第341話 大人げない

「じゃあ、いいかしら。いい声で泣かしてあげる」

 対峙する野上が舌舐めずりしている。その顔面にストレートをぶち込みたいが駄目なんだろうな。

 俺はYシャツの上から借りた柔道着の上着だけ羽織っている状態。流石にズボンの方は断った。他人が履いていたズボンなんか気持ち悪い。

 何か言いたそうだったが、俺のパンツを見たいのかと言ったら承諾した。そもそも俺が更衣室に入るのを断った此奴等が悪い。純粋に女の花園に入られたくないのか、見られたくないものでもあるのか。

「はじめっ」

 開始と同時に野上が無造作に突っ込んでくる。ジャブのカウンターを入れたいところだが我慢して襟を取りにいったら攻防も無く意外と簡単に取らせてくれた。

 素人だと思って余裕のサービスか?

 そのまま流れるように組み合ったところで肘に激痛が走った。

「ぐっ」

 これが狙いか。襟を掴んだ腕の肘を逆に曲げられそうになった。襟を離すのがあと少し遅れたら肘がいかれていた。

 離れようとした俺の軸足にローキックが炸裂、退避できず体制が崩れる俺の懐に野上が潜り込んできてあっという間に視界が反転した。

 このままだと一本取られる!!!

 無理してでもなんとか体を捻って背中から落ちのだけは避けようとしたが、急に野上の体勢が崩れ二人ともぐだぐだに畳の上に崩れ落ちる。

 何が?

 俺の思考が追い付かないままに背後から胴が足に挟まれ襟が首を絞めてくる。

「どう、美少女に首を絞められて気持ちいいでしょ。このまま天国に行かせて、あ・げ・る」

 背後に回った野上から愉悦に酔った声が響く。

 こいつ今一本取れたのにわざと崩したな。あっさり一本とって終わるより、寝技でじわじわ俺を苦しめるのが目的かっ。

 サディストが。

 辛うじて極まる前に腕を挟み込めたので抵抗は出来ている。

「あら頑張るのね。でもいつまで持つかしら~」

 この女強いが、甘い。嬲ろうとする気持ちが隙を生む。

「いたっ」

 野上の拘束が緩んだ隙に俺は脱出し立ち上がって離れる。

「あんた、やってくれたわね」

「なんのことだ。

 先生は素人なんだ細かいことは大目に見ろよ。そんな余裕も無いのか?」

 柔術の小技だが襟を掴んでいた小指を潰そうとしただけだ。

 これは反則なのか?

「言ってくれるじゃない。

 もう遠慮しわいわよ。汚くなるから嫌だったけど失禁させて晒し者にしてやる」

 こわっ。野上が俺を呪い殺せそうな目で睨み付けてくる。幾ら可愛くても百年の恋も醒める。

 だが俺はとっくに目が覚めている。

 クソ女だが実力は本物、俺もなりふり構わず全力で行かなければやられる。

 まずは勝つ。それだけを念じる。

「はっ」

 再度野上が踏み込んでくるが同じ轍は踏まない。

 もう待ちはない。こちらから積極的に攻める。

 カウンターで掌底を野上の顔面に向かって放つ。当たっても拳で無ければ問題ないだろ。襟を取りにいって間違って当たったと言い逃れる。

「くっ」

 反則することは慣れていてもされることには慣れていないようで、運動神経がいい野上は俺の掌底を辛うじて躱すが不用意に避けた為に体勢が崩れた。俺はそのまま野上の後ろ襟を掴み、これも不幸な接触事故、懐に飛び込む際に軽く肘打ちが入ってしまう。

「うごっ」

 くの字に折れたの身をそのまま背負い、全体重を込めて畳に叩きつけた。

 一本の掛け声は無い。

 ならばと先程のお返しとばかりに野上の背後に回り込み襟を掴んで首を絞め、足を使って胴を締める。

 小指を取られないようにしっかりと握り込み襟をグイグイ締めつつ、足で胴を締めていき内臓を圧迫してやる。

 先程のそっくりお返しだ。

「やめっ」

 周りで先程までにやにや見ていた部員が慌てて割って入ってくる。

「ん?」

「やめ、ストップです先生。殺す気ですか」

 言われて慌てて拘束を緩め解放してやる。

「げほげほ」

 解放された野上は嘔吐く。

 もしかしてストップがもう少し遅かったら俺やっちゃっていたのか?

