第321話 潜入
黄昏の時間は終わり空に星が輝き出すにつれ暗くなっていき、闇が恥部を覆い隠すばかりにいけない大人達がいけない遊びを始める。
一台の車がライトアップで輝く一日市ホテルの門の所で止まった。直ぐさま門に控えていた警備員が駆け寄って来て車の窓を開けさせ手抜き無く車内と中にいる者の顔を確認する。
「富山様と運転手、確認。門を開けろ」
警備員が警備室に合図を送ると細緻な彫刻が施された柵状の鋼鉄の門が開かれていき黒塗りの高級車が一日市ホテル敷地内に入っていく。
車体が完全に敷地内に入り門が閉じられれば世界から隔離されたと言ってもいい。
敷地内への物理的侵入は警備員や高い塀が防ぎ、塀に施された電波装置で携帯や盗聴器のたぐいの電波は妨害され、ホテルの建物内に入れば電波は完全に遮断されてしまう。一日市ホテルと外部を繋ぐのは有線電話のみで今の時代にネットに繋ぐことすら出来ない。
不便かも知れないが代わりに情報漏洩のリスクは格段に減り安心して羽目を外せる、そこが上級国民の信頼を勝ちとっているのだろう。
敷地内に入った車はゆっくりと進んでいき、まずはホテルのロビー前に横付けされる。そうすると待機していたボーイがさっと駆け寄り車のドアを開ける。
「いらっしゃいませ、富山様」
「うむ」
対応は一流ホテルのボーイと遜色は無い。仰々しく車から降りる富山の荷物をベルボーイが自然に受け取る。
「ではご案内します」
富山がボーイに案内されていくと慣れたもので車は静かに発進して一日市ホテルの裏側にある地下駐車場に向かう。運転手はそこに車を駐めた後は従者用の控え室で主人のお楽しみが終わるまで一泊だろうが待つことになる。
ホテルの外周をぐるっと廻るようにゆっくりと走って行く車。
一日市ホテルは門や塀の各所には監視カメラや巡廻の警備員がいて厳重に警備されているが一旦敷地内に入ってしまえば、そうでもなくなる。まあ外周でキッチリ阻止していまえば問題ないわけでリソースの集中というものだろう。
一日市ホテル本館の外壁にも監視カメラは設置されているが幾つかの死角が存在している。これは一日市ホテルは丘の上にあり周りに一日市ホテルより高い構造物などが無いことから超望遠カメラを備えた空中ドローンを使い発見されないように遠くから地道に偵察を行うことで分かったことだ。
ゆっくりと走る車がもう直ぐその死角に入り込む。その車のトランクが中からゆっくりと開けられていく。
ふう~やっとこの狭くて暗くて臭い空間から解放される。
トランクの隙間から見える外の世界は広々として閉鎖感から解放してくれるが、流れていく風景が意外と速く開放感が早くも恐怖感に塗り潰されそうになる。
本当は止まって貰うかもっとゆっくり走って欲しいが、いつもと違う速度で走れば疑われる可能性がある。これは俺が直具にいつも通りと念入りに指示した結果で、自業自得とも言えるが、やはり思っていたより速く感じる。
打ち合わせ時に聞いたスピードなら出来ると思ったんだが、やはり計算で知るスピードと実感するスピードは違うと言うことか、死角に入ると同時にここから飛び出さなければならないが、下は堅いアスファルト。下手すれば大怪我する。
「びびっているの~」
背後から熱い吐息が挑発的に耳元に吹きかけられる。
「俺をお前等みたいな超人と一緒にするな。普通の反応だよ」
常人らしく睡眠時間を削ってでも訓練でもしておけば良かったか。いやそれより耐ショック装備を金を惜しまず用意するべきだったか。
「ここでしくじられても困るのよね~、怖いなら手を引いて引いてあげましょうか?」
鎖府はここぞとばかり俺を馬鹿にしている。ここで対応を間違えると舐められ、しいては命令を聞かなくなる。
ここは男を見せなければならない。
「いらん」
「あっそう。なら尻を叩いてあげるわね」
「何を言って・・・」
台詞を言い切る前にトランクルームから蹴り出された。
空に放り出され流れるアスファルトが顔面に迫る。
このままでは顔面を削られてしまう、咄嗟に体を丸めて防御態勢を取ろうとした俺を柔らかい体が後ろから絡みついてきて、娼婦に指導される童貞のように手玉に取られる。流されるがままに主導権を委ねれば、優しく手ほどきされてアスファルトの上を落下の衝撃を感じること無くコロコロ転がっていく。
ホテルの壁に当たる寸前で勢いは消えて止まった。
「どうだったかしら私のテクニック」
いち早く立ち上がった鎖府がドヤ顔で訪ねてくる。
「良かったよ。おかげで怪我をしないで済んだ。
お前意外と面倒見がいいな」
悪ぶっている割には命令外のことも率先してやってくれる。助かっているので文句は無いが、聞いた鎖府 泉璃澄が闇に落ちた理由に説得力が生まれてきて嫌な予感が漂ってくる。
「勘違いしないでね、一応雇用主だからしているだけよ」
「まあサービスがいいことはいいことだ。
さてと」
鎖府といつまでじゃれあっている余裕は無い。何時予想外の巡廻の警備員が来るか分からない。俺は目の前のホテルの外壁を見上げる。
ホテルの見栄えを気にする正面と違って突起物は少なく、俺にはそそり立つ断崖絶壁にしか見えない。
「じゃちょっと登ってくるから、あなたはここで大人しく待ってなさいよ」
なのに鎖府は軽いハイキングにでも行くように言う。
「ああ頼むよ」
「まったく潜入だけなら私だけで十分というか、私だけの方が楽なのに」
ぶつくさ鎖府は言いつつロープを肩に担ぐ。
余計な手を掛けさせている自覚はあるが、やはり大事な局面は自分で確認しなくてはいられない。
つくづく俺は現場の人間なんだな。
それにこの女は後ろでふんぞり返っている男にいつまでも従うたまじゃない、いざとなれば契約書なんか鼻をかむくらいしか役に立たなくなる。
「まあその分報酬には色は付けてやるよ」
鎖府は既に俺の言ったことなど耳に入らないほど集中して壁を見ている。
「行くわっ」
鎖府は掛け声と共にホテルの壁に出ている突起物を足掛かりにするすると猫のように登っていく。ホルダリングの選手にでも転向すれば一流を予感させるほどに見惚れる。
やがて上まで着くとロープが垂れて来た。
ハーネスにビレイデバイスなどとネットでの俄知識で揃えた装備は待っている間に装着しておいた。
墜ちたら終わりだが、ここで尻込みするわけにはいかない。
余計な感情思考を停止してマニュアル通りイメトレ通りに行えば何の問題も無い。
俺はロープを握る腕に力を込め足を壁に一歩踏み出し登り出すのであった。
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