第351話 道
余裕でふんぞり返っている連中がいる会議室を出ると同時に電話をする。
『影狩だ、どうかしたのか?』
ありがたい、影狩が電話に出てくれた。厄介な所に潜入していたら連絡が夕方まで付かなくなるところだった。
運はまだあるようだな。
「悪いが今行っている捜査を中止して至急野上HD社長の弱みを探ってくれ」
『はあ? 女生徒が行方不明になっているんだぞ、強請なんかしている場合なのかよ』
「強請れなければ捜査が続けられなくなった」
『はあ?』
「どうにも俺が気に入らないようで俺を学園から追い出したいらしい」
『ああそういえばそこのお嬢様を投げ飛ばしたと飲み屋で言っていたっけ、それで親が出てくるのかよ』
「出てくるんだよ。無ければ弱みを作ることに成るが、まずは正攻法で弱みを握りたい」
『日本語が可笑しくないか?』
「言い方を変えよう。何か交渉のテーブルに乗せられるような取引材料を探ってくれ」
如何如何、会議の毒に当てられ思考が可笑しくなっていた。脅すばかりが交渉じゃない利益で釣るのも交渉。WIN-WINのビジネスで済むならそれにこしたことはない。
出来るものなら娘の名誉を売りたくなる値段は幾らなのか、あの澄まし顔の前に札束を詰んで確かめてみたいもんだ。
『弱みを探るって、俺はスパイじゃないんだけどな』
取引材料と言い直したのに無視かよ。
「現代社会じゃ喧嘩に強いだけじゃ飯は食っていけないぜ」
まあ軍人さんだって情報収集は大事だ、間違ったことは言ってない。
『分かったよ。大原と相談して当たってみる』
「頼むぞ」
まあ何だかんだ言って影狩と大原なら抜かりなく情報は掴んでくれるだろうが、万が一野上父が聖人君子で健全経営をしている可能性もある。俺もサボってはいられないな。
会話が終わってスマフォを仕舞うと生徒は授業中で誰もいない廊下に飯樋がいた。
「呼び出されたとき来ましたが、思ったより元気そうですね」
「まあな」
俺が会議室でこってり叩かれて凹んでいるとでも思ったのかな。
まあ叩かれたのは間違ってないが、それで砕けるようなハート型はしていない。叩かれた分だけ転がるだけの丸形のハートさ。
「どうですハーブティーでも飲みますか?
愚痴くらい聞いてあげますよ」
女なら惚れてしまいそうな優しい笑顔で俺を誘ってくる。
「過保護は良くないぜ」
あんまり優しくされたら、耐性の無い俺は優しさに溺れてしまう。
「好意でなく仕事ですよ。心の悲鳴を聞いて悲鳴を取り除く、それが仕事ですから遠慮はいりませんよ」
「仕事ね」
彼の役目は学園の生徒教諭のメンタルケア。金を貰っている以上、見過ごすのは職務怠慢給料泥棒になる。彼が雇い主に見限られないように、俺の方こそ親切で診断を受けてやる上の立場。
なるほどカウンセラーだ、乗せるのが上手い。
「特にあなたは限界を超えてまで我慢をするタイプに見えます。
恥ずかしいことではないんですよ。機械だって調子が悪くなればメンテナンスをする、当たり前のことです。
心が壊れてからでは遅いんです。体と違って二度と元通りにはならないのですから」
「そうかもしれないな。
だが一度は限界まで行かないと成長しないんじゃないか」
幼子のメンタルじゃ悪鬼蔓延る大人の世界は歩けない。
「ナンセンスですね」
速攻で一言で却下された。
「悩みは人を成長させるとか言います。
ですが、それはより大きい悩みに耐えられるようになるという意味です。これではまるで悩みに耐えられるようになるために生きているみたいじゃ無いですか。
そんなことを目指す人生に何の意味があるのですか?」
「意味は知らないが耐えられなければ生きていけないぞ」
人は手洗いすらして貰って守られる赤児のままではいられず、幼稚園という箱庭に入れられ、やがて小学生に成り中学生に上がりいずれ何の保護もない社会に出る。
人は成長するにつれて辛い世界に移行させられていく。悲しいが事実だ。
「思い違いしているだけですよ」
飯樋は俺を諭すように笑顔で告げる。
「なら是非そのコペルニクス的発想をご教授して欲しいね」
「そんな大層なものじゃありませんよ。
日本では古くから山で修行して解脱することを至上としている風習があります。
全ての悩みから解放される。つまり悩みが無くなると言うことです。全ての悩みに耐えられるようになることを目的にしてはいません。
その違いを取り違える人が多い」
そうだったか?
悩みから解放される為に死ぬほどの苦しい目にあう苦行をしている。やっぱり耐性を上げているとしか思えないが。
「解脱ね。理屈は分かるがそんな簡単にできたら苦労はしないだろ。仙人になるには長く厳しい修行をするもんじゃないのか?」
いや、脳の外科手術でもすれば簡単か?
