第381話 化け物

 このイケメン達は軽音楽部が集めてくれた情報から掴んだ野上が主催するパーティーに参加していた大学生達。人生謳歌するのはいいが、此奴らお顔がいいことに脇が甘い甘い。野上以外にも色々と手を出していて名と顔は知られているようで、下膳に依頼して調査すればあっさりと身元は割れた。後は少し探るだけで色々と臑に傷があるある。警察手帳を見せて少し脅すだけで、是非協力させて下さいとお願いされた。

 俺みたいないい奴では心が痛むが、やっぱ弱みを握るのが一番裏切られないのかもしれないな。

「以上、これで野上が処女で無いことが証明されました」

 静まり返った会議室で俺は優雅に野上一家に向かって一礼する。

「なっなっ、一体これに何の意味が」

 我に返った野上母が猛抗議してくるがお前がそれを言っちゃう?

 俺にとっては別に野上に膜があろうがなかろうがどうでもいいが、お前にとっては二つの意味で重要なはずだぜ。

「あなたが言ったんじゃないですか、娘は男を知らない処女だと」

「そうだとして、なっなんなっ何何ですか、それが娘がこんな大勢の前でこんな事をされる理由になるとでも」

「そうよ。私が処女だろうがどうだろうが、あなたに関係ある。

 チー牛、きもいきもきもいきもい」

 事実を証明しただけの俺を異常者にでも仕立て上げようと母娘揃って喚いてくる。

「あるさ。あると言ったのはそっちだぜ。

 穢れを知らぬ処女が男と柔道の組み手をするなんていかがわしい、だから娘と柔道の組み手をした俺は大問題だと実に見事な三段論法で処女であることを問題提議したのはそっちだぜ。

 前回の会議で得意気に言っていたのをお忘れですか」

 あくまで冷静に野上母娘のヒステリーを受け流していく。

「そっそれは・・・」

 俺に言われ野上母の勢いが衰えた。

 良かった。更年期のヒステリーでも記憶力までは衰えてなかったようだ。衰えているか都合の良い記憶改ざんをするようなら前回の会議の録音を流すだけだがな。

 この俺はこういう手合いの誠意に期待しているほど愚かじゃない。

「ですから証明したのですよ。

 これで野上が処女で無いことが証明されたので、逆説的に俺と野上が柔道の組み手をしたことは何の問題も無いことになりましたね」

 見事な三段論法返し。数学ならこれで終わりだが、人間は理屈を超えてくるから油断は出来ない。

 さあ、暴力か? 権力か? 感情か? どれで来ようがそれ以上の暴力か権力か理論で叩き潰してやるぜ。

「あわあわあわっ」

 野上の母親は頭の血管が切れそうなほどに顔を真っ赤にして声を詰まらせている。何かいい反撃を考えているが怒りで上手くまとまらないようだな。

 いいねえ~そのまま怒りに火を注いで血管をぶち切って野上母をまず潰してやる。

「そういえば教育委員会でもあるあなたには釈迦に説法ですが、そういえば音畔学園の校則にありましたね。男女の不純異性・・・」

 俺は優雅に音畔学園の生徒手帳を取り出し校則を読み上げようとした。

「あっあたしが処女で無ければ何だって言うのよ。そもそもあなたが私を怪我させたのが問題なんでしょ」

 何処の女子高にもありそうな黴の生えた校則だが、今この場校長教頭生徒指導の前で議題にされたらまずいと計算してのことだろう。野上がそれ以上俺に言わせまいと割って入ってきた。

