第310話 スタートライン

 次の日、俺は刑事達に似顔絵を渡し捜査の指示を出すとそのまま帝都警察病院に足を運んだ。

 今は鈴鳴に与えられている個室にいる。鈴鳴の部屋は暖色系のパステルカラーに統一された壁やデスク、そして観葉植物が置いてあり、仕事場というよりほっとする休憩室のような部屋だった。まあ実務なんかは診察室でするのであろうから、プライベートルームに近いのだろう。

 この待遇、鈴鳴が帝都警察病院内で権力を握っているのか家に帰れない激務を少しでも軽減する為の処置なのか、まあ聞かない方がいいだろう。

 デスクに座り珈琲を飲んでいる鈴鳴の対面に座り早速検死の結果を尋ねた。

「それで検死の結果はどうでした?」

 互いに忙しい身、無駄な世間話は無しで行く。

「目立った外傷はなし」

 これは予想通り。駆け寄ったときに出血等は無かったことは確認している。

「毒物や細菌の検出もないわ」

 毒殺も無くなってしまったが、それでも食中毒の線が消えてくれたことは朗報。

「ウィルスも検出されなかったわ」

 これは俺も助かった。可能性は低いとは思っていたが、もしそうだったら俺も隔離対象になってしまうところだった。今の時期の時間ロスは痛いし、俺も死にたくはないしな。

「それでいよいよ本命の死因だけど、リフィーディング症候群が有力ね」

「リフィーディング症候群?

 聞いたこと無いですが、難病か何かですか?」

 死因に医学的病名が付くということは不可解な事では無いということなのか、東出は持病持ちでたまたま発作か何かで死亡した。

 魔では無いのか、少し落胆したがまあいい。病気の説明を聞けば五津府や署の連中に説明する綿柴と東出を繋ぐいいストーリーのネタになるかも知れない。

「飢餓状態に近い者が急に食べると発症する、代謝性の合併症のことよ」

 鈴鳴は少し言い淀みながら説明する。

「飢餓状態?」

「君も倒れた時に駆け寄って見ているでしょ、骨と皮だけになった遺体を」

 あれは急速に老化が進んだと思っていたが、栄養が無くなった飢餓状態の方だったのか。 だが死亡する直前までは見た目は普通だった、そうで無ければ店に入った時点で通報ものの騒ぎになる。

 仮にそれは目の錯覚と目を瞑ったとしても、行方不明となって餓死寸前の者が街中の飯屋に一人で歩いてきて飯をのんきに食したら合併症で死亡した。

 出来の悪いホラー話かよ。

 なるほど鈴鳴が言い淀むわけだ、普通なら誤診を疑う。

「何か嬉しそうな顔ね」

「不謹慎かもしれませんが、こうも自分に都合の良い結果が出るとは思ってなかったので」

 知らない他人の死因に心を痛める俺じゃないというか、普通の人間がそうだろ。空気を読んで顔に出すか出さないかだけのこと。

「ほんと真っ先にウチに持ってくるなんていい判断だったわ。

 普通なら信じられない結果、でも診断結果は正しい。

 私達はこんな不条理な事態を簡単に説明できる言葉がある」

「魔ですね」

「ほんと便利よね。世の医者も診断書に魔の所為って書ければどれだけ楽か」

 平安時代くらいならそれで通ったかもな。

「魔と断言出来るのも、鈴鳴さんの正しい診断合ってこそですよ」

 魔とは合理を突き詰めていった結果であって、思考放棄の言葉じゃない。

「あら、いつの間にかお世辞も言えるようになったのかしら」

「この調子で時雨も口説き落とせるくらいまで成長したいものですね」

 そもそもその為に俺はこんな事をしている。生活費を稼ぐ為なら退魔官ほど割に合わない商売はそうそうないだろ。社会への奉仕精神無くして勤まらない。

 研究室に籠もって研究していた方がどれだけ幸せか。

「期待しているわ。

 それでどうするの?

 五津府さんには魔で説明出来て予算と人員を割いてくれるでしょうけど、一般の警察官には何て説明するの?」

「それが頭痛い。遅くても今日の昼までには捏造したいですが何かいいアイデアありませんか?」

 本当のことは説明出来ないのでそれっぽく捏造して納得して貰う。真実から遠ざかる屁理屈ストーリーをこね上げるのは合理主義の俺にとっては苦だ。

「時雨ちゃんを口説き落とすよりは簡単でしょ、がんばんなさい」

 確かに惚れた女の好意を引き出す言葉を考えるよりかは楽だが比べるものでも無いだろう。

「そこは人生の先輩としてアドバイスしてくれるもんじゃ無いんですか」

「ええ頑張って成長して欲しいから甘やかさないのよ」

「手厳しい。

 それじゃまずは如月さんと五津府さんに報告してきますので診断書のコピー下さい。物語は本庁に向かいながら考えます」

「弥生さんによろしくね」

 これで警察を使う目処は立ったが、スタートラインに立ったに過ぎない。捜査して推理して旋律士を雇って魔の退治と本番はこれからだ。


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