第317話 積み重ねた信頼

 バサバサと樹吊は軒下で几帳面に傘の水を払うと戸を開け家の中に入っていった。

 窓から中を覗けば、入ってまず土間があり戸などの仕切りは無くそのまま板張りの部屋に上がっていけるワンルーム。部屋の中央には火が付いた囲炉裏があった。

 古びていい色に染まった板張りや吊り下げられた鉄鍋など古き日本を忍ばせる古民家そのもので観光客相手に一泊一万くらい取れそうな風情があるが、それもこれも土壁に全裸で後背を晒してぶら下がっている老若男女がいなければの話だろう。

 窓から見る分には顔の確認は出来ないが見える様々な背中には汚い染みが浮いているのとか、脂肪でだぶだぶに弛んでいたりと見るに堪えなのから、瑞瑞しく張りがあるこれからの人生を思わせる背中や見る分には美しい鮮やかな入れ墨が彫られているまで、背中で人生を語るというのは嘘では無いかも知れない。

 中に入った樹吊はそんな異様な家の中に入っても驚くこと無く囲炉裏に近すぎず遠すぎない乾かすのに絶好の位置に傘を広げ干した。

 そして自分は濡れた服を脱いでいくと部屋の中に掛けてある洗濯ロープに皺を広げて干していく。やがて見たくも無い一糸纏わぬ姿になる。その背中は無数の傷と筋肉で盛り上がっていて潜ってきた修羅場を語っていた。

 樹吊は空いている土壁の方に歩いて行くと、壁から出ているフックに口を開け上顎を引っ掛けてぶら下がった。

 それでお終い。

 それからは静かなときが流れ出す。

 待ってもこれ以上の動きは無いようだ。

 ならば俺が動き出す。

「おじゃまします」

 コンコンと礼儀正しく戸を叩き挨拶をしつつ家に入る。戸には閂はされて無くすんなり開けることが出来た。不用心だが、こんなところに泥棒はいないだろう。

 部屋の中の暖かさが雨で冷えた体には心地いい。暫く暖まっていたい、寧ろ濡れた服を脱いで寝転がりたくなる。

 だがそれは許されない、仕事はまだ終わっていない。

 綿柴夫の行方の調査、これが今回の仕事の根幹。

 別に救出とか暗殺を依頼されたわけじゃ無い。ここにいることを確認して依頼人に伝えれば終わりだ(正直に話して信じて貰えるとも思えないが)。

 土間に立っていても連れてこられた人々は顔を壁に向けて壁に掛かっている為に顔が分からない。めんどくさいが上がって一人一人確認するしかない。

 それでもたかが数人、何も無ければものの数分で終わる作業なんだが、そうもいかないようだ。

 全く動いていない傘だが圧を感じる。

 怒っているな。

 人間と感情表現は違うが人間の悪意に晒され磨かれた俺の感覚がユガミが放つ異形の悪意を感じ取ったようだ。まあ、そう思って観察すれば小間が先程より張っているようにも思える。

 それにしても礼儀正しくしているというのに器の小さい奴だ。

 主従逆転。人間に勝手に盗まれ棄てられた傘の怨念なのか知らないが、自分を持った人間を自分の道具に成り下がらせ操る。

 所見殺しの恐ろしい能力だが、此奴自身は自由に動けない。あくまで操る人間がいるのが弱点。

 そして今此奴はその自分の命綱である下僕を遠ざけている。

 そんな思考があるのか分からないが油断したな。

 俺は銃を抜く。コンバットマグナムの弾倉には対魔用に銀の弾丸が装填されている。普通の銃弾よりは効果がある。

「お前にどれだけの知能があるか分からないが、一度だけ交渉をしてやる。

 大人しく俺の道具に成れ俺がお前を使いこなしてやる」

 広げられ干してある傘に銃を突きつけ話し掛ける危ない人の構図。

 滑稽と分かっていてもやる価値はある。此奴を使ったとき俺は一流の暗殺者と同等の体術を手に入れられた。護身用として持っているのは悪くない。

 余裕があるが故に行ったユガミとの交渉。

 賽の目はどう出る?




 傘に殺気が充満したと感じた瞬間、広げられ此方に向けられていた石突き弾丸の如く伸びた。

「くっ」

 俺が石突きを避けようとするより早く鎖が戸をぶち破ってきた。

 外から伸びてきた鎖は俺を通り過ぎ傘に絡みつき魚を釣り上げるように一気にそのまま家の外に引っ張り出した。

 ふう、残念交渉決裂か。

 落胆した気持ちのままに外に出るとパンクルックに身を固め鎖に縛られた傘を踏み付けている銀髪赤目の少女がいた。

「命令もしてないのに守ってくれるとはサービスいいんだな」

「こんな所まで来てただ働きなんかご免なだけよ。

 お気にの服がずぶ濡れじゃ無い」

 少女は肩まで伸ばした銀髪に垂れる滴を鬱陶しいように払いながら言う。

 少女は尻が見えそうなほど短いデニムのパンツにデニムの袖無しジャケット。ジャケットの所々に鎖をあしらっているのはこの女のこだわりなのかな。ジャケットに下は黒のシャツ。

 そんな格好では寒いだろうに彼女はそんな素振りも見せない尊大な態度で俺に対している。

 彼女は鎖府 泉璃澄。

 今回は地下組織が関与している事情を吟味して時雨やキョウなどを雇うのは辞めP.Tを介して雇った旋律士。

 獅子神より闇に落ちて石皮音やくせるほどは沈んでいない。故に獅子神より汚れ仕事を請け負い、主義がある石皮音やくせると違い金で雇うことが出来る。

 彼女は駅で俺を見張っていたわけじゃ無い。そんなことをしていたら勘のいい樹吊に気付かれてしまっていただろう。だから彼女には俺に付けた発信器の受信機を渡して離れた場所で待機して貰い、俺が動き出して初めて俺を追跡するように命じておいた。

 彼女が下手して俺の追跡に失敗していたら、こんな狭間の空間で孤立無援になっているところだったが、流石P.Tの紹介だけ合って旋律以外のこういう腕も確かなようだ。

 意外だったのは、俺の護衛を命じたわけでも無いのに自主的に俺を助けてくれたこと。

 いつから俺を捕捉していたか分からないが、彼女は俺が家に入った時点で不測の事態に備えて旋律具である鎖で旋律を奏でていたようだ。

 助かったが、正直彼女がどんな旋律を舞うのかは見てみたかった。それは次の機会の楽しみとしておくか。

「それで、もう調律してもいいかしら?」

 調律より調教の方が似合いそうな鎖府は傘をぐりぐり踏み潰しながら尋ねてくる。

「少し待て」

 俺は嗜虐心に燃えて今にも踏み潰してしまいそうな鎖府を押し止める。

「確認だが、ここからの脱出方法は分かっているのか?」

「抜かりは無いよ」

 一度認識した以上俺も一人で出口まで行くことは出来る。一人なら。

「この小屋にはユガミに囚われた数名の一般人がいる、それらを連れていけるか?」

 この場で魔から解放すればあの店で倒れた者同様長い期間囚われた者は餓死してしまう可能性が高い。直ぐに病院に運びたいところだが、此岸の世界に戻ったところで山の中だろう。ヘリなどの応援を呼べば大騒ぎに成る。

「へえ~意外、見捨てるかと思ってた」

「人聞きの悪い。出来るだけ助けるぞ俺は」

「出来るだけね」

 此方を揶揄するような目で俺を見る。

 何が悪い、自分の犠牲に他人を助ける善人じゃ無いことは自覚している。

「それでどうだ?」

「か弱い私に運べると思う?」

 超常の力を振るっておいて良く言うが、嘘は言ってないだろう。

「そうか。なら一時的な封印は?」

「私に出来ないとでも」

 今度は侮るなとばかりに俺を睨む。

「なら、決まりだな。

 ここからが本番だ」

「はいはい、お金が貰えるのなら働くわよ。

 でも私を裏切ったりしたら分かっているよね」

 鎖府の赤い目が細まり魔眼のような凄みが増す。裏切ったら本当に呪い殺されそうだ。

「安心しろ。契約を守ることに関しては業界では信用がある。どうせお前だって調べたんだろ」

「まあね」

 当然雇われる前に俺という人物を鎖府なりに調べ、鎖府がここにいるということはまがりなりにも俺を信頼したからだろう。約束を反故にしているような奴は大きな仕事をするための一流とは組めないと言うことだ。

「俺から裏切ることは無いが、裏切りにはそれなりの代償を払って貰うつもりだ」

 鎖府同様俺も無条件で信頼したわけじゃないと釘を刺しておく。ここがなあなあに成った時にこそ裏切りが発生する。

「ギブアンドテイクのいいビジネスになることを祈っているよ」

「お互いのためにもそう願いたいわね」

「よし、じゃれ合いはここまでだ。

 仕事を始めよう」

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