「確かにそう簡単に悩みを捨て去ることは出来ないように思えます。
だが、考えてみて下さい。何事も最初の一人が大変なのです。続く者はそれのマネをすることで先駆者の何倍もの速さで同じ頂に立つことが出来ます」
先駆者と同じ時間を掛けなければ先駆者に追いつけないのなら文明は発達しない。
簡単な例で言えばスポーツなんか先駆者が編み出した技を真似ることであっという間に先駆者に追いつき追い越している。
「そうかも知れないがそんな人間どこにいる、少なくても俺は会ったことが無い。
教祖様でも紹介してくれるのか?」
真逆の我欲に塗れた連中にはよく会うけどな。
「紹介するまでもなくあなたは毎日会ってますよ」
「お前とかいうオチじゃないよな」
「残念ながら私もそこまでは到ってませんよ」
流石にここで私と言うほど安っぽい勧誘ではないようだ。だが後日どこか大層な場所に連れ込まれて監禁洗脳されるのはご免だな。
「謙虚なことで、だが言わせて貰えば仮に偉大な教祖様を紹介されても、俺がそこに到達出来る可能性は限りなく低いぞ」
「謙遜ですか?」
「いいや歴史の事実だ。
かつて世界には歴史に名を残すほどの精神の先駆者がいて教祖として祭り上げられ、数多くの弟子が後に続いた。
だが結果どうなった?
皆先駆者に追いつけることなく、ただ劣化を続けていく様だ」
「世界中の宗教家が怒り狂いそうですね」
「そもそも教祖を追い抜くことを許しちゃいないんだ。教祖が到達点になっている以上、どうしても劣化する要因を内包してしまう。
そしてなにより、精神は目に見えない。
先駆者に追いつけるのはスポーツや科学という目に見えて触れる物理的な事に限る」
「断言しますか」
「するね。
行動はまねれても見ない心の中まではまねることができない」
「その為の教義では」
「同じ善の行動でも、それが単に教義だからと行ったものと本心からの行動では雲泥の違いがあると思うけどな。
精神を大事にするならな」
精神が大事なら偽善は認められない。やらない善よりやる偽善の方が偽る分だけ悪に成る。
「形から入って、やがて心が伴うこともありませんか」
「仏を作って魂を入れず」
「ふふっ」
飯樋は俺の言葉に笑った。
「小賢しいと鼻で笑うか?」
宗教の根本はただ信じることであり、理屈ではない。
そういった意味で俺は最も宗教から遠い男とも言える。
「いいえ、嬉しかったのですよ。
あなたは思った以上に考え深い人だったようです。
故に迷う。
あなたに疑うなと言うのは無理なようですが、そんなに難しく考えることなく生活の知恵袋程度に聞いて下さい」
「なら雑学程度に聞いてやろう」
「あそこですよ」
飯樋は学園の裏に拡がる森を指差した。
「山?森?まさか植物のことか?」
「正解です」
飯樋の拍手をして賞賛している姿に悪意は無い。
「悩んだら彼等を見てください。悩みに囚われることなく生きる姿は美しいと思いませんか?」
「思うな」
ここで嘘をついてもしょうが無い。別に俺は自然が好きだから正直に応え、その俺の態度を飯樋は好ましそうに受け入れる。
「なぜ人は緑を見て美しいと共感して癒やされるのか?
それは教えられるまでもなく、あるがままに生きる姿こそ人の憧れであり理想であると人は知っているからです。だからこそ人は憧れであり理想の姿である緑を見てその美しさに共感して癒やされるのです。
私はそこから更に踏み込んでいく道、楽園へと続く道を示すだけです」
「道ね」
「私は漠然と緑を見て癒やされるあなたに一旦理屈を授けました。
そこから理屈を棄て、感じるがままに植物を見て下さい。きっとそこから何か感じるはずです」
「新興宗教地味てきたな。残念だが俺に財産は無いぞ」
理屈と共に財産も棄てさせる。宗教勧誘の基本だな。
「その自虐さがあなたらしい。別に強制はしませんよ。
更なる先を望んだら私を訪ねて下さい。楽園への道を惜しみなく教えましょう」
それで此奴に何の利がある?
利が無いというなら此奴は聖人なのか?
くっく、世界救済委員会が知ればスカウトしそうだな。
「興味が湧いたらドアを叩かせて貰うが、今はまだいい。
こんな俺でも俗世には未練がある」
主に女だが、俺も存外俗物だな。
「いつでもドアは開かれてますよ。
幸いこの学園は外を見れば緑があります、先程のことを意識してみて下さい。きっと今までと違って感じるはずです。
それで癒やされることを祈ってます」
言葉を残して飯樋は消え、俺は職員室に向かうのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます