第371話 一女難去ってまた一女難

 腰まで伸ばした碧髪を掻き上げて此方を見る切れ長の目は虫螻を見るように冷たかった。

 音畔女学園の制服のネクタイを緩め胸元のボタンを外した着崩した着こなしから不良っぽい印象を受ける。

 こんな伝統ある女子校でヤンキーがいるのか?

 いないだろ。だがヤンキーなら授業をサボってここにいる説明も付く。まあそこは重要じゃ無いんだけどな。大事なのはなんとかして口を封じること。

 女子便所にいたなんて醜聞が流れたら明日を待たずにクビになる。

 どうする?

 この場で誰にも見つからないように拉致って監禁するか?

 無理だ。幸い今は授業中とはいえ騒がれれば見つかる。手持ちにクロロホルムはないしスタンガンはさっきのでバッテリーは空。手刀一発で気絶させることだって出来ない。

 そうなると力尽くで拉致になるが、騒がれて見つかってジエンドだ。

 ならば、あまりスマートではないが説得して口を噤ませるしかないか。

 幸い誰の目にもとまらない場所が直ぐ後ろにある。

 一気に女子トイレに引き釣り込んでしまえば、どうにでも成る。男子禁制の場所だが今なら人目を気にせず、金でも脅迫でもじっくりと時間を掛けて説得が出来る。

 好奇心猫を殺す。

 変なことに首を突っ込んだ自業自得と今度の将来の為の授業料と思って貰おう。

 今回の事件で初めて俺に牙を剥いた魔、あれは危険だ。下水に流した程度で倒せていればいいが、魔はそんな甘いものじゃないとの確信もある。それにあれが本質じゃ無い、背後に元凶とも言える魔が潜んでいる予感もする。

 ここで少女を少々強引に説得することなどあの魔を放置する危険と比べれば考えるまでも無く許容範囲。査問に掛けられても正統を主張出来る。

 合理性があれば俺は実行するのに躊躇はない。

 すっと心が抜けて密林で獲物を構える虎のように体が締まっていく。

 少女との間合いを計り間を計る。

「何だよ黙り込んで、怖いぞ」

 そう俺は怖い。

 心が壊れた男。

 お嬢さんそんな男と二人きりになった己の迂闊さを呪うがいい。

 少女も何か俺から感じたのか警戒しているのが気配が伝わる。

「変態とは随分だな」

 少女の警戒を下げて拉致の成功率を上げる為、俺は得意のフレンドリーな笑顔の仮面を被りつつ、じりじりと摺り足で少女との間合いを詰めていく。

「授業中に女子トイレにいたんだ言い分けできるのかよ」

 少女の警戒心は解かれない、ごもっともな事で此方を攻めてくる。

 一足で捕まえて引き釣り込むにはもう少し近付きたいな。

「そういう君だって授業中なのにここにいるじゃないか。ここはお互い様ということで」

 少女の気を和らげるため俺は少女が授業をサボったことを指摘して悪同士のシンパシーが湧かないか期待する。

「馬鹿じゃないのか。

 女子生徒のあたしがここにいるのと部外者の男であるあんたがここにいるのとじゃ重みが全く違うだろ」

 ん?

「お前俺を何だと思っているんだ」

「学園に侵入した不審者だろ」

 あーーーーーー俺は致命的な早とちりをしてしまったのか?

「もしかしてお前俺のことを知らないのか?」

「何自惚れてんだ? お前みたいな変態知らないな。それとも有名な変態なのか? 交番に手配書が貼ってあるとか」

 少女の俺を揶揄する表情を見て確信した。

 やってしまった。

 俺は初日にやらかしたことで、この学園ではもはや誰も知らないくらい有名人になったと思っていたが、どうやら思い上がりだったようだ。

 俺を知らない。だったら少女を突き飛ばして逃走するという選択肢もあったのか。だがもうこれだけ会話をして認識された以上今更だろう。逃げるなら少女が俺をよく認識していない内だった、もはや逃げたところで直ぐに特定されるだろう。

「この間から来ている教育実習生だ」

 俺は堂々と名乗りつつ間合いに踏み込んだ。

 もはや引けない、後は少女の隙を突いて腕を掴み引き釣り込むだけだ。

「教育実習生? 嘘言うなよ。教育実習生がトイレで盗撮するかよ、違うか。それが目的で教育実習生になったとか」

 少女の世紀の大発明を思い付いたような顔がムカつく。

「何が悲しくて女の汚物を見る為にそこまで努力しないといけないんだよ」

 退魔官としてで無く果無 迫個人としてその誤解だけは許せない。

「兎に角教育実習生だろうが、実習生・・・」

 何かを思い出したように少女は一瞬黙り込んだ。

「あんた名前は?」

「先に自分が名乗るのが礼儀だろ」

 今更隠したところでしょうがないのは分かっているが、変態呼ばわりしてくれた女に名乗るのは癪なので心証が更に悪くなろうとも断る。

「問答無用で警察に突き出されるかも知れないのにいい根性してるよあんた。

 益々言われた通りだな。もう面倒臭いからズバリ言うぞ。

 あんた果無だろ」

「そうだ」

 流石にここで拒否しても話が進まないだけだし、反感よりなぜこんなヤンキー娘が俺の名を知っているかの興味の方が勝った。

「あちゃーーーーーーーーーーーーーーーー」

 少女が顔に手を付けて宝塚歌劇団のスターかよというくらいオーバーアクションで嘆息する。

「だからなんなんだよ」

 なぜ名前を知っているのもなぞだが、なぜか先程までの警戒心が一気に薄れて少女の体から緊張が抜けのを感じる。今なら余裕でトイレに引き釣り込めそうだが、もはやそういう空気では無いことは分析できる。

「ちっそうなら早く言えよな。

 しょうがねえ、誰かに見られる前にここから離れて、どこか落ち着ける場所に行くぞ」

 急に協力的になったな。事情は分からないが今はこの流れに乗るべきだな。

「なら屋上はどうだ」

「鍵が閉まってるだろ」

「俺は持っている。先生だからな」

「そうか、なら行くぞ」

 少女は変態とまでなじった男を全く警戒していない、くるりと振り返って無防備な背中を晒して屋上に歩き出す。

 拉致するまでも無く人気無い場所に自ら行ってくれる流れに俺は素直に少女に付いていくのであった。


 授業中のこともあり誰にも会わずに屋上に着くことが出来た。

 気持ちいい風が吹き暖かい日差しが照りつける屋上で少女と俺は向かい合っている。

「私は鮎京 夏月。

 特殊案件処理課所属の臨時特命学徒捜査員だ。

 三目の旦那からお前を手伝えって言われたから、協力してやるよ。

 よろしくな」

 先程のやり取りが嘘のようにカラッとした笑顔で鮎京は名乗るのであった。

 そういうことか、俺もどっと緊張が抜けるのであった。

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