第349話 魔女裁判

 会議室には音畔女学園のお偉いさんが勢揃いしていた。

 机はコの字に配置されていて俺はその中に立たされ視線の集中砲火を浴びる。

 査問でもする気か? 

 正面に校長副校長教頭。左側に生活指導、学年主任達。そして右側にはなぜか首にギブスをした野上とその親なのか野上に何となく雰囲気が似たアラフォーの男女がいた。男女が来ているスーツは上物だと一目で分かる体にフィットした仕立て服。確か野上の父親は会社運営をしている社長、母親は教育委員会の役員。加えてこの学園に多額の寄付をしている。

 取り囲む連中の雰囲気は俺がよく知る雰囲気、もう俺を吊し上げる魔女裁判をする気満々なのが伝わってくる。

「果無君、野上のお嬢様に乱暴を働いたのは本当かね」

 開口一番校長が俺を睨み付けながら口を開き、罪状が告げられた。

 野上の奴め本当に親に言いつけたのか。この女はそういうみっともないことが出来る女なのかと俺は心底軽蔑し、クズ女と認識する。

 クズはプライドが無い故に手段を選ばない、此方がプライドがあればしないだろうという手段を平然と使ってくる。

 俺も意識を切り替える必要があるようだ。

 クズは強敵、クズと戦う以上情けは入らない、情けを掛ければ此方がやられる。

 男だろとか教師だろとかそういうのは投げ捨てて、もはや互いに手段は選ばない殲滅戦の開始だ。

「なんのことですか?

 身に覚えはありませんね」

「惚けても無駄だ。昨日お前が女子柔道部に押しかけてお嬢様に乱暴を働いたことは分かってるんだよ」

 生活指導の厳つい顔したオッサンが速攻で怒鳴り散らしてきた。現国の近藤、ネチネチとした性格で上にへつらい下に厳しいと生徒どころか先生の間の評判も悪い。学園における嫌われ者と生徒への押さえを一手に引き受けている働き者だ。どんな組織もこういうのが一人は必要とも言える。

 今回も俺への圧迫と抑えで御出陣と獅子奮迅の働きだな。

「事実と違いますね。

 私は部活見学で柔道部に立ち寄った際に、歓迎試合を申し込まれたので相手してあげただけですよ」

「はっ、もうヘタレたのかよ」

「事実を言ったまでですが」

「虚勢はみっともないぞお坊ちゃん。そんなに俺が怖いか。

 さっきは知らないと惚けておいて、ちょいと突いただけでもう認めるのか。もうちょい根性見せてみろや、拍子抜け過ぎるぞ」

 でかい声で上から常に殴り続け相手を萎縮させていく戦術らしいが、それは圧倒的な恐怖がないと成り立たない戦術。

 可哀想だが俺は近藤が怖くない。

「はあ~、何言っているんですか?

 柔道の試合をした事実を述べただけです。それともあなたの中では柔道イコール暴力なのですか? あなたこそ柔道を真面目にしている野上さんに謝った方がいいのではないですか」

 まあ野上は柔道を暴力の手段にしているんだけどな。

「言うじゃないか、青びょうたん。後で俺が相手してやろう・・・」

 いいね。これは脅迫を受け取れば、何をしても大義は此方に有だ。

「いい加減にしなさいっ」

 バンッとヒステリックに机を叩いて野上の母親らしき人が立ち上がった。

「娘は怪我をしたのですよ。これが見えないのですか」

 野上母はギブスをした野上を示す。

「娘は涙ながらに訴えのですよ。そこの男が柔道部にやってきたと思ったら無理矢理試合をさせられたと」

「いやいや逆ですよ。私が無理矢理・・・」

「黙りなさいっ。

 娘が嘘を付いたとでも言うのですか」

 そうだよそうなんだけど、娘を盲信している母親とでは会話が出来ない。

「なら俺と一緒に回っていた嘉多先生を呼んで下さい。嘉多先生は一部始終見ていましたからどっちの言い分が正しいか分かるでしょ」

 俺は一旦野上母親から視線を切って、会議室にいるお偉いさん方に提案する。

 まあ嘉多先生も人間、既に買収されている可能性もあるがその時はその時だ。今はあの融通の効かなそうな真面目さに賭ける。

「残念ながら嘉多先生は急な出張が入っていない」

 校長は俺の要請に対して待ってましたとばかりに言う。

 んなあわけないだろ。教育実習生の担当教諭が次の日何の連絡も無く出張でいなくなるってなんだよ。俺が思っていた以上に此奴等全員敵だった。公正さはもはや一片もないと思っていいだろう。

「なら呼び戻して下さい」

「それは出来ない」

 校長に無碍もなく却下された。

 少しは検討するフリくらいしたらどうだ、悪役過ぎるぞ。理事長のじいさんの単なる依頼人に過ぎないビジネスライクな付き合いを超えた味方に成りたい気分になってくる。

「野上のお嬢様の暴行事件だというのに、それより重要な仕事って何なのか是非お聞かせ願いたいですね」

「それは君が知る所では無い」

 ささやかな俺の嫌みも校長は相手にすることなく却下する。

 チラッと見るが勝者の余裕で野上親子も黙殺している。

「なら嘉多先生が出張から戻ってくるまで、この件に関しては延期するのが筋じゃないですか?」

 俺としては事件解決までの時間が稼げれば問題ない。少々口惜しいが、その後なら処分されようがどうでもいい。

 優先すべきは仕事の達成、個人の感情は押し殺すべき。

「その必要も無い。嘉多先生はいないが、近藤先生が裏取りをしている。

 近藤先生」

 校長に呼ばれ近藤がTVの名探偵のようにもったいぶって立ち上がる。

「はい。

 連絡を受けて緊急で柔道部の部員に証言を取りました。皆、嫌がる野上に果無が無理矢理試合をさせたと言っています」

 近藤がしてやったりと語る。

 流石野上速攻で子分共の口裏を合わさせたか。あるいはそんなことすらしていない可能性すらある。

 つまり柔道部員に聞いたなんて全て近藤の嘘。

 勘違いしそうだが、そもそも近藤は柔道部顧問じゃない。ここはせめて顧問が出てくるべきところを、近藤は生徒指導の立場を利用して顧問を飛び越して出しゃばっている。

 当然上の意を汲んでいるとみていいだろう。校長派としては理事長が送り込んだ俺を不祥事で追い出して理事長派を攻撃する材料にしたいんだろうな。

 下らない政治闘争に俺を巻き込みやがって、俺は仕事を果たしたいだけだというのに。

「昨日の今日で全員の証言を取った? 信じられませんね。私にも会わせて貰えませんか」

「だまらっしゃいっ」

 野上母がヒステリーに割って入ってきた。

「あなたのような野獣に会わせられるわけが無いでしょ。聞きましたよ。あなたが他の部員をしゃべらないように脅したそうですね」

 へえ~俺そんな事していたんだ。どうも今日は記憶に自信がなくなってくる。

「残念でしたね。みんな暴力なんかに屈せず勇気を出して本当のことを証言してくれたのです。何て素晴らしい友情でしょう」

 野上母は昼間から素面で夢を見ることができるらしい。ヒステリーに俺を弾劾していた顔が、ありもしない柔道部員の友情に感涙している。

 少なくても母親は正義と信じて行動しているのか。

 この流れだと柔道部員の誰かを証人として呼ぶのは拒否されそうだな。

 何か反撃の取っ掛かりはないのか?

「もう認めたらどうだ」

「黙ってりゃどうにかなると思ってないだろうな」

「これだから学生は」

 俺が黙考すると教師陣が好き勝手に俺を攻撃し出す。

 だが何も思い付かないときは黙っているに限る。サンドバックになってしまうが、後で埋められない墓穴を掘るよりいい。

 そもそもなんで俺が野上に暴力を振るわないといけない。動機がない。

 つつくならそこか。

「果無君」

「はい」

 俺が戦略を練っていると今まで黙っていた野上父が口を開いた。

「先程から聞いていれば、強制かどうかは兎も角娘と試合をしたことは認めるのだね」

 野上父はこの場に似合わないほど理知的な口調。流石社長は公正で意外なところにいた味方か?

「まあ事実ですので」

「ならその試合で娘が怪我をしたのも事実だ。まずはそれを認めて謝罪しなさい。

 試合だとしても生徒の安全に対する責任はあるはずだ」

 まともだな。俺の心が弱っていたら思わずガブリ付きたくなるような餌。

 俺は溺れる者が藁をもつかむ顔で野上父の顔を見れば、一瞬ほんの一瞬だが口角が上がったのが見えた。

 そういうことか。

 まずは、試合だとしても、妥協しているようで俺の言い分は何一つ認めていない。ここで安易に謝罪をしてしまえば、食い付いた針が俺に逃げることも後戻りも許さない。最後には全てを呑み込まされ釣り上げられる。

 大きいことを呑ませる為に小さいことから呑ませる常套手段だな。

 野上の父は一見理知的で紳士風だが相手を陥れることに関しては一級だな、野上の親だけはある。

 まずはここから反撃してみるか。

「先程から怪我をしたと言いますが、具体的にどういった怪我したのか教えてくれませんか? 当然病院に行ったでしょうし、まずは診断書を見せて下さい。

 正直試合中は男の俺でも押さえ込むに苦労するほど活きが良かった・・・」

「不謹慎ですっ」

「えっ」

 またもや野上母がヒステリーに乱入してきた。 

「あなたあろう事か娘に抱きついたのですか」

「えっそりゃ柔道の試合だし。抱きついたというか寝技というか」

「不純異性交遊です。いやらしいいやらしい。そもそも女子高校生と成人男性が試合をするなど聞いたことありません。なのに寝技まで、不潔です」

 いやいや、手っ取り早いスパーリングパートナーとして優れた女子アスリートが適当な男の選手を連れてくるのはよくあるだろ。

「それは勘ぐりすぎでは」

 少なくても俺と野上の勝負にそういうのはなかった。ムフフな感情が入る隙間がないほどに互いに全力で相手を潰そうとしていた。

「黙りなさい。男女が試合をするなどいかがわしい目的以外に何があるというのですかっ。折角娘を不健全なことから守る為に女子校に入学させたというのにっ」

「いやいや、お宅のお嬢ちゃん既に処女じゃないぜ。こんな学園に放り込んだところで大人しくするタマかよ」

 野上母があまりに面白いことを言うのでつい素で言い返してしまった。

「きーーーーーーーーーーーー何を言っているのですかあなた」

 野上の母親は青筋を浮き上がらせ金切り声を轟かせる。

 このまま血管が切れて野上母がぶっ倒れたら有耶無耶になるかな?

「えっ事実を言っただけだが」

「名誉毀損で訴えますよ」

 娘の処女性を争う裁判とはいよいよ中世魔女裁判か。

「酷い」

 野上が泣いたフリして母親に抱きついた。

 おいおい、お前って家ではそんなキャラで通っているの?

 猫を被って親でも教師でも臆面無く利用する。いい根性しているじゃないか。今までもそうやって気に入らない奴を破滅させてきたんだろうな。

「校長先生、この男は非を認めるどころか私の娘を侮辱までしました。

 教育委員会としてこの者の処分を要求します」

 教育委員会として未来ある青年に対して一片の慈悲すら掛けないのかよ。

「感情論はうんざりですね。まずは客観的事実として医者の診断書を要求します」

「君は娘のこの姿を見ても疑うというのかね」

 野上父が呆れたように言う。

 俺なんぞ簡単に潰せると診断書の用意はしてこなかったようだな。尤も合ったら合ったで捏造と認めないけどな。

「ええ、ギブスくらいどうにでもなるでしょ。そもそも柔道の試合をすれば、摺り傷の一つくらいするでしょ。おおげさな。

 それより大事な娘さんの処女検査でもした方が有意義なんじゃないですか?」

「はわっはわっはひゅ」

 怒りが頂点に達して野上母は言葉が出てこなくなったようだ。野上父が慌てて野上母を落ち着かせようとしている。

「お前は、なんて事を言うんだっ」

 紳士の仮面を殴り棄て怒気に染まった顔を俺に向けてくる。

「法治国家らしく、まずは証拠を出せと言っているだけですよ。

 校長は教育者としてあるまじき、憶測で罪を裁く冤罪事件を起こすつもりですか」

「貴様っ理事長の後ろ盾があるからといい気になるなよ」

「今そんなこと関係無いでしょ。俺がこの場で一言でも理事長のことを言いましたか?

 全くもって教育者どころか男らしくない。

 自分が権力を笠に着るからと俺までそうだと思わないでくれますか、同列に扱うなど侮辱罪で訴えますよ」

「君そこまで言った以上もうなあなあじゃ済まされないぞ。覚悟の上だろうな。

 最悪君には大学すら辞めて貰うぞ」

 野上母を何とか落ち着かせた野上父が権力をちらつかせた実に効果的な脅しを掛けてくる。

 教育実習はどうでもいいが、流石に退学は退くことの出来ないデッドライン。

 つまり野上家は俺と全力の潰し合いをお望みのようだな。

「そちらこそ今の社会的地位全てを失っても知りませんよ。

 明日もう一度全ての証拠証人を揃えて堂々と決着を付けましょう」

「そんな下らないことに貴重な時間を割くつもりはない。娘がこの男に怪我をさせられたのは紛れもない事実。今この場で処分を下す」

 ここで盛り上げた波に乗らないというのか。まあ確かに一日延ばしたところで野上側に利は無いから、当然のことなんだが。あれだけ挑発してやったのにまだ冷静だな。野上父を舐めていた、伊達に社長をやってないな。

 この場で負けた勢いのままに大学をクビになるわけにはいかない。

 何とか楔を打ち込まないと。 

 魔でも犯罪者でも無い教師社会人を相手にして俺は脳が軋み背中が冷や汗でぐっしょりと滲むのであった。


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