第375話 悪い男ごっこ

 影狩と二人並んで翔陽が入っていった店の木製の重厚なドアを開けると絵などが飾ってある廊下になっていた。女の子がいるフロアに行くには、フロアからの音が漏れてこない静かなこの廊下を渡って向こう側にあるもう一つのドアを開ける必要があるようだ。

 だがふわふわの絨毯が敷かれた廊下を二三歩も歩けば、さっと道を塞がれた。

「失礼ですが、お二人は当店が初めてですか?」

 にこやかな笑みを浮かべつつ道を遮る圧を放つ壮年の黒服。

「そうだけど」

「そうですか、お二人とも若いようですが大丈夫ですか? ウチはそこいらのキャバクラとは違いますよ」

 安いと言って誘って高額の料金をふんだくるぼったくりクラブに比べれば、此方を見下す態度だろうと高いことを事前に教えてくれるこの店は明朗会計の優良店なんだろうな。

 ここは翔陽が使うだけあってここはそこらの安キャバクラとは違い、ここでの出費は懐に結構痛い。なんとしても有力な情報を掴んで仕事を成功させ必要経費で落とす必要がある。

 俺は背水の陣で挑む決意を固め、クレジットカードを見せつつ言う。

「これから遊ぼうというのに野暮な事言うなよ」

「失礼しました。

 ご案内します」

 黒服は暫し俺の目を吟味すると恭しく案内を始めるのであった。


「お疲れですね」

 ソファーに座る俺にセミロングの髪を流ししっとりとした声を出すホステスが微笑みならがおしぼりを出してくる。

 癒やし系だろうホステスの第一声がそれか?

 俺はそんなに疲れた顔をしているのか?

 まあ疲れているんだろうな。

 俺みたいな男に女子校への潜入はハードルが高すぎる。この依頼が片付いたら、少し休もう。うんそれがいい、時雨に貯まっているカリをここで返して貰って、どこかにデートにでも行こう。

「水割りでいいですか?」

「お願いします」

 おしぼりで顔を拭きつつ、隙間からターゲットを見る。

 ターゲットに近すぎず、それでいて視界に自然に入れることができる距離。会話こそ聞こえないが、流石にそこまで近付けば身バレする危険も増えるというもの。明日を控えそこまでのリスクは侵せないことを考えればベストと言っていい。

 黒服に任せるがままに案内された席だが、なかなかの位置取り。おかげで小細工をして席を変えさせる必要は無くなった。

「どうぞ。お若いですね」

 ホステスが水割りを俺に差し出しながら聞いてくる。

 まあ若いも何もまだ大学生だしな。本来ならこんな高級クラブは分相応というもの。この若さで来れるのは金持ちのぼんぼんか人気アイドル、さもなくば営業のホストだろう。

「ええ、まあ、先輩に連れてこられまして」

 俺は金持ちぼんぼん陽キャラの先輩のお情けで連れてきて貰った陰キャラの後輩という設定。とても女の人なんかと楽しい会話なんか出来ないキャラに成りきって、ハッキリしない弱々しい返事をする。

「ふーーーん、そーーなんだ」

 何かホステスの目が俺を品定めしているように感じる。

 そうそう俺なんぞ二度とここに来れない貧乏人の負け犬、リピートを期待出来ないと興味を無くしてくれるとありがたい。

 黙り込む俺に隣の会話が聞こえてくる。

「君可愛いね。俺バンドやっているんだ」

「へー凄いじゃん」

「良かったら、チケット買ってよ」

 いつも持ち歩いているのか影狩は懐からチケットを取り出す。

「うーーん、どうしよっかな。

 お代わりしていい」

 そこそこ可愛い兎のようなホステスは影狩の胸に凭れながら甘い声で空のコップを振る、流石プロなのかチケットは買わず金を使わす。

「いいよ。じゃんじゃん行こう」

 影狩は金持ちボンボンの陽キャラを見事演じているというか、ほぼ地だが。出費には目を瞑るので、兎に角明るく楽しい会話をしてホステス達の注意を惹き付けおいて欲しい。

 ホステス達も俺なんかの相手をするより隣の明るいハンサムの相手をしていた方が楽しいだろう。

 これもWin-Winだ。


 俯いて水割りを啜りつつ翔陽のテーブルを観察しているが、翔陽はクラブだというのに羽目を外すこと無く綺麗に飲んでいる。普通高い金払ってこんな店に来ている上に酒と女に囲まれているんだ接待とは言え少しははっちゃけるだろ。なのに接待されている大地主達のようにホステスに酔ったフリして肩を抱いたり尻を触ったりしない。

