第311話 幕は上がった
五津府の了承は取れた。
意外なほど簡単に許可は下りた。
『君を信じています』からの一言だった。
これも俺が積み上げた信頼と実績なのだろうか。明日にも近隣の所轄署から数名づつ引き抜いてこちらに応援として送る段取りは五津府がしてくれるらしい。
そういった俺には出来ない政治的仕事のサポートを抜かりなくしてくれるのはありがたいが、『ここまで大事にした事件の幕引きに期待してます』と上として釘を刺すことも忘れない、やはり人がいい好々爺じゃ無い政治の世界で生きる化け貍。
失敗すれば悪の組織の幹部の如く粛正はされない、ただ単に失態分を補う責任を背負わされていく。退魔官はなり手がいない人材、失敗すればするほど足抜けが許されなくなっていく。まあ労働刑みたいなもので量刑が積み重ねれば路傍の屍になるまで使い潰される。そんな未来はご免だね。この業界ほどほどの所で引退するのが合理的。
まあ失敗しなければいいだけのことと俺は俺が描く未来を胸に約束の時間なので所轄署に戻った。会議室には捜査に出ていた刑事達が半分ほど戻っている。
元辻はいないようだな。
「果無警部、途中で店を出た男の足取りが分かりました。
果無警部の似顔絵出来がいいですね。商店街の監視カメラの映像を調べたら特徴が似た男が直ぐ見つかりましたよ」
杉本が近寄ってきて報告してくる。
さり気なく俺をよいしょする当たりやはり中央へのコネが欲しいだろうか? 何なら退魔官の後任として五津府に推薦してもいい。
「それは良かった。それで身元は分かったのか?」
今はカメラの目がそこらにある。映像が残されたくなければ知恵と工夫が必要になる時代だ、時間さえあればそこまでは誰にでも到達できる。大事なのはそこから先、この杉本の真価はここからといってもいい。もし俺の指示通りに映像を調べて終わっていたら、杉本はそこまでの男、扱い安い道具と評価が下る。
「勿論」
杉本は俺の目を見てニヤリと自信ありげに笑って言う。
「足取りから立ち寄ったと思われる店に聞き込みしましたら分かりました。
名前は田浜 浩一、乾物を取り扱う食品会社の営業で売り込みに来ていたようですね。名刺まで残っていましたので楽勝でした」
「そうか。それで田浜に事情聴取はしたのか?」
「それが田浜は行方不明です」
自信ありげだった杉本の顔が少し曇った。
「警察が迫っているのを察知して逃げたのか?」
「いえ、そういうわけでは無いようです。会社に尋ねたところ昨日から連絡が取れなくなっているようです」
俺にそんなつもりは無かったのだが、杉本は慌てて自分の失態でないとばかりに報告してくる。俺はただ単に田浜が警察から逃げ出す悪党だったらスケープゴートに丁度いいと思っただけなんだが、まあ誤解されるのはいつものことか。
「自宅は?」
「はい。尋ねたのですが留守でした。どうも昨日から帰ってきてないようです」
「そうか」
つまり田浜はあの店で出東の傘を失敬したまま失踪してしまった訳か。
傘を盗んだ罪の意識で失踪。
・・・、そんな奴が傘を盗むわけが無いか。
「果無警部一体これは何の事件なのですか?
教えて貰えないでしょうか?」
何かを感じ取った杉本は俺に嘆願するように言うが、そんなこと俺が教えて欲しいくらいだ。
だがここにいる刑事達は俺が何か隠していると疑っている。杉本の背中越しに聞き耳を立てているのが伝わる。
疑っているのは期待の裏返しでもある。
ここは此奴等の勘違いをそのままにした方がハッタリも効果的になる。
良し俺はここでは秘密を匂わす謎の捜査官でいこう。
「慌てるな。明日、事情を話そう」
もったい付けた感じ言うことで俺の神秘性が増す。
「それで出東の方の足取りはどうなってます?」
「そちらは元辻さんの班が追っていますが、今のところ有力な手掛かりは無いようです」
俺に啖呵切った手前、手ぶらじゃ戻りづらいか。
「そうか、まあ日も経っているし簡単じゃ無いだろう。だが田浜の方は昨日の事で新鮮だ。引き続き田浜の足取りを追ってください」
「分かりました」
刑事達は会議室を飛び出していく。
さて俺もどこかのカフェで今の会話で得た着想から劇の構想を練っておくか。
次の日、所轄署の大会議室には50名ほどの刑事が集まっていた。近くの署から五津府が掻き集めて送ってくれた人員だ。その気になれば100名近く揃える捜査本部も立ち上げることも出来たようだが、今回は俺の方から目立たないようにと頼んだのでこの人数になった。
