第318話 ホテルの一室で

「お客さん」

「はっここは?」

 肩を揺らされ覚醒した俺は訳が分からず左右を見渡してしまった。周りを見渡せば酔い潰れているサラリーマンがいる電車の中だった。

 そして目の前には車掌が一人。

「お客さん疲れているのは分かりますけど終点です」

「終点?」

 終点という言葉が脳を通り過ぎていくがなぜその言葉出るのか理解出来ない。

「まだ寝惚けているのですか。この電車は車庫に入ります。早く降りて下さい」

 慇懃だがガンとした態度で命令に近くお願いしてくる。

「あっああ、すまなかった」

 まだ意識が混濁するが、兎に角命令通りに電車から降りなければならないと電車から降りていく。その背後では車掌が酔っ払いを起こす声がする。

 降り立ったホームには人影はほとんど無く寒風が吹き去って行く。見上げればビルの明かりは無く真っ暗な山が恐ろしげに見えるだけ。

 俺はどうしたんだ?

 そうだ、確かターゲットを尾行して電車に乗った。電車に乗ったところまでは記憶が蘇ってきた。

 その後はどうした?

 確かどんどん乗客がいなくなき、見知らぬ駅でターゲットが降りて俺も駅を降りたところまでは覚えている。

 電車から降りたそこは異界だった。

 別にゲームのようにモンスターがいるわけじゃない。古びた駅名標だけがある無人駅、田舎に行けば珍しくも無い。

 なのに一歩踏み込んだだけで怖気立った。

 明確な恐怖じゃ無い、違和感、理解不能、修羅場を回潜ってきた本能が最大の警報を出してくる。

 引くべきかと迷った時には電車は去っていた。

 こうなったらターゲットを追跡するしかない。

 こんな所に一人残されたらどうなってしまうか分からない恐怖心が無かったと言えば嘘に成るが、プロとしての矜恃もあった。

 護衛に囲まれた敵対組織の幹部に強襲したことだってある。見事幹部の腹に包丁を入れ込んだ時のあの幹部のマヌケ顔は今でも思いだして酒の肴になる。

 想起しろ、あのクソ生意気な若造を屈服させて土下座させたらさぞや痛快だろう。

 恐怖を予定される歓喜が上回った。そして離されないように尾行をしていたらいきなり攻撃されて、ターゲットと戦闘になって・・・。

 それでどうした? 

 思い出せない?

 俺は負けたのか?

 ならなぜここいる?

 負けたのなら逮捕されているか死んでいるかのどちらかだろう。

 電車で暢気に眠りこけていられるはずが無い。

 夢だったのか?

 そんな漫画みたいな事と思うがそれが一番合理的な答えもする。

 だとしたらどこからが夢なんだ? 狐か狸に化かされたとでもいうのでなければ、尾行して電車に乗ったところからだろうな。

 失態だ。思わず蹲った顔が熱くなるのを感じた。

 こんな事初めてだ。ここ最近はターゲットの隙を伺い四六時中監視していた疲れが電車に揺られて出てしまったのか。

 俺ももう歳なのか。

 そう思うと急に体中が鉛になったような疲労を感じる。この仕事が終わったら幹部が進めるように現役は引退するべきなのかもな。

 兎に角、こうなっては失態を嘆いても仕方ない。

 都心に帰れないのならホテルを探して明日の朝一でアジトに一旦帰って作戦を立て直そうろう。

 流儀じゃ無いが数を揃えるのもいいかもな。

 兎に角帰ろう。


 男は頭の中に残響する帰ろうという思いに囚われていることに気付くことはなかった。

 そして男はそんな自分を付ける存在に気付くこともなかった。




 都心のラブホテルの一室。

 することだけに特化した部屋はベットとワンルームの風呂があるだけ。近くにあるデリヘルから好みの娘を呼んで楽しむのによく利用されている。

 パンツ一丁でベットに腰掛けている俺の前にはブラックレザーのボンテージ姿に身を包んだ少女がいた。

 レザーの光沢のあるブラックが少女の白い肌を際立て開かれた胸元のスリットから覗く胸の谷間がいやに扇情的に見える。

 男ならこれから始まるお楽しみに心が躍ってしまう。

「見穫れているのかしら? 追加料金を払えば相手してあげてもいいわよ」

 少女は自分をよく分かっているようでその括れた腰を捻って赤い瞳が蠱惑的に俺を誘惑してくる。

「是非お願いしたいところだが、ツケは効くのか? 正直君を雇った時点で足が出ていてね」

「こんな美少女にツケが効くわけ無いでしょ、あなた今ハレー彗星のように巡ってきた幸運を逃したわね」

 高見から小馬鹿にした態度だが不思議に彼女には似合っていて腹も立たないどころか、本当に幸運を逃した気になってくる。

「それは残念だ。これからは巡ってきた幸運を逃さないためにも大金を稼がないとな。

 それで払った分の仕事はどうなったかな?」

「私を誰だと思っているの?

 外見だけの女と違って、私は実力も一流よ。

 代金に見合った仕事は果たしたわ、樹吊の背後関係は掴んだわ」

 鎖府は女王様としか言いようのないドヤ顔で得意気に言うのであった。


 正体不明の地下組織に付け狙われ万が一にも家を知られるわけにも行かない俺はホテルを転々する流浪の生活を送っていた。今日はこのラブホテルに部屋を取り風呂に入ろうかと服を脱いだところで狙ったかのように(狙ってたんだろうな)鎖府の訪問を受けた。

 彼女には俺に撃退され逃げる樹吊の後を付け背後関係を調べて貰う予定だった。少々予定が狂ってしまったが彼女は見事仕事を果たしてくれたようだ。

 高い金を払った価値があったようで多少の茶目っ気には度量を見せるべきだろう。

「流石痺れる、惚れてしまいそうだよ」

「いいのよ、私に貢いでも」

 鎖府は赤い舌でぺろっと艶めかしく此方の官能を刺激しながら言う。

 彼女の目論見が外れ、俺が彼女の官能的な姿を見ても下半身が反応していないのが彼女をいつもより挑発的にさせているようだ。

 残念ながら俺は美しいと感じれば反応しなくなるように出来る体質。

「その前に、君の成果を聞かせて貰おうかな」

 パンツ一丁と少々格好が付かないが俺は格上感を出して言うのであった。


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