第316話 計画通り

 しとしとと雨は降り

 びちょびちょとぬかるむ足音が響いていく。

 雨に濡れた土はぬかるみ重心が狂えば簡単に足を滑らせる。滑らせなくても油断すれば張り出した木の根に躓き転んでしまう。

 舗装も無く街灯も無い山道。

 道を挟む木々に遮られるまでも無く星も月も雨雲に隠れ地上に光は届かない。

 都会では経験することのない闇のみが拡がる夜道。なのに女は道に迷うことも地面に張りだした根に躓くことも無い。

 平然と傘を差して歩いて行く。

 もはや神懸かり。

 そんな女を俺は用意しておいた暗視ゴーグルを装着することで辛うじて付いていくことが出来ている。

 プロと違って俺は泥道に足音を全く消せていない。

 野生動物すら息を潜める静寂な山奥にびちゃびちゃと不快な足音を鳴らし、女の耳に確実に届いているだろう。

 なのに女が後ろを気にして振り返ることは無い。

 こんな山奥の夜中の女の一人歩き、ストーカーや強姦魔ですらましで熊や山犬だったら食い殺される恐れがある。

 なのにただひたすらに進んでいく、それは絶対強者の余裕なのか純粋に興味が無いのか。

 まっどっちにしろアジトまで連れて行ってくれるのは手間が省けて助かるんだが、かれこれこの雨の中の泥道の追跡を一時間は続けている。これ以上続くようだと防水のコートを着ているとはいえ無為に体力が奪われ自滅して遭難してしまいそうだ。

 こんな世界で遭難したら捜索隊は来てくれないだろうな。出来ればアジトに着くまでは戦闘は避けたかったが、体力がある内に決断をしないといけないかもな。

 あと30分とリミットを切って尾行を続けていくと、女が歩いていく先に明かりが見えた。

 ナイトスコープを望遠にして見ると木々が開けた山の中腹にぽつんと建っている日本昔話に出てきそうな平屋が見えた。

 その平屋の窓からか明かり漏れている。

 どうやらやっと終着地が見えたようである。

 ならば尾行はここまで、勝負を仕掛ける時が来たようだ。

 俺は背後から見えないように懐から秘蔵の栄養ドリンクを取り出し一気に飲む。

 凍えた体がカッと熱くなり手や足の指先に感覚が戻る。

 呑んだ瓶は棄てずにポケットに戻しつつ、ナイトビジョンのモードをサーモグラフィに切り替え懐からコルトガバメントを背中で隠すように抜く。

 スライドを引き、銃を握り締める。

 コルトガバメント、弾数の多いオートマチックで信頼性も高く闇市場で手に入れやすくお値段も手頃と来ている。銃は公安から支給して貰うこともできるが管理が五月蠅い。これなら気にすること無く撃てて躊躇うこと無く棄てられる。

 さて始めるか。

 俺は振り返ると同時にサーモグラフィが示す熱源に向かって銃弾をフルオートで叩き込む。

 静かだった山間に銃声が轟き木霊していく。

 やったか?

 サーモグラフィーにしたことで雨に濡れた木々や道の様子は分からなくなったが、生物が放つ熱は木々の後ろに隠れていてもよく見える。

 現状熱源は動いていない。奇襲で仕留められたのか? それとも擬態?

 仕留めていれば血が流れ熱量が下がってくるはず。

 焦る必要は無い、じっくり見定める。

 その為にも今のうちにと弾数の減ったマガジンを棄て、新しいマガジンに取り替えようとした瞬間、もぎ取られるような衝撃が走って銃が弾き飛んだ。

 まだ距離があると油断した!

 銃声はしなかった。サイレンサーの可能性もあるが、多分投げナイフだろう。

 ちっ奇襲は失敗か。下手に武器を拾おうとしたら狙われる、俺は躊躇わずに反転して全力で走り出した。

 この距離なら飛び道具で狙われても、防弾コートに鎖帷子が防いでくれる。ナイトスコープのモードを暗視モードに切り替え、今は走ることに集中する。

 びしゃびしゃと後ろから追いかけてくる足音が響くが俺は振り返らない、振り返らなくても誰か分かっている。振り返る間すら惜しんで全力疾走したのが功を奏したのか追撃を受ける前に俺は女に追い付き追い越し前に出た。

 女は突然男が前に出て道を塞いでも驚く様子は無く。俺はその無防備な鳩尾に一発拳を叩き込んだ。

「うごっ」

 女が苦悶に呻き地面に倒れ込んでいく中俺は女が持つ傘を奪い取った。

 帰ろう。

 女はどしゃっと地面に倒れ、追跡者がついに姿を現す。

 帰ろう。

「そんな傘でどうする積もりだ?」

 予想通り俺同様にナイトビジョンを装着しナイフを抜きはなった樹吊が表れた。

 奴はプロ、仕留め損なったことで大いに誇りと信頼を損なった。失ったものを取り返すために俺を仕留めずにはいられない。

 俺を仕留める機会を伺っていたのであろうが、俺はここ2~3日は襲う隙を与えなかった。その俺が単独行動をしたんだ、例え罠の疑いがあっても動くだろうと読んだが読みが見事に的中した。

 それにしても流石プロ、自分の読みを信じていたが尾行には全く気付かなかった。今の奇襲も自分の読みを信じての行動だった。あれだけ得意気に振り返って誰もいなかったら、恥ずかしさで暫く夜眠れなくなるところだった。

 そういった意味では此奴に感謝する。常人より鋭いプロだ、途中から日常から逸脱した異常さに気付いていただろうに、良くもこんな狭間の世界にまで付いてきてくれた。

 帰ろう。

 プロとしての危険への嗅覚より俺への憎しみがまさったということか。

 帰ろう。

 くそっ、頭の中に家に帰ろうとする思いが木霊する。

 帰ろう。

 家に帰ろう。

 くだらないことなんか放置して家に帰って安らごう。

 放置できるかっ。

 家に帰って安らぐためにも、此奴は放置は出来ない、ここで決着を付ける。

 帰る気持ちに混ぜるような強い決意で、樹吊を無視して小屋に歩き出そうとする一歩を踏み止まった。

 帰ろう。

 家に帰ろう。

 帰って安らごう。

 この傘のユガミは自然と思考を支配してくる。気を抜けば樹吊を無視してあの小屋に帰って傘を干したくなる。

「どうした黙り込んで? 取引を持ちかけても無駄だぞ。俺はプロの意地に懸けてターゲットは必ず始末する」

 帰ろう。

 そんなことはどうでもいい。帰って傘の手入れをしたい。

 このユガミは自然でシンプルで強力だ。

 帰ろうという帰巣本能を強烈に刺激し、帰る先をあの小屋になるように思考に刷り込んでくるだけ。

 それだけに気を緩めばあっという間に思考を支配される。俺だとて警戒してなかったら一気に取り込まれていただろう。

 振り返りそうになる自分を必死に押さえつけるのも、そろそろ限界。

「お前は一度俺の手から逃げたからな、そのことをゆっくりと後悔させてから始末する」

 プロのくせにべらべらおしゃべりしやがって、こうなったらこちらから誘うしか無い。

 俺は少しだけ我を緩めて振り返ろうとする。

「おいっ、無視するなっ」

 樹吊は無視しようとする俺に怒りナイフを脅しで投げた。

 掛かったとばかりに俺は気力を総動員してナイフが迫ってきても無視する傘から体の主導権を奪い、傘でナイフを振り払った。

 その瞬間、思考がシンクロしクリアになった。

 攻撃されたことで傘が樹吊を敵と認識し、樹吊を始末したい俺とシンクロした。

 先程のように操っている傘の持ち主を俺が攻撃しても傘は気にもしないが、自分が攻撃されれば流石に防衛本能が働く。

 これでも気にしなかったらどうしようかと思ったが、計算通り。

「くっく、怒りに我を忘れてこんな所まで追いかけてきたのがお前の命取りだ。

 お前は二流だよ」

 怒りは大事だが、制御できない者は身を滅ぼすのみ。

 怒りをマグマのように内に秘められてこそ一流。

「抜かせ。貴様如きの動きは見切っている」

「お前じゃ俺には勝てないよ」

 邪魔だとばかりにナイトビジョンを取り外すが、昼間のようにクリアに見える。

 傘と俺の思考がシンクロし傘の力が俺に宿る。

「その口後悔させてやる」

 ナイフを構え向かってくる樹吊に向かって遠い間合いから傘で突きを放ち、素人がと樹吊の顔が侮蔑に染まる。

「なっ」

 驚愕に歪んだ樹吊が紙一重で間合い外から突き込まれ伸びていく傘の一撃を避けた。そのまま俺は傘を振り払い樹吊の肋に叩き込む。

「伸びただと!??」

 辛うじて腕で傘をガードした樹吊から素早く傘を引き、踏み込ませる隙を見せずに連続突きを樹吊に放つ。

 自分でも驚くほどの手練れの連続技、躱された一撃を地面に突き刺し軸にして空中回し蹴りを放つ。

「ぐはっ」

 流石の樹吊もこのトリッキーな動きは読めなかったようで胸に俺の膝が命中した。

「先日の戦闘では、これだけの体術を隠していたというのか?」

 それでも樹吊は体術に関しては一流のようで咄嗟に後ろに飛んでダメージを軽減している。

 凄い一連の攻防俺じゃ無いみたいだ。俺は俺の意思で戦っているようで傘に操られてもいるようだな。

 まあいい、今は目的が一緒。なら問題は無い。

「確かに俺は一流じゃ無いかもな。

 やっと目が覚めた、お遊びは終わりだ」

 自嘲気味に呟き樹吊から先程までの余裕は消えた。

 スッと雰囲気が一変し感情が削ぎ落ちた目的を果たすマシンのようになる。

 スイッチが入ったか。

 遊び無しで俺を殺す気になったようで、逆に今までの攻防で仕留めきれなかった俺の方が追い詰められた気分になる。

 此方も静かに青眼に構える。

 しとしとと降り注ぐ雨が対峙する二人から徐々に体力を奪っていく。

 このまま睨み合ったままでは低温症で共倒れ。

 それでも先に動いた方が負けの我慢比べなのに、そういった駆け引きを考慮しない傘が先に動いてしまった。

「ちっ」

 間もクソもない身体能力にものを言わせた必殺の踏み込みからの袈裟斬り。だが幾ら全国の剣道家のお手本になるような袈裟斬りでも、間が計れてなければプロには躱されてしまう。

 樹吊は読んでいたように袈裟斬りをナイフでいなしつつ俺の手首に手刀を叩き込む。

「ぐわっ」

 鉈を叩き込まれたような衝撃に俺は傘を落としてしまう。

 咄嗟に傘を拾おうとするが、その不用意な俺に樹吊は蹴りを叩き込む。

 なんとかガードできたが、その隙に樹吊は傘を拾ってしまった。

「おっと」

 今まで苦戦していたのはこの傘という未知の武器の所為。それを奪い取り得意気の顔になった樹吊に俺は告げる。

「掛かったなマヌケが、お前はやはり一流じゃ無いな」

「何? 負け惜しみを言いやがって、もうこんな事さっさと終わらせて、家で熱い風呂に入って一杯呑みたいぜ」

「なら帰れよ。邪魔しないぜ」

 俺は両手を挙げて戦う意思がないことを示した。

「降参したって無駄だぜ。俺はさっさと帰らせて貰う」

 樹吊は自然に傘を差すと操られた女の代わりに小屋に向かって歩き出し、邪魔をしない俺を素通りしていく。

 所詮二流、傘の意思に逆らえなかったようだな。

 これで見捨ててもいい奴に傘のアジトに案内して貰った上に暗殺者も始末できる。元々このユガミを利用して始末する計画だったが、あまりに上手くいきすぎて怖くなる。

 こういう時こそ気を引き締めないとな。

 俺は微笑む口元を引き締める。

 それじゃ傘のアジトに案内して貰うとするか。

 俺も樹吊の後に続いて歩き出すのであった。


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