第390話 業

「私は自分を守る為に戦っただけよ、なのに最後には寄って集って私を悪者扱い。

 私じゃない、世界が間違っている」

 私はたまった鬱憤を吐き出すため叩きつけるように叫んだ。

 そうよ私を認めない世界なんか、私が壊してやる。

「でも何か理由があったんじゃ無いのか?」

 飯樋はTVの澄まし顔のコメンテイターがする形式的な質問をしてくる。

「私に嫉妬したのよっ」

「君への嫉妬が原因と言うのかい」

「そうよっ。私は柔道の才能があって努力もした、あの気持ち悪い親父に媚びを売って柔道場の改築までして貰った功労者なのに、あの澄まし顔の綺麗事しか言わない女は私をエースから外してあのどんくさい女をエースに据えようとしたのよ。

 許せる?」

「本当なら許せないが、その娘にだって優れたところが合ったんじゃ無いのかい?」

「はっ。私の方がずっと強い。勝負の際には油断なく根回しだってしておく」

 悪戯された柔道着を見たときのあの顔、傑作だったわ。それで動揺するなんて修行が足りないのよ。

「でもそうね。あのどんくさいところが上の連中には受けて先輩や先生には受けが良かったかもね。誰だって自分の立場を脅かす者より弱くて持ち上げてくれる者を可愛いと思うものね。そうして取り入ったあの女はあることないこと吹き込んで私を陥れようとしたのよ。

 だから全力で戦ったわ」

 そして潰してやったわ。ええもう二度と私には逆らえないようにアスリートとしても女としても立ち上がれないように尊厳を踏みにじってやった。大勢の男に穴という穴に突っ込まれて泣き叫ぶ顔を思い出すと、今でもうっとりとしてしまう。

 そう言えばあの後姿を見ないわね。どんな顔して登校するのか見たかったのに残念。根性が足りないのね。

「そうか。でも今の話だと柔道部だけの話だ。みんなが君を陥れるというのは、若いときにありがちな狭い世界での思い込みなんじゃないかな」

「ふんっ勿論それだけじゃ無いわ。

 この私が楽しみにしていた合コンに割り込んできて私が狙っていた男を掻っ攫っていった女もいたわ。

 其奴も私に魅力じゃ勝てないからと、私がいない隙にあること無いこと男に吹き込んだことを狙った男から後で聞いたわ」

 私を虚仮にしてくれた男の女にされて泣き叫んで許しを請う顔は傑作だったわ。もう袖にされたことを帳消しにして余るくらい。だから一生いい声で泣けるようにしてあげたけど、今頃コンテナに積まれて何処の国のブタに尻を振っているのかしら?

「どう勝負の世界だけじゃなく、息抜きの世界でも私は迫害を受けているのよ」

 アスリートとしても女としても優れる私は嫉妬を集めてしまい、敵だらけよ。

「その娘とはその後どうなったんだい、仲直りは出来たのかな?」

「話し合って私へ誠意を込めた謝罪をしてくれたわ」

 私への精神的苦痛の賠償金を稼ぐために彼女が出演したアングラビデオ見たけど最高だった。もう人間あんな事出来ちゃうのとかあんなことしても死なないんだとか。人体の神秘に感動したわ。

