第389話 大様の耳はロバの耳

「はあっはあっ」

 もうどのくらい走ったか分からない。

 なんで私がこんな目にと思いつつもなんとか一旦撒くことに成功した。ヤンキーは私を見失った。それでもこのままなら直ぐに嗅ぎ付け追いかけてくるだろう。今のうちにどこかに隠れないと。

 ふと見知らぬドアが目に入った。

 何の部屋だろう。授業で使った記憶も無い。まあ広い学園だ、まだ私が知らない部屋があっても可笑しくない。

 ここに入ってやる過ごすか。

 鍵は掛かってなかったようですんなりドアは開き中に入れた。

 薄寂れたドアと違い中はパステルカラーで統一され観葉植物の緑が際立つモダンな部屋だった。

 塵などないくらい清掃が行き届いた清潔感と暖かさが溢れ、不思議と落ち着く。

「どうしましたか」

 落ち着く声が聞こえてきた。

 デスクで仕事をしていたと思われる人の良さそうな男が此方に微笑んでいる。

 人がいたとは誤算だった。ここで騒がれるのはまずい。

「すいません。見知らぬドアがあって気になってしまって」

 私はさり気なくドアの鍵を閉めて男の方に近寄っていく。

「気にしなくていいよ。お客さんは歓迎さ」

 優しそうで人の良さそうな感じから女にもてないで女にいいように利用される男なんだろう。そりゃこんな可愛い私に話し掛けられたら喜ぶだろうね。今は精々持ち上げておいてやろう。

「ではお言葉に甘えさせて貰います」

「さあ座って、紅茶でも煎れてあげよう」

 私が医者に問診されるようにデスクを横にして男の正面に座ると男は立ち上がると甲斐甲斐しく動きだす。

 しかし男が戸棚から茶器を出している背中を見つつ必死にこの男が誰だったのか思い出そうとする。生徒ではないのは確実として、教師にこんな奴いただろうか? 童貞と同じ教育実習生でもないだろうし。

「どうぞ」

 スマートにすっと紅茶が注がれたカップが置かれる。

 走って喉が渇いていた私は素直に紅茶を口にする。

「おいしい」

「それは良かった。それで慌てていたようだけどどうしたんだい?」

 男は私が男を知らない処女なら思わず心を開いてしまいそうになる優しい笑顔を浮かべて尋ねる。

「それよりあなた誰よ」

 見知らぬ男に事情をペラペラしゃべるような初心な馬鹿じゃない。

「えっ」

 男は本気で驚いた顔をする。

「そうかてっきり知っていてくれるものと思っていたけど、そんなに影薄いかな。まあしょうがない、セラピストなんて影薄いしな~」

 男が頭を搔きながら何か悲しそうな顔でブツブツ言っているのを見ると私の心がうずうずしてくる。

「しょうが無い切り替えていこう。

 私はカウンセラーの飯樋 祷。悩みがあるなら聞きますよ」

 カウンセラー!? うちの学校にそんなにいたっけ? 

 人に言えない悩みを訳知り顔で知ることが出来る。

 ああ、何て甘美なのかしら。一段落したらこの男を是非落としたい。此奴も童貞同様女には縁がなさそう。私が少し猫のように媚びて舐めて上げれば簡単に落とせる。

「あなたは今心が破裂しそうなほどの悩みを抱えていますね」

「えっ」

 私が楽しい未来の絵図を描いていると隙間風のような声が心をぶるっと震わせた。

「そんなものを抱えたままでは心が壊れてしまいますよ。さあ吐き出してみなさい」

「でっでも」

 こんな会ったばかりの男に言えるわけがない。それに私は弱音を吐き出すような女じゃない、人の弱みを握っておもちゃにする女。

「職業的倫理でここで聞いたことは警察にだって漏らしません。僕を信じて」

 女にもてなさそうな頑固さを感じるから、それは本当だろう。だが人が良さそうな男だが私の脱出に力を貸してくれるだろうか?

 普通に考えたら貸すわけがない。

 しかしだがこの男本当に人が良さそうなところに上手く付け込んで同情を誘えば無くも無いか。どの道今ここを出ていく訳にもいかない。もう少し潜伏していたい。

 なら言ってみるのも一興かもね。 

 王様の耳はロバの耳、話せば意外とスッキリするかも。あの王様の失策は床屋を生かしたこと。もしそれでこの男が私を否定するというなら、消えて貰えばいいだけだし。

 何の気まぐれか私は少し心の内を吐露することに決めたのであった。

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