第346話 予想外

 賑やかな居酒屋と居酒屋と間にぽっかりと空いた谷間に入り込めば、大通りからの光は途切れ僅かに喧噪が響いてくるのみ。

 畳一畳ほどの幅の路地裏にはお馴染みのポリバケツが並べられ、閉め切れない蓋の隙間からは生ゴミの据えた匂いが漂ってくる。

 ギャラリーは鼠がちょろちょろするくらい。

「一体どうする積もりですか?」

「お前なに調子こいてんの、ああ、人の女に手を出したらどうなるか教育してやるよ」

 俺の怯えた声に居丈高となっていく男。もう一人の男もさり気なく俺の逃走路を塞ぐと同時に関係無い奴が入ってこないように出口に立つ。

 手慣れているな。

「そんな、生徒を注意しただけじゃないですか」

「生徒を注意しただけじゃないですかじゃねえんだよ。キッチリ落とし前付けさせて貰うぜ。

 まずは免許証出せよ」

 此奴等本当に素人か?

 手慣れた手口、ヤクザ予備軍なのか半グレなのか。どっちにしろ逃げようとした栗林の嗅覚はたいしたもんだ。

 嵌められたようだが、生徒を救うのも教師の給料の内と割り切るか。この果てしなく曖昧で広大な職務範囲、聖職者と伊達に呼ばれてない。好きじゃ無ければやってられないな。

 まあいいさ。こっちもいい加減聖職者なんてまねごとでストレスが溜まって禿げそうなんだ。こんな仕事で髪が一本でも抜けるのは割に合わない。

 幸い手加減が必要な相手じゃなさそうだし、ここで発散させて貰うか。

「いやですよ」

「ああ、逆らおうってのか」

 男が俺に腹パンでもしようと拳を引いたタイミングに合わせ、俺の肩に掛けていた腕を掴んで腰をスッと落とす。抵抗して後ろに引こうとするなら合わせて後ろに飛んでなどとシミュレートしていたが男はそのまま腰を浮かしたので、そのまま背負い投げでポリバケツの上に叩きつけた。

「うぎゃあああっ」

 ポリバケツを砕き生ゴミに埋もれ受け身すら取らなかった男は白目を剥いていた。

 情けないことこの上ない格好だが、アスファルトの上に叩きつければ再起不能だったろうから、これは俺の咄嗟の優しさ。

「てめえっ」

 逃走路を塞いでいた男が直ぐさま殴りかかってくるが、素人感のテレフォンパンチに牽制のジャブをカウンター気味で合わせた。

 まずは牽制のジャブだ。避けられたり耐えられたりするだろうから、内に避けたら膝蹴り外に避けたり耐えたら、そのまま追撃の肘打ちでいく。

 シミュレートは完璧だったが、放ったジャブはそのまま男の顎を蹴散らしていく感触が返ってくる。

 気付けば男はジャブ一発で目を回して崩れ落ちた。

 嘘だろ。

 俺は崩れ落ちた男二人を見下ろし呆然とする。

 此奴等女子高生より弱いんじゃないか? 

 仕事なら楽でいい事なんだが、ゲームを無敵モードでクリアしたって楽しくないようにこれじゃなんのカタルシスもない。

 これでは格闘技のシャドーをしていたのと変わらない、カロリーを消費しただけ終わってしまった。

「意外じゃん。先生強いじゃん」

 男が塞いでいた道から栗林がひょこっと出て近寄ってくる。

「んっなんだお前いたのか」

 ストレスの捌け口を失い苛立ち気味に俺は言う。

「その言い方はないっしょ。万が一の時には警察か救急車を呼んであげようと待機していてあげた、ウチの優しさに感謝しなさいよ」

 意外とある胸を張って栗林は堂々と言い切る。

「そもそもお前が俺を巻き込んだんだろ」

 まあそれでも完全にとんずらしなかったから少しは良心はあるのか、いやいや本当に言葉通り受け取ってどうする。ただ単に俺がやられるのを見学したかった可能性だってある。そうコロコロと生徒の内申評価を変えては教師失格だ。

「女を取り合うのは男の本懐っしょ。

 それにご褒美も上げるかも」

 栗林がわざとらしく屈んでチラッと胸元の谷間を見せてくる。

「それじゃ遠慮無く貰うかな」

 ここまで見せたらもう隠し通すのは難しくなってくる、ならばいっそ抜け出せないようにどっぷりと沈めてやる。

「えっ何々、でもここじゃ・・・」

「うっうっ、お前一体」

 栗林に近寄ろうとしたら背後から声が漏れてきた。ゴミ箱に突っ込んだ男が気が付いたようだが、体へのダメージは大きくまだ動けないでいるようだ。

「目覚めたか。

 ちょうどいい、お前に少し聞きたいことがある」

「巫山戯んなよ。俺に手を出して・・・うごっ」

 生ゴミにまみれたまま定番の台詞を言い切る前にケリを入れてやった。

 もう決定だな。予想通り、そっち系。何かしらのグループが背後にいるのか。

「それで聞きたいことがあるんだが」

「だれ・・・うごっ」

 此奴いらない反逆心だけはあるようで、目が死んでいない。下手にリリースすれば後日災厄を呼ぶ。どう処理したものか。

「学習しない奴だな。お前は反射で生きる虫以下か? 

 それでこの女を知らないか?」

 俺はスマフォを取り出し行方不明になった女生徒の一人 小島 明菜の写真を写し出す。

 褐色でサイドテールにした明るい笑顔をした軽そうな女。部活には入っていない栗林と同じグループで夜の繁華街で遊ぶギャル系。

 どこかの合コンで出会っている可能性はゼロじゃない。

 そんな程度のつもりだった。

「・・・しらねえよ」

 写真を見せたあと目が一瞬泳ぎ数秒の間が開いた。

 犬も歩けば棒に当たる、瓢箪から駒、無駄だと思ってもやってみるもんだな。

「そりゃ知っているって顔だぜ。どこで・・・」

「なんでっ」

 俺が台詞を言い切る前に栗林の悲痛な声に遮られた。

「なんでっあなたがアキッチの写真を持っているの?

 それよりも何でウチは今の今までアキッチの事を思い出しもしなかったの?

 なんなのよ、ねえ、教えてよ先生」

 世界が崩れ自分が信じられなくなるほどの衝撃だったのだろう、あの栗林が俺に胸に縋り、泣いた。

 どうやらこの行方不明事件、俺の案件の可能性が高まったようだ。


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