 ある意味的確な反撃、処女については証人まで連れてこられて言い逃れ出来ないと素早く見切りを付けたのは流石の頭の切れ。

 ここまで恥を搔かせてやっても野上の心は折れていない、未だ俺がやや有利くらいで失言一つで天秤はどちらにも大きく傾く。

「失言だな」

 焦りからか野上は一番肝心なことを失念したようだ。有利な立場から弱者をいたぶっていただけの小娘、俺とは潜った修羅場が違う。

「なっなにが、苦し紛れかしら」

「お前は嘘でもここは全ツッパで処女だと言い張るべきだったんだよ」

 みっともなかろうが幾ら証人がいようが、処女膜の検査でもしようと言い出さない限り認めなければグレーのままでいられた。

「ねえ、翔陽さん」

「えっ」

 俺が声を掛けるまであのダンディー翔陽が白痴のように呆然としていた。

「あなたの愛した深窓の令嬢はどこにもいなかったことが、そんなにショックでしたか?」

「なっ何を馬鹿なことを」

「心中お察ししますよ。

 つい先程まで可愛い娘だと思っていたのが、男を銜え込む女だったと知ったショック。娘じゃない別人に見えても『しょうがない』ですよ」

「しょうがない」

 翔陽は免罪の言葉を呪文を唱えるように呟く。

「そうしょうがない、羞じることは無いですよ。

 人間誰しも仮面を被り、人間はその仮面を愛する。その愛した仮面が剥がれてしまっただけのこと、よくあるしょうがないことですよ」

「仮面? 私が見ていた娘が仮面・・・ああああああ」

 翔陽の視線は四方にぐるぐるまたって呻き声が漏れ出す。

「あなたは今まで娘に惜しみない愛を注いでいました。愛人も作らず愛する娘のため仕事に励む人生。そのことを誰よりも私が知っています。あなたは父親として立派でした」

 ぽんぽんと同情するように肩を叩いた俺に翔陽が縋るように視線を俺に合わせて来る。

「果無君」

「こんな形で娘が女だと知らされた父親の心境、察して余ります。しかし今なのです。剥がれた仮面を砕いて、真実に生きるときなのです」

 娘の仮面を剥ぎ取った本人がのうのうと言っているのに翔陽は神にも縋るように俺を見る。

「真実」

「自分の心に問い掛けるのです。自分の心に素直になるのです。

 ここがあなたの人生を取り戻すターニングポイントなのです。

 さあ、もう一度目の前の娘を見なさい。この目の前のお男達に抱かれ舐め回され子種を注ぎ込まれた娘の体を脳裏に焼き付け瞼を閉じて己の心に問い掛けなさい」

 何時か練習しておいた牧師の仮面で人を諭す口調で俺が言えば、翔陽は素直に野上を一目見て目を瞑った。

「つまらない世間体や常識を捨てて、あなたの心が何を望むか真摯に問うのです」

 優しく父のように背中を摩りながら言う。

「さあ、曝しなさい己の心を。 

 あなたを欺いたケダモノのような娘でも、受け入れ許すのも父の愛、怒り断罪するのも父の愛。どちらであろうと私は受け止めます」

「おっおれは・・・」

「お父様」

 野上が翔陽にいつものように自然と深窓の令嬢の仮面を被って心配そうに父を擦ろうと手を伸ばすが、その手が触れる前に俺が動く。

「さあ目を開き心を開けっ」

 翔陽は目を開き娘の姿を見た。

 さあ、素直に心を吐き出し俺に見せてみろ。

 色々とお膳立てをしたが最後は賭け。人の心を完全に操れるわけが無い。ここで全てを受け入れる父の愛を見せられたら素直に俺の負けだ。

 交尾に不純も清純もあるかと個人としては思うが、校則の不純異性交遊を楯に徹底抗戦をするまでだ。

「ひいいいいいいいいいい、汚い手で触るな」

 翔陽は野上の手を払い飛び退いてしまった。

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 やはり人間の心は操れない。まさか拒絶を選ぶとは思わなかった。正しい人間の翔陽にとって野上はいることすら耐えられない存在のようだ。

 この場合はどうなるんだ?

 胸から湧き上がる疑問を抑えて俺は冷静を装い観察する。これ以上幾ら俺が嫌な奴でも父と娘の間に部外者が割り込むのは野暮ってものだ。

「俺はもうこの件には一切関わらない。娘の始末は自分で付けさせる。

 私は仕事があるので帰らせて貰う」

 翔陽の目には野上はもう映っていない、振り返ること無くこの場から去ってしまった。

 予想外の結果だが、野上の力の元を砕く目的は達成出来た。野上がどんなに悪意を持った逸材だろうが今は女子高生の小娘に過ぎない、後ろ盾を失った以上学園で教師すら手を出しにくいアンタッチャブルでは無くなった。

 力で押さえつけていた反動は大きいぞ、小賢しい野上なら容易に予想出来るはず。

「やってくれたわね。ここまでする」

 野上が俺を睨み付けてくる目には力が籠もっている。

 くそっ、ここまでやって権力は折れたが、心は折れなかっただと。

 勝負はまだ続くというのか?