 それでいて俺のように輪に入れずぶすっと黙っているわけで無く、適度にしゃべって笑ってホステスや招待客を楽しませている。

 完全にホスト役に徹した接待モードだな。あんな娘の父親なのに仕事に対してはまじめなようで、幾ら親しくても顧客の前で仮面を外すような甘い男じゃ無いようだ。少し調べれば悪行がボロボロ零れる娘と違って強敵だよ。

 早くもクラブへの潜入調査の失敗を感じ取り、顧客を見送った後で一人になったときに仕掛けるハニートラップは半丁博打に期待しなければならない雲行きになってきた。

 隙が無いなら隙を作らないといけないのだが、この男はどうすれば隙を見せるんだろうな?

「ねえ、私に惹かれないなら違う娘に変わりましょうか?」

 五月蠅い女だ。

 どうもこのホステスはプロ意識が高いようで俺なんぞほっといて影狩と楽しむ気はないようだ。

 プロ。

 男を値踏みし狩るプロ。

 そのプロの目なら俺では分からない翔陽の何かが見えているのかも知れない。

 顔をホステスに向けると同時に俺は女のVスリットに万札を挟み込んだ。

「なにこれ?」

 訳も無く金を下劣に渡されホステスはムッとした顔をする。

「悪い男ごっこ。

 その前にえっと名前は」

「詩奈よ」

 急に変わった俺の空気に詩奈は訝しむような声で答える。

「ここにどのくらいいるの?」

「二年くらいかしら」

「ふ~ん、売れっ子」

「No3」

 この店でNo3なら上の中以上のランクのホステス、申し分なし。

「なら人を見る目があると見込んで聞こう。

 あそこにいるダンディーを攻略するならどうすればいいと思う?」

 俺はソファーに凭れながら翔陽を軽く指差す。

「えっあんた野上社長狙い? ホモ」

「殴っていいか?」

「冗談よ。

 何かあると思っていたけど、へえ~大人しそうなフリしてそんなこと企んでいたんだ」

 クスクス笑いながら詩奈は拳二つ分空いていた隙間をトントンと詰めて、俺にもたれ掛かってくる。柔らかい尻と胸がアメーバのように俺の体に絡みついてきて香水の匂いが立ちこめる。

 あんたこそ清楚そうなフリしてホステスの技を心得ているじゃ無いか。

「分かっていると思うがその胸のお金は口止め料だ」

 照れたら負け、俺は詩奈の肩に腕を回して自分に引き寄せ耳元で囁く。

「悪い男っぽいね」

「それで有力な情報を教えてくれれば、もう一枚だ」

「まあ、うれしい。でも期待に応えられるかしら」

 俺の胸に顔を埋めいじらしく健気な女の感じで言う。

 怖い怖い、コロッと落ちてしまいそうだ。

「詩奈はダンディーでいい金蔓になる野上社長を落とそうと思わなかったのか?」

 金が無くても抱かれたくなるようないい男が金も持っているんだ。これを狩ろうと思わないホステスはいないだろ。

「勿論私もホステスよ、プロ。いい客は掴みたいともうわ。でも駄目だった。ホモじゃ無いかと思うほどスマートすぎだわ」

 スマート過ぎね。

 あれだけの男だ、今まで散々女なんて喰ってきただろう。

 女なんか食い飽きたということか?

 本気でハニートラップ、急ぎ影狩に変更した方がいいのか?

