第393話 救済と我
壮観なる少女の裸体による満開の藤の花。
見上げる星空を覆い尽くすように伸びた大木の枝から少女達が一糸纏わぬ姿で首を括られ藤の花のようにぷら~ん ぷら~んと風に揺れている。
首を括られた少女達は性器も排泄口も晒し足も手も力なくだら~んと垂れて風に吹かれれば吹かれるがままに柔らかく手足は揺れる。しかし死んではいないようで死紋は無く肌は生き生きとピンクに染まっていた。そして何より目を瞑っている少女達の顔はどれも穏やかな仏像のような微笑みを浮かべている。
アルカイク・スマイルを浮かべた裸の少女達が首を括られぷら~ん ぷら~んと揺れている姿は猟奇的であり幻想的であり神秘的ですらあった。
それを見上げて眺めている飯樋もまた仏の慈悲深い笑みを浮かべている。
「これがお前が言う救済なのか?」
俺は姿を晒し飯樋に話し掛けた。
「あなたですか?」
「驚かないんだな」
「わざと彼女を追い詰めましたね。そして彼女がここに来るのを認識した。認識されてしまっては結界は無力ですから」
今回行方不明になった少女達は誘拐のように昨日まで普通に幸せに暮らしていたわけでなく、皆失踪したくなるほどの苦悩を背負っていた。普通に考えれば苦悩に折れて失踪したと推測するのが自然なほどだ。周りの人間が忘れさせられている現象が無ければ俺だってただの失踪事件として報告して終わりにしていた。
故に俺は自殺したくなるほど追い詰められた少女がいれば魔を呼び寄せるいい餌になると思い付いた。だがそんな少女が都合良くいるわけがないし、いたとしても見付けるには時間が掛かっただろう。
無いなら作ればいいというエンジニアの発想はあっても、敵対している訳でもない無関係の人間を追い込むことは俺には出来ない、そんなことをすれば俺は俺が最も唾棄する連中と同じになってしまう。地道に魔を探すしかないかと諦め掛けていたら、向こうから攻撃してくる奴が表れた。
やれたらやり返すのが俺の流儀。遠慮無く追い込ませて貰うことにした。
誤算だったのは、予想以上にタフな奴で予想外の被害がでたことだった。真っ直ぐに俺に復讐しようとしない、これだから俺は人間が嫌いなんだ。
優秀な部下の追い立てもあって俺は魔に誘われていく野上を認識することが出来た。
「分かっていて招いたのか?」
野上は助けたくなるような奴じゃ無いし。あからさま過ぎて罠を疑われて警戒される可能性もあった。正直ここまで上手くいって拍子抜けするほどだ。
「状況によって救済をするしないを決めるなど救済ではありません。求められたら手を差し伸べる。そうで無くては私が現世に留まった意味が無い」
「まるで自分だけなら涅槃にでも行けるとでも言うようだな」
「そうです。
私はニルヴァーナに到達するも現世に残った者達が心残りで戻ったものです」
小乗から大乗へ。俺なら自分1人でさっさと行きたいなら行くがな。
「そうか、大した慈悲だ。
それで話は戻るがこれが救済なのか?」
「はい。彼女達は一切の煩悩から解放されあるがままに今を生きています。
これ以上の幸福が何処にあります?」
「この思考を放棄してただ生きている肉袋になるのが幸福だと」
俺のような人間に性器と排泄口を下から覗かれても頬一つ赤らめない。人間の尊厳も何も無くただ天井からぷらぷらぶら下がる少女達を指差しながら言う。
「そうです。思考など我という執着を生むだけです。執着は苦悩。
よく見て下さい彼女達の苦悩から解放された顔を、皆輝いています」
苦悩とは考えるから生まれる概念であり考えなければ苦悩という概念も生まれないのは真理ではある。そこまで行かなくても人より知能が低くても可愛がられる犬の方が幸せに感じるときもある。知能が幸せに直結しないことは経験でも分かる。
「だが知能を捨てるということは生存競争からの脱落も意味する。
死んでしまっては意味が無いんじゃ無いか?」
犬は幸せかも知れないが飼い主に左右されてしまう砂上の楼閣でもある。嫌ならやはり知能を磨くしか無いが、それは明日に怯える苦悩を手に入れることでもある。知能が上がりより明確になった苦悩を克服しようと更に知能を上げる。
苦悩と知能のスパイラル。
「故に私はこの世界を作り上げました。苦悩の根源である思考を捨てながらも健やかに生きていける世界、これこそが現世に作り出したニルヴァーナ。
この世界が現世を覆うときこそが人類が救済されるときです」
生命が脅かされないのなら知能はいらない、寧ろ苦悩を生むだけだ。
此奴が言っていることは非常にロジカルだ。ロジカルだが心が納得しない。首を括られてぶら下がろうとは思えない。
「生物はより生きたいという欲求に従い長い年月を重ねて進化して知能を手に入れた。
生命を脅かす外敵に対して自己として我を生み出した。
我とは外部と己を分かつ壁であり、自分だ。お前はそれを否定するというのか?」
「それこそ妄執です。我に拘るほどに不幸になるとあなたも分かっているはずだ」
「そうかな?
