第369話 下っ端

 三目が予約しておいた会議室に入って席に着けば、見透かしていたように三目の部下なのかスーツで固めた堅い印象の女性が珈琲を持ってきた。

「まあ、どうぞ。愛用の豆で入れましたから、備え付けのインスタントとは違いますよ」

 自慢するだけあって、確かにいい香りがする。

 それにしても持ってきた珈琲は二つ、女性は名乗ることも無く俺の対面に座った三目の後ろに直立不動で控えている。

 いい趣味の男だ。

 いい女を従えていると自慢したい気持ちもあるだろうが、さり気なく自分は専属の秘書がいる立場の人間だと俺に示威行為をして交渉を有利に進める腹づもりなのだろう。

 俺も今度使ってみるかな。

「それで先程は穏やかで無い言葉が出たが、どういう意味だ?」

「越権行為ですよ。

 はい、ご説明しましょう。学校は我等文部科学省の管轄。それを公安が我等に一言も無く土足で入り込むなど許されない越権行為です」

 縦割りお役所の縄張り争いかよ。頼むからそういうのは下っ端で無く上の方で争っていて欲しいものだ。

「わざわざ来て貰って何だが誤解があったようだな」

「どういう意味です」

「俺は今回は退魔官として動いてはいない。

 民間人として仕事を受け、教育実習生果無としての身分で学校に潜入している。警察の権力は使ってないぜ」

 嘘じゃ無い。今回は公安として仕事をしていない証拠に五津府や如月さんからの命令で無く、民間人であるじいさんから民間人である俺が直接受けた仕事で、今のところ警察の権力は何一つ使っていない。

 尤も仕事を廻したのは五津府なので民間の枠を超えたら尻拭いはして貰うけどな。

「そんな屁理屈が通用しますかな?」

 誤魔化しは通用しないとばかりの顔を見せ付けてくれるが、珍しく俺は詭弁を使っていない正論なんだが。

「屁理屈なんか一言も言ってない。俺は半官半民の退魔官だぜ。魔関連の事件しか関われない代わりに普段は自由にしていいことになっているし、魔に関わる者として帝都警察病院の利用も許可されている」

 人材確保の為だろうが、半官半民の退魔官は公安からの仕事が無いときは基本自由。サラリーマンをやってもいいし民間から直接トラブル案件の仕事を受けて稼ぐことも制度上許されている。副業禁止のガチガチの公務員とは違う。

 帝都警察病院にしても魔に関わる者には利用することを許可どころか推奨されている。これは魔に汚染された患者が政府が知らないところで潜伏される事態を防ぐ為で、民間人の警察への協力の意味合いも強い。

「お前の主観がどうだろうが、筋は通ってお役人が好きな規則は何一つ違反をしていない以上此方に非は一つも無い」

 正論を振りかざしていれば事態は何も解決しないし進まないが、それを望まないなら正論を振りかざしているのが最強。

 お役人さんは規則違反を糾弾するのが得意だが、してないなら何も言えまい。

 だが三目は口を開く。

「誤解しているようですが規則がどうこうという問題じゃ無いんですよ。

 規則は守って当たり前です。

 問題は、文部科学省の縄張りであなたが自由にふるまったことです。そんなこと誰が許しました」

 三目は人差し指でトントン机を叩きながら言う。

 此奴開き直ってストレートに利権争いをする気か。お役人は利権を守るためなら利権をフルに使ってくる。

 此奴等が持つ利権といえば学校、学校と言えば俺は大学生だったな。社会人になっていれば完全に影響を排除出来たかも知れないが、今は此奴等の利権の傘の下にある。

 下手に敵に回すと退学にさせられるかも知れないな。

 だがここで安易に退けば、ことある度にそれをネタに脅され食い物にされる。それを避けるには此方も何か相手の弱みを握って対等になるしかない。

 ワイルドカードの上司である五津府の権力に頼るのは最後の最後の最後にしたい。

「お前等が何もしてくれないと私立学園の責任者が俺に許可したぞ。

 そもそも縄張りというならお前等がちゃんと管理してさっさと解決していれば俺にお鉢は回ってこなかったんじゃないかな。

 俺を責める前にお前等の怠慢こそ自省するべきじゃ無いのか」

「それを言われると頭が痛い。

 文部科学省特種案件処理課と名前こそ勇ましいですが人手不足でして、人間相手だけでもてんてこ舞いなのに、とても魔にまで手が回せないのが実情でして」

 演技臭く三目はハンカチで額の汗を拭いたりしている。

「人間相手なら手が回っているような言い方だな」

「そう虐めないでくださいよ。

 何処も予算が豊富にあるわけじゃ無いのはあなたも分かっているでしょ」

 押されて押し返した分だけ三目は引いていく。糠に釘を刺すとはこういうことを言うんだろうが、何が狙いなんだ?

 どんなカウンターを狙っている。

「予算が無く手が回らないなら、黙認したらどうだ。

 そもそもお前達で魔関連の事件を解決できるのか?」

 先程の言い方だと特殊案件処理課に旋律士はいないのだろう。そして此奴等は公安と違って旋律士とあまりパイプが無いように感じる。

 攻め所はそこか?

「特殊案件の魔は非常にデリケートかつ滅多に無いこともありましてノウハウがあまりないのが実情でして」

 つまり縄張りと威張ったところで解決できない訳か。

 取引材料は決まったな。

「なら尚更だろ。それでお前の縄張り内で発生した問題が手間も予算も掛けること無く解決するなら願ったりだろ。

 別に俺は手柄を吹聴したりしないぜ」

 文部科学省だって事件が発覚してマスコミに叩かれたりするくらいなら、人知れず事件が解決されていた方がいいに決まっている。そして俺はそれをネタに脅迫したりしないとさり気なく助け船も出している。

 これぞ誰も損しない。俺良し、学園良し、文部科学省良しの三方良し。

「いや~そうなんですけど、やはり管轄に勝手に手を出されますと上の方がですね沽券に関わると五月蠅いのですよ。

 そこは察してください」

「知るか、そういう話は上でやってくれ」

 そういう政治の話は上で決着してくれ、俺は現場の下っ端だ。

 一等退魔官、警部と同格は十分上と言われそうだが、下がいないんだからどんなに偉そうな階級でも下っ端だ。

「ええですから五津府さんと話し合ったと言ったでしょ」

 したり顔の三目のその一言で俺の中の闘志が急に萎んだ。

「そうだったな。ならもったいぶらずに結論を早く言ってくれ、時間の無駄だ」

 上での政治的決着はもう付いているということか、これは俺が納得したという体裁を整えるための儀式に過ぎない、今までのやり取りは俺のガス抜きの茶番。

「そうですね、我々の時間の無駄は税金の無駄になりますしね。

 折衷案としてあなたに特種案件魔に分類されるものに関して処理する権限を持つ特魔教諭捜査員の身分を与えることになりました」

「なんじゃそりゃ!?」

 またまた意味不明なお役所階級が出てきたぞ。

「特魔教諭捜査員の資格者には、文部科学省管轄下で発生した特殊案件の魔に分類される事項を処理するに際して超法規的権限が付与されます。まあ平たく言うと学校に関係する魔事件を解決する為ならあらゆる手段が許されるということです。

 また今回はあなたがまだ学生であるとかの特殊性を考慮して退魔官同様、半官半民の資格、特魔臨時教師捜査員とします」

「臨時?」

「教育免許を取って頂いた後に文部科学省への配属を希望して頂ければ、直ぐにでも臨時は取れて正式採用しますよ」

 しれっと引き抜きかよ。俺が優秀と言うより、どこも魔関連の仕事は貧乏籤なんだな。

「それはおいておいたとして、具体的にどうなる?」

 それで俺を文部科学省の影響下にある者にして、今回の事件解決に文部科学省も一枚嚙んだことにする魂胆は分かるが、俺のメリットが無い。

 重複する権限を貰って仕事と責任が二倍になるんじゃ笑えない。俺のガス抜きならそこはしっかりして貰おう。

「警察庁でなく文部科学省が責任を持ちます」

「そんなのは当たり前だ。

 退魔官なら警察の協力を得られるが」

「文部科学省に連なる者への命令権を持ちます」

「はっ、水戸の印籠の如く免許証でも見せれば教師が平伏すのか?」

 学生時代一度は夢見る光景だが、もうそういった時期は過ぎた。

「それに付随して文部科学省が認可した許可や資格などの剥奪権」

 クビにすると脅して教師に命令したり、学校が受けた許可を取り消すと脅して学校に命令したりできるわけね。

 質悪。利権ヤクザじゃねーか。どうせなら大金払うと言って飴で連れよ。

「勿論我々特殊案件処理課もバックアップします」

「人手不足のか?」

「我々も名目だけ与えて手柄を貰うようなマネはしません。

 今回の案件について特種案件処理課からエージェントを一人サポートさせます」

「今更か? 来る頃には終わってるぜ」

 幾ら文部科学省とはいえ、今からエージェントを用意して潜り込ませるには1~2週間は掛かるだろう。俺はそんなに時間を掛けるつもりは無いし、掛けていられる状況でも無い。

「その心配はありません。既にエージェントは音畔女学園にいます」

「何!?」

「今回の件について言えば、珍しく人手不足の我々が働いていたところに後から割り込んで来たのは貴方達の方なんですよ」

 なるほど、それは頭にくるかもな。だがそれなら理事長と上手く意思疎通をしておいてくれれば俺が巻き込まれることは無かったというのに手際が悪いと嫌みでも言おうと思ったが、不正調査じゃ学園の上とは迂闊に接触出来ないか。

 しかし、じいさん学園の不正については一言も言ってなかったな。俺に関係無いと思ったのか、じいさん自身が関わっていたのか。

 まっ退魔官の俺には関係無いか。

「フンッ、さっさと片付けないのが悪いな。

 民間は仁義なき競争だぜ、公務員も見習うべきだな」

「授業などがあるので直ぐにコンタクトは取れないかも知れませんが、本人からコンタクトを取るように命令しておきます」

 三目は俺の嫌みなど軽く聞き流して言う。

 授業があるということは用務員とか事務員では無い訳か、怪しい教師とかいたかな?

「どうです。これで引き受けて此方の顔を立てて貰えませんかね」

 ちっ完璧に落としどころまで考えてきたのか。何だかんだ言って、今回俺は此奴の掌の上で踊っていただけか。

「返事は五津府さんに直接確認を取った後にさせて貰う」

「そうですね。私があなたを嵌めるために嘘を言っている可能性もあります。当然の考慮です。ええ分かっています。

 その用心深さ、それでこそ役人、あなたいい役人になれますよ」

 皮肉にしか聞こえない。

 だが三目は若造に勝った気になって油断したな。

 確認すると言ったが今すぐとは言ってない。一週間後に取れば問題だが、二~三日後に確認したなら可笑しくは無い。実際五津府は忙しい身で直ぐにアポを取り付けるのは難しい身だしな。

 もし明日事件を解決して明後日特魔臨時教師捜査員になったら此奴はどんな顔をするんだろうな、考えただけで久しぶりに楽しくなる。

 分かっている。そんなことをすればいらぬ恨みを買うだけだ。掌の上で踊りっぱなしが悔しいから、ちょっとした小役人の妄想だ。

「話がまとまったところで、その特魔臨時教諭捜査員の待遇についてじっくりと話すとしようか」

「えっ」

 三目が腰を浮かせ掛けたタイミング俺は言う。

「まさかただ働きってことはないよな。報酬について話し合おうじゃ無いか」

「いや~予算無いって言いませんでしたっけ?」

「国の教育を司る者がただ働きをさせたら示しが付かないぜ」

「報酬は学園から出るものと思ってますが」

「俺を文部科学省の配下として働かせるなら文部科学省の誠意を見せて欲しいと言っている」

「ははっ参りましたね」

 この後俺は三目と先程以上のタフな交渉をするのであった。


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