「それでも君ほどのホステスなら何か掴んだんじゃ無いのか?」

「さあ、何度か付いたこともあるけど彼が酔って羽目を外したこと見たこと無いわ」

「何しにここに来ているんだろうな」

「あなたと同じで仕事じゃ無いの」

 俺を揶揄するような物言いだが、全くもってその通りだ。

 翔陽も俺と同じく公私はキッチリ分けるタイプなのか? 初対面でのあの傲慢かつ親馬鹿っぷりから俺が安易に想定していた成金成り上がりワンマン横暴社長のイメージはドンドン崩れていく。

 娘は親の権威を傘に横暴しているというのに、親は成功者こそ足を引っ張られないように身を慎ましくしなければ成らないことを知って実践できているとはな。

 正直本人にアキレス腱はなく、アキレス腱は娘か。娘を攻略するのに親を利用しようかと思ったが、ストレートに娘を責めるしかないのか。

「まあ、そうだな。

 じゃあ野上社長はプライベートでは一切ここを利用してないのか?」

「そうね。少なくても愚痴を吐きにとか女の色気を求めて来たこことはないわね」

 そういう店は別にあるということか?

「無いと思うわよ」

 詩奈は俺の心を読んだように答える。

 なら店じゃ無くて個人的にそういう女を囲っているとか、だが今までの調査ではそんな女の尻尾すら掴めなかった。

 予想以上に防御は堅い、だがそれでもアルコールを飲めば少しは口が軽くなるというもの。

「何かプライベートに関する話はないのか?」

 好きな球団とか車とか趣味とか、もう本気でどんな情報でもいいという心境になってきた。

「そうね~。球団も車も話題のために用意した感じがするのよね~」

 俺同様戦略に合わせてプロフィールを設定して演じるタイプなのか?

 益々似ている。そんな奴の本心は独り自分の心の中にしか晒さない。だとしたらここでこうしている時間は無駄にしかならない。

「そうそう、一度だけ娘さんが名門の女子校に入ったこと、珍しく本心から嬉しそうに話していたのを覚えているわ」

 娘への愛だけは本物か。

 そういえば翔陽は娘の本性を知っているのか?

 知らないで上辺だけ見て愛しているのか、本性を知っていて愛しているのか?

 この間の印象では前者のような気がするが・・・。

 偽りの娘を愛する本物の愛。

「君の話を総合すると、女遊びなんかするくらいなら愛する娘がいる家に帰る父親となるのか」

「娘を愛する理想の父親よね~」

 詩奈が大した意味も無く言った一言に俺に小さい稲妻が走った。

 だがそれはあまりに小さく瞬きするほどの一瞬、このヒラメキがなんなのか言語化できない。

 だがヒラメキを具体化してこその理系よ。じっくり思考を深める必要があるな。

「ほらよ」

 俺は万札を追加で一枚詩奈の胸の谷間に札を挟み込んだ。

「えっ」

「約束は守るさ」

 小さいが光明は輝いた、後は俺の努力次第。

「せっかちね」

 詩奈はさっと名刺を取り出し裏に何かを書き込むと俺のポケットに差し込んだ。

「何の積もりだ?」

「悪い女ごっこ。

 私の個人メールのアドレス書いておいたから連絡頂戴ね」

「約束は出来ないな」

「悪い男なら、そこは嘘でも絶対するって言うところよ」

「根はいい奴なんだ」

 合理主義の男と夢の女。

 この女が演出する夢の世界に浸れるような性格だったら人生楽しんだろうが、嘘と分かっていて騙される馬鹿になれないつまらない男が俺。まあだから女にもてない。

 さて用は済んだ。ここにはもう用は無い俺は立ち上がる。

「先輩、お先に失礼します。後はお願いします」

「ああ、分かった。

 えっ!?」

 一瞬影狩が棄てられた子犬のような顔を向けるが、俺は構うこと無く一足先に退店するのであった。

 まあ影狩だって社会人、カードの一枚くらいは持っているだろ。仕事が成功した暁には補填してやるから心配するな。


 外で待機している俺に影狩からお怒り混じりのメールが来た。翔陽がもう直ぐ出てくるらしい。

 それに対するカードは。

「頼むぞ栗林」

「はい、任せてください」

 野上にコスプレした栗林がいた。

 服装も急ぎ野上が着ていそうな服に変えて、髪型も野上と同じに変更した。口調や態度に関しては翔陽の前ではこうしているだろうと予想したいいとこのお嬢様の演技をして貰っている。