我は時に命より優先するものを与えてくれるぞ。
親が子のために命を捨てるのは人と存続させるための群体生物としての機能かも知れないが、命を捨てて何かをやり遂げようとする者は昔からいる。彼等にとって他人の評価は関係無い、掛け値無しで己の我を満たすために命を捨てている。
我無ければ苦悩は無いが命より大事なものを手に入れられることも無い」
俺は柄にも無く熱く語ってしまった。だが俺にとって我を否定されることは存在を否定されることだ。
「命より大事なもの、人を陶酔させる魔法の言葉です。
我とは命を守るために生み出した防衛プログラムに過ぎません。それこそが自己であると思うのは知能が生み出した錯覚、幻想、生命のバグ。
命より大事なものなど無いのです。
旧約聖書にあるように、過ぎたる知能こそ悪魔が与えた呪いかも知れませんよ」
「なら俺は呪いを受け入れよう」
明日に憂いる犬は可愛くないし幸せそうでも無い、だが俺は二度と他人に運命を弄ばれる気はない。
「恐れてはいけません。あなたなら捨て去る勇気があるはずです」
「良く言うぜ。人の不幸に付け込んで捨てさせたくせに」
「強制はしてませんよ」
「そうか、だが誘導はしただろ。本来お前が言う通りこの知が悪魔の呪いなら、己の意思で捨て去ってこそ御仏の試練に打ち勝ったと言えるんじゃ無いのか?
到るまで何度も挑戦させてくれるシステムが魂の輪廻なんじゃ無いのか?」
もし捨てるとしてもそれは俺が納得してのことだ、誰かに誘導されたりしてすることじゃない。そうで無ければ未練が残り結局我が残る。
「私は御仏に及びませんでした」
「はあ?」
「御仏は母のような慈悲と父のような厳しさがあります。
ですが私はどうしても今苦しむ人々を達観して突き放せなかった。苦しむ姿を見てられなかったのです。
今すぐに救いたかったのです」
初めて飯樋が激しい感情を表した。
その顔を見て俺は理解出来た。此奴は悪魔でも人を陥れて喜ぶ愉悦者でも無い、己が悟った共済を無理にでも人に施す者。
「飛んだお節介だ」
「そうでしょうか?
現世の苦悩でボロボロに傷付き自死という大罪をおかしてしまいそうな者に手を差し伸べることが大罪なのでしょうか?
それくらいなら御仏もお目零してくれるでしょうし、しないというなら此方から見限るだけのことです」
「だが彼女達もこうなると分かっていたら拒否していたんじゃ無いのか?」
「教えてますよ。その為の山道による参道であり産道です。
彼女達はいつでも引き返せた、だが救済の幸福を知って選んだのです」
この瞬間俺は諦めた。
鏡合わせだ。此奴は俺同様揺るがない我を持っていて、他人じゃ曲げられない折れない。何が我は不幸だ。強力な我を持っているじゃ無いか。
此奴は人を救いたいという強烈な我を持つが故にもう二度とニルヴァーナに到ることはないだろう。
「よく分かったぜ同類。
だが野上はなぜ助けた。ここにぶら下がっている者の何人かは彼奴の所為だぞ。救うには業が重すぎないか?」
「仏の視点に立てば善も悪も無いのです。全ては一成る全。
彼女もまた己のあり方に苦しんでいた者です。救いを求めれば救います」
「俺には理解出来ないな」
「望めば誰だろうと救うのが御仏の慈悲です。
あなたも傷付いた魂を持つ者、救済を望みますか?」
「俺が我を捨てることはない」
お前もな。
「それは苦しみの道ですね」
お前だってそうだろうが。
「ふっ笑止。
周りどうなろうと揺るがない我、唯一無二の我こそ真理への道」
「それは悪魔の道ですよ」
「正直お前といくら議論を重ねても理解することはあっても互いに折れることは無いだろう。
ここからは仕事を果たさせて貰おう」
「彼女達の解放ですか?」
「お前の確保だ」
「私ですか? なぜです?」
「そんな力を持ったお前は野放しに出来るわけがないだろう。俺でさえ来たんだ、これからもお前の力を求める者がやってくる。
なあ?」
俺が声を掛けた方から図書館で出会った少女が現れるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます