第347話 雨

 縋り付く栗林を二人の体温が混じるほどの間抱き締めてやると、その小さい背中をポンポンと叩いて引き剥がした。

「後で幾らでも慰めてやるから今は離れていろ」 

「優しくない。だから童貞なのよ」

 ふんっここで女子高生の色香に迷うようなら足下を掬われる。

 俺は、再び男と対峙する。

「それじゃ、この娘との関係を洗いざらい話して貰うか」

「馬鹿かてめえ話すと思うのか」

 生ゴミに埋もれながらも男に心が折れた様子は全くない。

 これは骨が折れそうだ。

「思わないな」

 話せば此奴自身が無事では済まないことをしでかしたんだろうな。暴行・恐喝etc、最低でも刑務所、下手をすれば口封じに消されるのかも知れない。

「分かってるじゃないか。その女を置いて大人しく帰るんだな。そうすりゃ俺も今日のことは水に流してやるぜ」

 尊敬に値するな、まだ対等にやり合おうとしている。その根拠が先程から匂わせている報復か。まあ、ヤクザ屋さんが一般人を脅す定番だな。此奴の背後に組織があるのかもしれないが、まずは無事に帰れると思っているその根拠をへし折るか。

「だから話したくなるまで、何処か別の場所でゆっくりしようぜ。な~に時間は幾らでもある」

 俺は猫を持ち上がるように男の襟首を掴んで生ゴミから引きづり出した。

 失敗したな。こんな事なら生ゴミなんかに突っ込まなければ良かった。これじゃあ尋問する時に臭くてしょうが無い。

「はあっ、教師ごときがなんの権利で。拉致監禁なんて許されるわけねえだろ。

 離せよっ」

 ゴミ箱に叩きつけたときのダメージがまだあるのか、威勢のいい口とは裏腹に俺を払い除けようとする腕には力が無い。下手したら脊髄を傷付けているかも知れないが、輸送が楽でいいな。

「アウトローがこういう時だけ法律を持ち出すな、胸くそ悪い」

 普段は平気で法律を破って人を傷付けるのに、いざ自分がそういう立場になると法律を翳してくる。そういうダブルスタンダードは好きじゃない。

「はあ、教師がなに粋がっちゃってんの。

 虚勢だね。童貞野郎に監禁や拷問なんか出来るのかよ」

 栗林はギリ女子ということと生徒ということで我慢していたが、此奴には何の我慢は必要ない。

「どうかな」

 俺は掴んでいた男を背後の起き上がろうとしていた男に投げ付ける。

「ぐえええ」

 起き上がろうとしていた男は再び白目を剥いた。

「意外と世の中には他人の痛みが分からない奴なんているんだぜ。

 お前だってそうだろ」

 俺は男に仲間意識の微笑みかけてやる。

 情なんかない。リスクとリターン、リターンが上回ればやるのが俺だ。伊達に心が壊れちゃいない。

「っぐ。そうかもな、お前はそういう奴かもな。

 だが分かっているのか?

 お前は法律を破ることになるんだぜ。後で俺が訴えればお前が逆に牢屋の中だぜ」

 俺の本性を見抜けるくらいにはギリギリ馬鹿じゃないのか。なのにそれを脅迫に使うとはやっぱり馬鹿だ。

「その通りだ」

「だったら・・・」

「だから二度とお前を外に出さない。幸い俺はそういうところにツテがある」

 隔離病棟に一生放り込むことだってできる。だがまあこんな奴の為に入院費を使う気にはなれない。情報を引き出したら、そのまま馴染みに刑事に余罪と一緒に手土産として渡してやろう。うまいことそのまま刑務所送りにしてくれるだろ。

「巫山戯るな。そんなこと許されるわけがねえだろ」

 怒鳴ってくるが今俺が心の中で考えていることは優しいプランなんだがな、これ以上面倒臭くなったら処理業者が選択プランに上がってくる。

「別にお前の許可はいらない。残念ながらお前が外を歩ける日はもう無い」

「それは私も困るわ」

「!?」

 いきなりの鈴の音のように響いてくる第三者の声。

 いつの間にかフードに身を包んだ少女が路地裏の入口に立っていた。

「雨女か」

「涼月って呼んでくれないのかしら」

 少女がフードを脱ぐと、栗色の髪が流れ銀のレオタードに包まれた肢体が露わになる。

「妖精みたい」

 同姓の栗林すらはっとする美しさ。俺も見穫れていられたら幸せだが、蕩けるどころが俺の背中は刃物を突きつけられたように凍り付く。

「お前が来たって事はそういうことなんだな」

「そうよ」

「馬鹿が俺より怖い虎の尻尾を踏んでるじゃないか。

 おいっお前、俺は警察だ。今ここで大人しく白状するなら、俺が法律に則って裁いてやるぞ」

 一応警官としての義務を果たす。査問委員会で追求される瑕疵は少ない方がいい。こういう小さい努力が伏魔殿を泳ぎ切るコツだ。

「頭わいてんじゃねえか」

 男は恍惚とした目をしている。お前には涼月が助けに来た妖精にでも見えているのかもな。

 妖精は妖精でも、あれは地獄へ誘うフェアリーだというのに。

「俺の慈悲だったんだけどな。

 聞いての通り俺は此奴を守ってお前とやり合う義理はなくなった。だが此奴が今俺が追っている案件の重要な証拠を持っている、このままお前に渡すわけにはいかないな」

 場合によっては不本意だがこの男を巡って雨女と戦うことになる。本気で不本意だが、折角掴んだ手掛かりをただで手放すわけにはいかない。

「そう。

 私もあなたとはやり合いたくないわ、疲れるから」

 涼月は溜息交じりに嫌そうに言う。

 涼月の魔は俺に効かない、俺と涼月の純粋な物理勝負になる。それで以前戦ったときはなんとか勝負になった。

「そりゃ良かった。だったら互いに妥協点を探れそうだな」

「この男達は合コンで狙った女の子を酔い潰すなりしてお持ち帰りに成功すると、仲間を呼んで大勢で嬲った上にその時のことをネタに脅迫することで、売春や地下ビデオの出演を強要したりする屑共よ。多分あなたの探しているその娘も餌食になったんだと思うわ」

 まあ雨女が出てきた時点のそのくらいは想像が付いている。彼女は多分被害に遭った女性の誰かの依頼で動いているのだろう。そんな彼女が俺の前に現れたのは、俺が裁く前に自分の手で女性達の恨みを晴らしたかったからだろう。地下室や牢屋の中じゃ雨は降らせられないからな。

「そうか。

 だが、俺が知りたいのは、今現在彼女がどうなっているかと他に犠牲者がいるかだ」

 今回の音畔女学園の連続失踪事件が此奴等の犯行だったら、事件解決、依頼完了。

 少々疑問も残るが、そこを解明するのは今回のミッションじゃ無い。

「いいわ、聞いておいてあげる。後日連絡するわ」

 彼女の能力の力の前には、どんな男だって罪を隠せないだろう。

 俺が尋問してから引き渡すという妥協案を考えていたが、尋問をしてくれるならありがたい。

 正直男を嬲って喜ぶ性癖は無い。

「交渉成立と言いたいが、立ち会ってはいけないのか?」

「信用してないの?」

 涼月の顔が微妙な感じで不服そうになる。

 意外と可愛い奴だな。

「いやいや信用してるぜ。ただ俺だって仕事だ。後日なんてまどろっこしいと思っただけだ。

 今更能力を隠す必要は無いだろ」

 ビジネスはスピーディに片付けていくに限る。下手に余裕こいて後に回した時に限って面倒な案件と重なるもの。

 これは経験則。もう鉄則。

「生徒に見せていいの?」

「はあっ!?」

 涼月の素朴な疑問に俺は一瞬何を言っているか分からなかった。教師としての自覚が足りないと言われそうだが、だが教師じゃないからいいか。

「先生なんでしょ、未成年に考慮しなきゃ失格よ」

 俺は隣に立つ栗林の存在をすっかり忘れていた。

 あそこまで見られた以上、俺はここである程度俺の正体を晒け出し、栗林を手駒に引き込もうと思っていたが・・・。

 まあ、流石にあれは見せちゃまずいか。

 調子に乗っている女子高生にお灸代わりに大人の世界の怖さを教えてやる程度ではすまない。怖い大人の世界どころか、引き返せない魔の世界に引きづり込んでしまう。

「了解した」

「分かってくれて嬉しいわ」

 涼月の顔が微妙に変化して微笑む。

「この後はこのお嬢様が相手をしてくれるとさ。じゃあな」

 俺は未だ倒れている馬鹿な男に別れの挨拶をする。意地を張らず素直に俺に泣きを入れていたら命だけは助かっただろうに。意地の張りすぎも良くないな。

「はっよく分からねえけど女如きにびびってだせえ」

 最後に罵声してくれてありがとう、俺も全く良心が痛まないで済む。

「行くぞ栗林。一応教師として家まで送ろう」

 今日最後の良心だ。栗林が変な好奇心を発揮して見に来ないように家まで確実に送り届けないとな。

「えっでも、アキッチのことウチも聞きたいんだけど」

 当然の如く栗林は抵抗してくる。

「これからも日常を送りたかったら、ここは素直に俺の言うことを聞いておけ」

 俺は強引に栗林の肩に手を回し、回れ右をさせて路地裏から押し出していく。栗林も俺から何かを感じ取ったのか抵抗はしないで俺にされるがままだった。

「送り狼は駄目よ。そんな事したら私がお邪魔するわよ」

「しねえよ」

 涼月を残して路地裏から出た俺と栗林はそのまま繁華街を歩き出す。そんな歩き出す俺の頬に雨粒が当たるであった。

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