 理想の父親には理想の令嬢だろ。

「見事な化けっぷりだな」

「これでも仕事はキッチリこなすタイプだし」

「もう化けの皮が剥がれ掛かっているぞ」

 令嬢はそんな元気いっぱいのドヤ顔はしない。

「剥がれてないし、・・・そんなことありません」

 そういえば此奴も音畔女学園に通っているならそこそこの家の子なんだよな。

「頼むぞ。無理にホテルに誘う必要は無いからな」

 当初の予定では栗林がコンパなどで培ったテクで翔陽をホテルに誘う積もりだったが、キャバクラでの話を聞いて急遽変更した。

「なになに急にウチに独占欲湧いた?」

 栗林がニヤニヤと俺を見上げてくる。

「見くびるな。お前の覚悟は本物だと認めたんだ、今更私情は挟まない。

 お前に出来ると思ったことはやって貰う」

「はいはい、そーですか。ウチ等のボスはクールですね」

 何処か嬉しそうに栗林は文句を言う。

「野上のコスプレをしたお前が接触してきたときの素の翔陽の反応を知ることの方が最重要。その上で川が流れる如く自然な流れで向こうからホテルに誘ってくるなら上々だ。お前と翔陽がベットの上で裸で抱き合っている写真をバッチリ撮ってやる。

 まっここまではよっぽどお前に魅力がないと無理だからな、そこまで期待しないさ。

 いてっ」

「言ったな」

 栗林の蹴りが俺の尻に飛んできた。

 こうは言ったが、期待は出来ると思っている。

 こんな時間の繁華街に令嬢がいるのが、そもそも不自然かも知れない。だがそこが逆にラブロマンスのエッセンスということで却って男の想像が膨らむ。翔陽が栗林を家出少女とでも思って浪漫が始まれば、向こうから保護しようとする体裁でホテルに誘うかもしれない。

「まっじゃれ合いはここまでにしようか。期待してなければ頼まないさ」

「ふんっ」

 ここで栗林は俯いて一呼吸。

「私の魅力見せてあげる」

 顔を上げた栗林は令嬢らしい神妙な表情に変わっていた、知らなければ俺でも騙されそうだ。つくづく女は役者だよ。


 数分後、店から出てきた翔陽は得意先の地主達を女の子と一緒にタクシーに乗せて見送っていく。そして最後に残った翔陽はスマフォを取り出して今度は自分のタクシーを呼ぼうとする。ここまで隙の無い翔陽だったがスマフォに気を取られたタイミングで人混みから突き飛ばされたように飛び出てきた栗林がぶつかる。

「きゃっ」

「大丈夫かい」

 ぶつけられ自身のスマフォも道に落としたというのに、まず先に笑顔で転んでしまった栗林に手を差し出す。

 何処までスマートなんだよ。本当の野上と血が繋がっているのか?

「すいません。スマフォまで落とさせてしまって」

 栗林は尻餅をついた体勢から気付いたら横座りに移行している。あざとい、当然狙った座り方だ。明るい昼間だったらあざとさが目立って逆効果だったかも知れないが、暗い繁華街とあってあざとさは闇に薄められたおやかに見える。

 栗林はスマフォを大事そうに左手で拾って右手で翔陽の手を握って立ち上がらせて貰い、「あっ」とそのままふらつくようにそのまま翔陽の胸に飛び込む。

 ここだっ。

 ここでの翔陽の反応が見たい。

 栗林に抱きつかれた翔陽は?

 そのまま固まっていた。

 ・

 ・

 ・

 しばし暫しの逡巡。

 翔陽は腕を震わせ背中に廻そうとしながらも後悔を刻んでいくようにゆっくりと栗林の肩を掴んだ。そして優しく引き剥がしていく。

「どうしましたのおじ様」

 栗林は離れていく翔陽を見上げ甘える声を出す。なんとか湧き上がる欲望を抑え込んだ翔陽にえげつない追い打ちを掛ける栗林。

 その声にその顔に聞き翔陽は栗林の突き飛ばし脱兎の如くその場から逃げ出すのであった。

 逃げた。

 スマートダンディー翔陽が初めて見せたスマートで無い対応。

 ここで軽く注意するとかタクシー代を渡して去って行かれたら、正直どうしょうも無かった。

 だが初めて綻びを見えた。

 これが意味することは?

 これらか導き出せるものは?

 さあ、時間は無いぞ。今まで集めた情報と今の情報、シナプスを刺激させて結合させてひらめいた策を実行だ。

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