 殺すのは大げさでも、失神失禁の昇天顔晒しと女の人生終わらせるところだった。クソ女でも女子校生相手に流石にそれは少し寝覚めが悪い。

 如何如何、俺は大人なんだ少しは寛大な態度を示さないとな。

「俺の勝ちだな野上。

 これでお前はモテナイ俺の女だな」

 四つん這いになっている野上を立つ俺が思いっきり見下ろして告げる。野上ならここで頭の一つも踏み付けていただろうが、大人の俺はそんなことしない。

「ふっ巫山戯るな。犯則だろ」

「どの口が言う。お互い様だろ」

 よく考えたら最初のローキックは反則だろ。多分俺が気付けないだけでそれ以外にも柔道の犯則技を使っていただろ。

「そうまでして俺を痛めつけたかったようだが。

 結果は逆だな。

 無様だな。

 あれだけいきっていたのにこの様とは弱いって哀れだな」

 後で冷静にこの場面を見れば女子高生相手に得意気になっている俺は滑稽だな。

 正直負けていた。

 この女がまっとうな柔道をしていたら負けていた確率が高い。人を見下して嬲るようなマネをくれたおかげで俺も吹っ切ることが出来た。

「私を見下しやがって、後悔させてやる。

 言っておくけど私のパパはここに多額の寄付しているのよ」

 心を折りきれなかったか、まだ目に力がある。

 ところでそのパパって血の繋がっている方だよな。

「それで」

「あんた私にこんな事して学校にいられなくしてやるわよ。それどころか教職に就けなくしてやる。

 泣いて土下座するなら考え直してやってもいいわよ」

 躊躇いなく恥じなく親の権力を行使するその顔は誇らしげにさえ見えた。この手の奴に謝ったが最後骨までしゃぶられる。

 親の権力、それがこの女の力の源。

 憎たらしい野上の顔を見ていたら、根性の曲がった女による部内での虐めが原因で家出、そんなストーリーが思い浮かんだ。

 少し探ってみるか。

「そうやって望月も追い出したのか?」

「!? 何言ってる」

 一瞬戸惑ったな。だが罪悪感じゃ無い、今まで忘れていたのを俺に言われて思いだしたような感じ。

 此奴等にとっては人を踏みにじる程度覚えておく価値も無いということか。

「どうなんだよ」

「はっ何を知っているか知らないけど。それなら私に逆らっただどうなるか分かっているでしょ」

 ここで口を滑らすほど馬鹿じゃ無いか。だが何かありそうだな。是非二人きりでじっくりと話を聞きたくなった。

「分からないから、ご主人様である俺に今度じっくり教えて欲しいもんだな」

「まだ私にそんな態度とるんだ、後悔するわよ」

 般若ってこういう顔を言うんだろうな。

「させてみろよ」

 二人の間、いや俺と柔道部員達との間で張り詰めていく空気。

 数を頼りに襲い掛かってきたら、それこそ親の権力など今この場ではなんの力も無いことを骨の髄まで教え込んでやる。

「果無さん」

 破裂寸前の空気に水が差された。

「はい」

「時間です次の部活に行きましょう」

 これだけの修羅場を見ても眉一つ潜めず嘉多は平静な顔で言う。この人もただもんじゃ無いな。

 もしことが起きていたら味方になってくれたのか、傍観して見捨てたのか?

 どっちも考えられるだけに怖い。

「ああ、そうですね」

「逃げんのかっ」

 野上がチンピラの如き口調で言う。

「違うよ、お子ちゃまのお前と違って大人の俺はお仕事だ。

 それよりも約束忘れんなよ。お前は俺の女に成ったんだ、呼び出したら絶対に何処だろうが何があろうと秒で来いよ。躾けてやるぜ」

「! 

 ああそうね、行って上げるわ。約束は守るわ。せいぜいデートに相応しい静かな場所に呼び出してよね」

 一瞬見せたあの顔。約束を守るなんて立派な心がけじゃ無い、仕返しをするいい手を思い付いた顔。

 この女は来る。

 金か体で釣るか知らないが怖い男をぞろぞろ引き連れてお礼参りに来る。

 俺も楽しみだ。

 今度こそ心を根元から折ってやる。

「デートが楽しみだな」

「ほんとね」

 それにしてもいいペースだ。この調子なら案外早く事件の真相を掴めるんじゃ無いのか?

 久しぶりに順調に進む仕事に俺は気分が良くなるのであった。


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