されていた。だからといって俺が野上に屈することはないだろうが、野上の暴走に歯止めが掛かったことになる。あそこで水永を壊してこそ野上は更に欲望のままに暴走していっただろう、巻き込まれる方は災難だが眺める方にとっては最高のエンターテイメントのはずだ。

「あれはあなたに手を貸したわけじゃないですわ。水永さんの華をあなた如きの為に潰すは勿体ないと思ったまでです。

 あんなに素直で可愛い人の欲望は是非私の手で解放してあげたいじゃないですか」

 なるほど此奴に感じていた借りは気にしなくていいようだ。

「欲望の解放をした結果があの化け物2人か?」

「侮辱は許さないわよ。

 彼女達は美しいわ。あれこそが真の喜びを知って神から解放された真の人間よ」

 予感的中。普通の人間だった福島や中塚が魔人化した原因は天夢華にあるようだ。

「あれが神から解放された真の人間なのか?」

「神の楔から解き放たれ思うがままの自分を手にれたのよ」

「アメーバのようになるのがか?

 乳がでかくなるのがか?」

「彼女は自分を型に嵌めようとする親に教師に周り全部に苦しめられていた。そんな彼女が望んだのが誰にも捕らえられないあの自分よ。彼女は誰も私を型に押し込める事が出来なくなったと喜んでいたわ。

 彼女は男達の無遠慮な視線に苦しんでいたわ。だから男達の視線が集まる乳で男共を潰すごとに不快な視線が消え、世界が開けていくようだと言っていたわ」

 天夢華の言葉に嘘はないだろう。

 そういった思いが強い人間は共通認識を破り己の世界を具現する魔人となる。だが大抵の人間はそこまで強い想いはない。最近は麻痺してきているが、そこらの女子高生にぽんぽん共通認識が打ち破られていたらこの世界はとっくに形を失い天地創造前のカオスとなっている。

 天夢華の能力はそういった普通の人の思いを増幅させた魔人化。何か厳しい条件があるのかもしれないが、公安としてはいの一番に始末しなければ成らない危険人物だな。

 奥に引っ込んで黒幕に徹しられると厄介極まりないが、前に出てくるのなら別だ。他人を幾ら魔人化しようとも彼女自身を銃で殺せばいいだけのこと。

 このチャンス出来れば活かしたい。

「なるほど分かった。

 だが話を聞くに君の世界と飯樋の世界は両立しないように思えるが?」

 欲望を捨てる飯樋と欲望を解放する天夢華じゃ水と油だ。

「些細なことです。

 大事なのは己の世界を実現するために表明すること行動すること。動かなければ何も変わらない。この神が定めた世界に磨り潰されるだけですわ」

 陳腐な台詞も天夢華言うと荘厳に聞こえる。

「適合するという選択もあるが?」

 ダーウィンの進化論によれば、優れた者が生き残るわけではない。環境に適した者が生き残るのだ。人間が恐竜より優れているわけではない、たまたま今の環境に人間の方が適しているだけの話だ。

「くだらない。そんなの結局己を殺すということ人として美しくない。

 それに私の世界と彼の世界が両立しないなんて、それこそ常識に囚われた小人の思考に過ぎないとはなぜ思わないのですか?

 欲望を捨てたいという欲望はどれほどの欲望なのでしょう」

「この俺が常識に囚われた小人とは言ってくれる」

「だってそうでしょう。誰よりも確固たる己を持ちながら魔人化することも無くこの世界にしがみつく、滑稽ですわ」

「だったらお前こそ振られたんだ、いい女なら潔く去ってくれないか?」

「残念ながら仕事なの。それに仕事を抜きしても彼は気に入らないわ。仲間に成るなら我慢出来てもそうじゃないらな我慢する必要はないでしょう。

 みんな出てきて」

 天夢華の呼び掛けに答えて少女が数名木々の間から現れた。その中には福島や中塚がいる。最初からこっちが本命だったわけだ。俺が天夢華が今一勧誘に本気じゃ無いと感じたのは正しかったわけだ。

 しかし少女達はそれぞれが魔人なんだろうが皆音畔女学園の生徒なのか? だったら飯樋に気を取られてとんだ害虫を野放しにしていたもんだ。

「逃げるなら見逃すわよと言いたいところだけど、この2人が個人的にあなたに復讐したいそうよ」

 福島と中塚が冷たい目で俺を睨んでくる。殺意じゃない。あれは生理的に嫌いな相手に向ける存在を認めない思春期の少女特有の視線。慣れている俺でもこんな視線を向けられたら泣きたくなるぜ。

「もてもてだな」

 一転して天夢華を倒すどころか自身の命を優先する状況になった。

「逃げるなら、私達が此奴の相手をしている間ね。その後はもう抑えは効かないし私も抑えない」

 好意のようであり俺に邪魔されたくないから遠ざけたいだけのような気もする。

「逃げる必要があるのか?」

「呆れた。あなた私の敵になれるつもりかしら?

 あなたが頭が切れることは聞いていたし、飯樋の居場所を突きとめた手腕は認めるけど、1人でこの場にきたのは失策だったわね。護衛がいないあなたは敵じゃないわ」

 俺は敵じゃないようなら飯樋はあの人数の魔人で囲んでも侮れない敵と見ているようだな。意外だな、あれだけ小さいと言っておいてこの警戒のしよう。万全を期すために不確定要素の俺は排除したいようだな。

 2人の力が拮抗してもつれるようなら背中を打たれ心配は無い今すぐ逃げれば俺にも十分生き残れる芽がある。

 だが2人の力が拮抗してもつれるというなら、もう一つの芽もある。この場に残ってトリックスターになること。

 選択出来るのは今しか無い。

「言ってくれるぜ。なら尚更俺に構わず初めたらどうだ」

 飯樋を捕らえ天夢華を倒すチャンスを捨てることが出来なかった。欲望は身を滅ぼすかもしれないが、リスクの先にしか掴めないものもある。

「その選択後悔するでしょうけど、嫌いじゃ無いわね。

 なら始めさせて貰うわ。みんなまずはあの男を捕まえなさい」

 天夢華は飯樋を指差すのであった。

 捕まえて廻にでも融合させる気か? それで廻が悟りを開いて新世界創造を辞めたら笑えるな。

 天夢華配下の少女の魔人数名が一斉に飯樋に襲い掛かる。正直、一流の旋律士でも危ない状況だが飯樋に焦りは見えなかった。

 ただ微笑んでいる。それが俺には底知れず恐怖だった。


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