あの人はこういう政治的なことは現場の期待通りにしてくれる、それだけに上の期待に応えられなかったときが怖い。
「皆さん良く集まってくれました。
私はこの事件の総指揮をする果無警部です」
俺は集まった捜査員の前に立って堂々と挨拶をすれば、俺の挨拶に一斉に鎮まるどころか会議室はざわめき出す。
『あんな若造が!?』
『下手すれば俺の息子ぐらいだぞ』
『あの歳で警部、キャリアのエリートか? だがキャリアのエリートが何で現場に?』
元辻の如く集められたベテラン刑事達には反発と反感が伝染、比較的若い刑事達はまだ年が近いだけ合って様子見。
政治的お膳立ては五津府の仕事で見事果たしてくれた。
現場の人員の掌握は俺の仕事。
理系の研究肌の俺には辛い仕事だ。こういうのは人を屈服させることに快感を覚える体育会系の方が合っているというのにな。
ふう。一呼吸後、俺は練りに練ったストーリーを語り出した。
「これから皆さんに話す事件はその重大性から隠密捜査になりマスコミ等には一切発表はしません。
この先を聞いた以上皆さんには守秘義務が生じます。口が軽いと自覚があるのならこの会議室から今のうちに退室することをお勧めします」
やる気が無いなら出て行けと先生に言われて出ていく生徒がいないように、警察において上司にこう言われて出ていく者がいたら、それは警察での日陰街道を進むことを覚悟した者。
あ~やだやだ村社会の同調圧力。
「誰もいないようですね」
「いるわけねえだろっ、もったい付けずにさっさと言えよ。その程度の脅しにびびる俺達じゃねえぞ」
一同を見渡す俺に元辻からヤジが飛ぶ。
これで現場の刑事対エリート官僚の構図が醸し出されていく。
まっ反発心でも成果を出してくれればいいんだけどね。別にむさいおっさん達に好かれたいわけじゃ無い。
「皆さんに捜査して貰うのは人身売買組織です」
俺の普段聞き慣れない不穏なワードに会議室は先程と比較にならないほどにざわめく。
「これが人身売買組織によりここ一ヶ月の間に誘拐されたと思われる人達です」
そのざわめきを断ち切る如くパチンっと演出で指を鳴らせば、仕掛けが反応して会議室のスクリーンに数名の写真がばっと写しだされた。
これはここ綿柴や出東と同じく曇りのち雨の日に行方不明になった人達を俺がピックアップしたものだ。
この条件で本当に合っているのかは完全に賭だが中途半端なハッタリは身を滅ぼす、やるからには真実も嘘も覆い隠す大風呂敷を広げる。
「おいおい、本当かよ」
「そんな組織聞いたことも無いぞ」
呑んだ。
先程までのエリート官僚に対する刑事達の反抗心が消えた。
「くれぐれもマスコミにリークしないように、察知されれば組織は直ぐに地下に戻ってしまい、また一からの追跡になります。
折角掴んだ組織の尻尾ここで離すわけにはいかないのです」
「しかしその組織は何だって一般市民を誘拐するんだ? 別に身代金を請求している訳じゃ無いんだろ」
元辻が尤もな質問をしてくるが、それは当然想定内。
「そんな危険なこと頭のいい奴ならしませんよ。
人そのものが宝の山なのです。角膜心臓内臓肺肝臓。何なら皮だってその道の愛好者になら高く売れます。それにわざわざ解体しなくても女なら別の使い道も色々ありますし。男でも肉体奴隷として。未だ人で無ければ出来ない危険な仕事は多くありますからね。例えば放射能が飛び交うところとか」
ごくっと俺に呑まれ刑事達が生唾を飲む音が聞こえた。
「そういったニーズがあるところに人そのものを売るのがこの組織のビジネスです。
いいですかこの組織は特に人を選びません。ニーズがあれば誘拐する機会があれば誘拐します。
明日はあなた達の愛する人が行方不明になるかも知れないんですよ」
最後の一文だけは本当で、この魔を放っておけば次々と人が消えていくことになる。
俺が最後の一文を言った後会議室を見渡せば、刑事達の目には力が漲っていた。
ふっ何だかんだでこの人達も正義に憧れた刑事なんだな。
「現状出東が組織とどんな関係があるのか不明ですが、彼が出歩いたことから組織が失態を犯したことは確実です。
今こそ攻勢の時、ですので今まで一人で追っていた組織ですが情報漏洩のリスクを冒しても人を集めました。
この行方不明になった人達の足取りを追えば必ず組織に行き着きます。
私のためとは言いません。皆さん愛する人を守るため尽力を尽くして下さい」
こうして脚本演出俺の舞台の幕は上がった。
後は舞台の上で踊りきるだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます