第358話 悪魔の囁き

「ほらよ」

 体育館の裏に回ってちょっと見で分からない死角で待っていた俺に遅れてやって来た大久が缶コーヒーを差し出してくる。

「えっ」

「驕ってやるよ。学生に金を出させるようなマネはしないさ、それに一応俺はお前の先輩だしな」

「ありがとうございます」

 オリンピック代表選手にこそ選ばれなかったが、大学でもバレーを続けつつスポーツ理論を学んでいた流石筋金入りの体育会系、さらっと先輩風を吹かす。

 まっこれから交渉する相手の心証を害してもしょうが無い素直に貰っておく。

「お前が理事長の隠し子というのは本当か?」

 この煎れた珈琲とは明らかな別物なチープな味がまたいいと俺が缶コーヒーを一口飲んだタイミングで大久が問い掛けてきた。

 よくこういうことをほぼ初対面の人間に聞けるな。その腹同様神経が図太い。だが、これが交渉の核心だということは何となく察せられる。

「ご想像にお任せします」

 故にまだぼかしておく。

「流石に初対面のおっさんには話さないか。

 だが、お前が理事長の息子であろうが無かろうが、直接意見を言える立場なのは確かだよな」

 大久は俺の真価を確かめるように俺を見据えてくる。

「まあ、そこは否定しません」

 ここをぼかせば交渉が打ち切られる。まあただのトラブルメーカーの教育実習生の味方をするような正義の大人はいないってことだ。

 だからここはハッキリさせておく。

 嘘は言ってない、理事長に意見を言うだけなら出来る。その後に理事長が俺の意見を聞いてどうするかまでは所詮雇われ人の俺では関与できないけどな。

「なら、いい。

 なら俺の願いを理事長に伝えて欲しい」

「伺いましょう」

 いい大人なんだから直接言えよと思うが、まあ一教職員の身分じゃそうそう理事長に会えないか。いや、確か大久は大学卒業後体育教師になりどこかの高校のバレー部の顧問として燻っている頃に理事長自らスカウトして音畔女学園にコーチとして招聘されている。

 その後、理事長の期待に応えるように何度か全国大会にも行っている。決して理事長に直接会うことが叶わない身分ではない。

 もはや会ってお願いするだけでは首を縦に振って貰えない、理事長の隠し子(違うけど)たる俺の口添えが必要なほどのお願い。

 少し緊張する。

「来年には成果を出してみせる」

「それだけでいいのですか?」

「それだけ伝えて貰えれば理事長なら分かって貰える」

 つまり来年には成果を出すから、来年いっぱいは様子を見て欲しいということか?

 それとも来年には成果を出すからもっと支援をして欲しいと言うことか?

 俺から見ればベスト8でも十分な成果だと思うが、中学生の原石を見出して特待生として入学させるのに幾ら掛かるんだろうな?

 神聖なスポーツと言うが彼女達は謂わば学園の広告塔、ベスト8が費用対効果に釣り合っているのかいないのか。

 まあ十分な成果を出していると思っていたら、こんな校舎裏で俺とコソコソ会っていないで、堂々と学校の会議で予算要求なり何なりするだろう。

 理事長に見出されたコーチ、理事長に対立する校長、学園の支援者の愛娘がいる柔道部、ここ二日で手に入れた情報の点の間を結ぶラインを憶測で補完していき、俺に次の台詞を選ばせた。

「そういえば名門バレー部も最近は成績が低迷していましたね」

 ベスト8は大久にとっても学園からの評価としても不甲斐ない成績と賭けてみたが、当たりか外れか?

「素質ある選手は揃った。鍛え上げれば来年こそ全国に行ける」

 ビンゴ、絞り出すような声に握り締めた拳、図太いオッサンだと思っていた大久だが不甲斐ないと評価される成績で結構追い詰められているのかもしれない。

 ならばもっと追い詰めてやろう。

「来年ね~そんな悠長なこと言っていられるんですか」

「今までの俺の実績がある。それにベスト8だってそう悪い成績じゃない」

 自分でも思ってない嘘は心に響かないぜ。騙すならまずは自分を騙さなきゃ。

「そこらの公立高校だったら凄い成績なんですけどね。

 金を掛けて選手を集めておいてそれでは、掛けた費用に見合った効果が出ていないと思われてもしょうが無いんじゃ無いですか」

 聞いた話では一度全国大会なんかに出場すると、次の年の生徒の入学志望者が鰻上りになるとか。さぞや受験料で儲かったことだろう。

 ベスト8じゃどうなんだろうな。

「くそっ教育者のくせに金のことしか考えない奴らめ」

 こりゃ相当校長派には虐められているな。

 それでいて理事長にも頼れないか。

 あのじいさん、情に厚いけど公平でもある。立派な心がけが裏目に出て大久を無条件でかばえなくなってきているのか。

「いやいや、そんな言い方は無いんじゃ無いですか。そのおかげであなたもバレーのコーチなんて道楽に打ち込んでいられるんですから」

「道楽じゃない、ちゃんと生徒の将来の糧になっている」

「ほんとですか~。

 もう大人なんですからそんな青臭い建前はなしにしましょうよ」

 俺はニヤニヤ笑いながら大久の肩をポンポンと叩く。我ながら最高に嫌な奴だ。

「バレーという道楽を続けたいんでしょ。優秀な生徒を集めて鍛え上げて成果を出す。育成ゲームって嵌まると面白いですよね、ましてそれで給料がいいなら最高だ」

 体育教師の給料+コーチ料の基本給+全国にでも行けばボーナスも貰える。

 それで成果が出ないんじゃ、癒着と言われてもしょうが無い。批判する校長派の気持ちも分かるというか、俺でも多分クビにする。

「金の問題じゃ・・・」

 俺に抗弁する大久の口調は弱々しい。

「だったら音畔女学園なんかクビになってもいいじゃないですか。

 あんたなら何処か他の高校でも普通の教師として部活動の指導くらいはできるでしょ」

 今時の先生は部活指導なんてしたがらないと言うしな。聖職という言葉一つで煽てられて滅私奉公なんてさせられてたまるかと俺みたい。

「そっそれは」

「別に俺はあなたの生活を否定しているわけじゃないんですよ。

 負け犬の遠吠えに耳を貸す必要は無いんですよ。あなたは努力して結果を出して理想の人生を手に入れた。

 何も恥じることはないんですよ」

「・・・」

「大好きなバレーをして、いい給料を貰う。そんな生活を続けたいんでしょ?

 違いますか」

 俯く大久の目を覗き込む。

「・・・そっそうだ」

 まるで俺は堕落に誘う悪魔だな。俺は大久の欲望を言葉で形作り具体化してしまった。

「だったら、条件を出している場合じゃない。あなたは無条件で俺の手足になって働かなきゃ」

 俺は大久の肩を叩く。

「なんで俺がお前みたいな若造の下に付かなきゃ」

 でた~体育会系の先輩後輩。まだなけなしのプライドがあるが、現実を見詰める目は無いようだ。

「俺を足掛かりに校長派が勝って実権を握れば、まず最初に理事長の意向が残るバレー部の改革をするでしょうね。

 都合の良いことに金を掛けているが成果を出せてないみたいですし格好の的ですよ。

 最低でも理事長に招聘されたあなたはクビですね。悪ければバレー部への優遇を辞めて普通の部活にするでしょう」

「そっそんな、幾ら何でもそんなことが許されるわけが。特待生で入った部員はどうするんだ?」

 ここで部員の心配か。これは少々大久を見誤っていたようだ。

 スケベ教師というのは俺の誤解だったようだ。先程の動画も選手のフォームのチェックでもしていたのだろう。

 バレーに対しては真摯なんだな。

 セクハラじゃないならなぜ失踪した?

 もしかして部活は関係無い?

「さあ? そんなこと俺は知りませんよ。校長にでも聞いて下さい」

「くそっ守らなければ俺がバレー部を守るんだ」

 くっく、大久の心に俺の味方になるしかないと楔を打てた。

 さっきはああ言ったが、本当は別の道もある。

 何か理事長の弱みを握ってそれを手土産に校長派に取りいる道。裏切り者はあまり歓迎されないが、大久が望む1年くらいの猶予は貰えるだろ。

「その為にもあと1年いるんでしょ」

「そうだ。あと1年、あと1年あれば成果を出せる」

「なら俺に協力して校長派に勝たないと、その1年の猶予すら貰えませんよ」

「分かった。協力する」

「まあまあ、そんなに悲愴な顔をしないで下さいよ。ちゃんとあなたの覚悟は理事長に伝えておきますよ」

 まあ、それくらいはな。調査報告のついでに伝えることは出来る。あのじいさんだ、1年くらいはチャンスくれるだろというか、そもそも多少結果が出ないくらいで潰す気なんか元からないんじゃないか。

 狙う首は元より校長ただ一人。

「頼む」

「それじゃあ契約成立」

「ああ、バレー部は全面的にお前の味方だ。バレー部の部員を使って柔道部や野上のことを調べておく、いいネタがあったら伝える」

 まあ、正直そっちはどうでもいいですけどね。今は手駒が増えたことの方が重要。これで益々学園で動きやすくなる。

 成果が上々だが、歯に挟まった筋のような疑問が浮かんでしまう。

 大久がバレーには真摯で来年に自分の再起を賭けているのはよく分かった。

 ならばこそ謎は深まる。

 なぜ期待のエースが失踪しているのに、この男はこんなにも落ち着いていられるんだ?

 心配しているのは猶予を貰えるかのみ。だがエースが失踪したら猶予を貰ってもしょうがないだろ。今一番にすべきことはエースを取り戻すことだろ。

 今すべきことじゃないが、やはりスッキリしたい。

「期待してますよ。

 ところで来年に自信があるようですが、その期待のエース島村さんは今どこにいるんですか?」

「えっ」

 島村の名を聞いた大久の顔は福笑いのように崩壊していた。


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