「それは此方の台詞だ。素直に柔道部の証人が来れば俺への暴行事件ということでなあなあで済ますことだってできたんだぞ。

 自分を追い詰めたのは自分自身と知れ」

 学校というものは、学生の将来とか何とか言って犯罪をなあなあで済ませたがる。尤も俺はそんな気はないがな。ただ単に野上を後悔させるために言っているだけ。

「五月蠅い。実際に証人はいないじゃない。会議の続きをしましょう、私への暴行事件は全く解決してないわ。

 私はなあなあにする気はないわよ」

 死なば諸共、後ろ盾を失ったが俺だけでも潰しておこうという根性が凄い。

 違うか、ここで俺だけでも潰しておけばまだ面子は立つ。学園内での面子を保てれば、父親の愛を後でゆっくり回復して学園の女王に返り咲くことも出来るという算段か。

 此奴のメンタルは化け物か。どうすれば此奴の心は折れる?

 優性だというのに俺の背中に汗が滲み出てくる。

 次の一手を攻め倦ね膠着する場を壊す騎兵隊のラッパが吹いた。

「あらまだやっていたのね。良かった間に合ったのね」

 ガラッとを開けて白前や橘井が入ってきたのだ。

「お前等、いまご・・・」

 裏切った女達の登場に俺は文句を言ってやろうとして言葉が詰まった。

 彼女達はボロボロだった。いつも綺麗に整えられている髪は全力疾走をしたかのような息同様乱れていた。それによく見れば衣服も取っ組み合いでもしたのかのように、所々ほつれたり破れたりしていた。

 彼女達は、まるで戦った後に急いでここに来たかのようだ。

「えっと、その姿は・・・」

「舐めないでよね。あんたの手下程度で止められると思っていたの?」

 俺のか細い声なんか無視して黒井は真っ直ぐに野上を睨み付ける。

 もしかして彼女達は懐柔とかで無く物理的な妨害を受けて来れなかったのか? 学園でここまで直接的な手に出るなんて俺には予想出来なかった。そんな手、目撃者だっているだろうし失敗したら言い訳のしようが無いぞ。

「くっ」

「教頭、証言いいかしら」

 白前が代表して教頭に発言の許可を求め、その返事が来る前に信じられないことが起こった。

「「「えっ」」

 誰もが唖然とする中野上が脱兎の如く会議室から逃げだしたのだ。

 野上は決定的な止めを刺される前に会議室から逃げていった。後で呼び出されるだけで執行までの時間が僅かに伸びるだけ。それでもこの場で完全敗北する前に僅かな勝利の目を残すために逃げた。

 もしかしたら俺以上のメンタルの化け物かも知れない。

「っで校長、どうします?」

 誰もが唖然とする教頭が校長に尋ねる。

「取り敢えず果無君は教育実習を続けなさい。野上君についてはもう一度両親が揃ったところで話し合う。以上だ」

 校長もまたこの場で野上の処分を下すのを避けたが、ここまでやったら良くて停学だろう。野上の柔道部での権力は著しく低下するだろうし、娘がこんな事になれば翔陽も学園の寄付を見直すことになり理事長派が勢いを盛り返すだろう。

 なんか悪徳令嬢に勝ってハッピーエンドのエンドロールが流れそうな勢いだが、俺自身としては野上との勝負には勝って仕事の成果は無かった。

 結局俺は野上の心を折ることが出来なかった。労力を掛けたが俺の教育実習を認められただけで終わり、結果的には振り出しに戻れただけ。

 まあ、そうそう仕事が上手くいくはずも無いか。仕方ない、切り替えて地道な調査に戻りますか。


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