「そうか良かった」

「分かって貰えたかしら。みんな向こうから手を出してきたんだから、自衛よ。

 まさか自衛を否定しないでしょうね」

「しないよ。でも教育実習生の彼とはちょっと話したが、彼は君の方から手を出してきたと言っていたよ」

 本当なの!? あの童貞どんな泣き言並べて悩みを相談したのか見てみたかったわ。この部屋監視カメラとか無いのかしら。

「あれは犯罪の予防。何かあってからじゃ遅いでしょ」

「彼は何か企んでいたのかい?」

 白々しい。

「あなただって見たなら分かるでしょ、一目見て私は分かったわ。

 あの男は普通じゃない。

 私はみんなを守る為にあの童貞を学園から追い出そうとしたのに、なのにみんなして結託して逆に私の方を追い出そうとしてきた。

 許せないわっ」

「彼がそんな男なら誰か君の味方をしてくれる人はいなかったのかい?」

「みんなあの男に買収されたり脅迫されたわ」

 そこだけはあの男を舐めていた。陰キャのコミュ障で交渉ごとなんか出来ないだろうと高を括りすぎた。流石にあの年まで生きれば知恵も付くか。

「孤立した私を、綺麗事女とレギュラーを取られることを恐れて嫉妬に狂った先輩連中がここぞとばかりに攻撃してきた。

 日本の村社会、出る杭を打つ。ほんと嫌になるわ」

「それは辛かったね」

「もうどうしたらいいの。

 私は誰よりも自分らしく生きようとしただけよ。それが悪だというの」

「悪か善かは所属する社会が決めることで価値などありませんよ。

 それよりも大事なのはあなたが苦しんでいるかいないかです」

「話聞いていた? 私はこんなにも苦しんでいるのよ」

「その苦しみの根源は何ですか?」

「だからあの童貞が・・・」

「そんなのは切っ掛けに過ぎません。もっと心の殻を取り払ってください。

 言い方を変えれば、あなたの本当の望みは何ですか?」

「勿論私の名誉の回復よ。そして柔道部のエースとしてインターハイで活躍して・・・」

「嘘ですね。君はそんな賞賛を幾ら浴びても心は満たされないでしょ」

 澄まし顔で断言された。

「あなた私が女だと思って舐めていない? あんたみたいなお坊ちゃん私なら軽くひねれるのよ。試しに腕の一本でも折って上げましょうか?」

 私は舌舐めずりしつつ言う。この人の良さそうな顔が歪むのも乙なものだ。

「うん。今の君は輝いている」

「!!?」

「柔道部のエース、賞賛、そんな虚飾を語っていたときより今あなたが僕を見る顔は何倍も輝いている。

 さあもう隠す必要は無くなった。本当の気持ちを曝け出すんだ」

 本当の気持ち。この男は私が長い年月を掛けて積み上げた心の外殻を撃ち抜きむずむずさせる。

 心臓が高鳴り、疼きが止まらない。

 もうもう、ぶちまけたい。男が射精するのはこんな気持ちなの?

 ああ、私は心の裸を曝け出す。

「私は人の不幸が大好きで楽しくてしょうが無いのよ。

 柔道もそうオリンピッククラスの才能を持つあの女を凡人に毛が生えた程度の私にその栄光を潰されたらどんな顔をするか何よりも見たかった。

 あっでも柔道が好きなのも本当よ。物理的に人が苦しむ顔も楽しいわ。特に自分が強いと思っている男を落としたときなんか傑作。

 童貞もそう。如何にも自分が違うと言わんばかりのあの男がどんな顔で泣くか想像するだけで夜は滾ってしまったわ」

「よく分かったよ」

「何したり顔で言っているのよ。お説教でも噛ますのかしら」

 嚙ました説教の数だけ骨を折ってやろう。

「社会的にどうだろうとこの際は関係無い。

 君自身はその業をどう思っているんだい?」

「どうしろというのよ。

私は他人が困った顔が好き。

 私は他人が泣き叫ぶ顔が好き。

 私は他人が絶望に染まった顔が好き。

 私は他人をこの手で不幸に落とすのが何より大好き。

 何か幼少期に歪んだ原因があるとかじゃ無いわ。生まれつきなのよ。生まれつきこうなのよ。そんな私がどうやって生きていけばいいというの? 心を殺して生きて行けって言うの。

 そんなのご免よ。死んでいるのと変わらないじゃない。

 社会的に悪だろうと、だったら制裁されるまで私は悪として生きて輝いて生きるわ」

 悪。そんなもの人間が勝手に決めた概念に過ぎないわ。そんなものに縛られる私じゃない。

「理性ではそれが悪だと理解はしているんだね」

「そうよ。ばれたら私は悪とレッテルを貼られて刑務所なり良くて病院に閉じ込められるわ。自分らしく生きたいのに、自分らしくしたら自由を奪われる。こんな理不尽なことは無いわ。なんで私はみんなと違うんだろうと苦しんだこともあるわ」

 悩んでも解決しない。だからこそ妥協として、表でいい顔してばれないように心を満たすことにした。この薄氷の上を歩くような細心の注意を払う苦労をして心を満たしていたのに、あの童貞が全てを台無しにしてくれた。

「だが君が言う普通の人だとて業に支配され苦しんでいる。

 他人の幸福に妬み他人の不幸に喜ぶなんて、人間なら普通のことだ。

 君が言う通り、柔道部の先輩だって君に嫉妬したのは本当だろう」

「えっ!?」

 普通。私は生まれて初めて肯定された気がした。

「私が普通」

「誰でも悪の心はある、君は少しその割合が強いようだけどね。君は普通の人間だよ。

 君が言う果無君の方がよっぽど化け物だよ」

 ここで童貞? あの童貞の方が私より悪だというの?

「苦しんでいるというなら聞くけど、その業から解放されるとしたらどうする?」

「解放される?」

「全ての人の不幸は業に由来する。人は業から解放されない限り救われることはない」

「救われるの私が。

 くっくくはあああははははははっっっっっっっっっっっっっっっっっは。

 お笑いだわ。あなたカウンセラーじゃなくて新興宗教の勧誘者じゃないの。お釈迦様のように修行をして業を捨て去れとでも言うのかしら」

「いやそんな事して救われるのはごく一部の元々素質のある者だけだ。そんな人間は修行をしなくても勝手に救われる。

 所詮凡人は業からは逃れられない」

「あなた何が言いたいの?」

「だが僕は見捨てない。

 これを」

 私は小さくて白い花(ノースポール)で作られたリースを渡された。

「何これ? 私がこんなもの貰って喜ぶとでも」

「思わないよ。君なら札束の方が喜ぶだろうね」

「だったら」

「君が業から解放されたいと願うなら、これを校門の前で燃やすがいい。

 真の安らぎの世界への道は開かれる」

「っは。それが本当だとしても校門まで私は行き着けないけどね」

 きっと童貞と童貞の犬が今も私を捜し回っているだろう。

「あくまで業の道を選ぶというならそれもまた君の道だ。否定はしないよ。

 だが君が救われたいと願うのなら協力しよう。無事校門まで送り届けよう」

 このお人好しは断言した。普通なら笑い飛ばすところだが妙に信頼出来る。

 この業から解放される? 

 私が普通の人のように人の笑顔を見て喜びを感じるようになるというの?

 社会に怯えて喜びを満たさなくてよくなるというの?

 そんなことが。

 嘘くさくはあるが最低でも校門まで逃げられるなら儲けものである。

 私はリーフを見詰めるのであった。

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