第304話 ブラック企業

 外は降るんだか降らないんだがどっちつかずの曇天だが俺は部屋の中デスクについて真面目に働いていた。

 合理的判断すれば追い詰められてからスパートを掛けるよりは普段からコツコツ処理しておいた方が結果的には楽。

 心が壊れていようが合理的理由があるならするのが俺、八咫鏡の事務所で経費などの様々な書類業務を処理している。

 めんどくさいが会社を設立してしまった以上やらなければ税務署が五月蠅い、こればかりは退魔官の特権を持ってしてもどうにもならない。金があれば経理を雇いたいところだが、社長である俺に会社を継続的に発展させていこうという気はない。

 いつでも夜逃げをする心構えの人間が人を雇うのは無責任というものだ。

 仕方なく簿記の入門書を片手に書類業務を続け、ふと疲れたなと顔を上げるとデスクの横に賀田がいた。

 ホラーのように微笑む賀田がいた。

 この俺が叫び声を一瞬上げそうになった。

 アポ無しで来るような奴など追い返したいところだが、追い返す間すら無かった。それでも人生に遅いということは無いと追い返そうとしたところで、賀田が連れて来たのであろう見知らぬ婦人がいるのに気付いた。

 こうなっては無碍な対応は出来ない。

 この婦人は誰だろう?

 迂闊に軽々しく扱えばどんなしっぺ返しが来るか分からない。実はやり手の女社長かも知れないし高級官僚かも知れない。ただでさえ今の時代何処で悪評が広まるか分からない時代、迂闊さは炎上を招く。

 八咫鏡の業務内容は怪しく継続させる気が無いとはいえ、無理に波風立てる気もない。ある内は表向き健全な会社として隠れ蓑として有効活用する。そうでなければここで書類業務をしている俺の努力が無駄になる。

 ここでは何だということで応接間で対応することになった。

 俺の正面に婦人、その横に賀田が座る。お茶は俺が用意して話を聞くと、行方不明になった婦人の旦那を探し出して欲しいという依頼だった。

「まずは警察に行くことをお勧めします」

 依頼料を毟り取ろうとしないで現実的かつ費用の掛からない方法を提案するなんて俺は誠実すぎるかもしれない。

 なのに賀田が非難する表情で俺に食ってかかってくる。

「行ったけど全然相手にされなくて、探偵にまで依頼したけど手掛かりが全く掴めなかったそうよ。

 それで最後の望みを掛けて私の所に来たってわけ」

「ならカリスマ占い師の力で見付けてやれよ」

 俺を非難するがお前だって依頼人の横流しで人のことが言えるか。

「だから私の占いであなたの所に行けと出たのよ」

 賀田は一切悪びれることの無く胸を張って言う。

「そういうのを丸投げって言うんだ。そんな占いでいいなら俺でもカリスマ占い師になれるぜ」

「何よ、あなただって私の占いの力は知っているでしょ」

 賀田は魔人である。

 賀田の占いはオカルト的な啓示では無く賀田は本人すら意識してない情報から本人が意識しない超感覚計算の結果である。

 つまり理論的な推測なのである。

 それが俺の所に行けと言うのなら何かしら根拠があるのかもしれないが、今のところはさっぱり思い当たらない分からない。

 ちらっと依頼人の女性を見るとまだ三十代前半だろうに、旦那が心配なのか頬が瘦けて目の下に隈も出来ている。

 正直占いに頼るまで追い詰められたことは同情に値するが、街の興信所で見つけ出せないものを俺達で見つけられるとは思えない。

 こう言っては何だが真っ当な業務なら普通の興信所の方が上だ。こちとら一人は学生兼退魔官兼社長の半端者と専属社員が二人の零細企業、頭数もいなければ人捜しのノウハウもない。よーいどんで中堅以上の興信所と勝負したら絶対に負ける。この会社が勝てるとすれば魔関連の事件で警察機構の力を使う裏技前提のときのみ。

 現状警察を動かせる根拠は何も無い。

 ならば任せられるところは任せるべきで、それが適材適所のリソースの有効活用というものだ。

「奥さん、この女から何も聞いてないでしょうから最初に言っておきます」

「はい」

 奥さんこと綿柴 悦子は力なく返事する。

 ただの行方不明事件、ただの一般人の女性、以上から敢えて意地悪をする必要は無い。同情することなくドライに合理的に対応するだけで向こうの方から依頼を取り消すだろう。

「もう探偵に頼んだようですから相場は知っているでしょうけど、調査費用だけで弊社は相場の10倍、プラス必要経費と成功報酬として500万は最低頂きます」

 暴利のようだが八咫鏡が請け負う仕事は魔関連の依頼で命が懸かっている、普通にこれのくらいは請求する。

 それは普通の人捜しでも同じ人材を使う以上変わらない、スポーツカーをレンタルして法定スピード以上を出さないからといって料金は変わらないのと同じ。スペックを使い切るかはどうかは別ということだ。そして可哀想な奥さんだからとか料金を下げもしない、人道主義者が好きな平等という奴だ。

「ちょっと、幾ら何でもぼりすぎじゃ無い」

 この女だってカリスマ占い師として高額の料金をふんだくっているくせに良く言うぜ。

「これはビジネスで弊社の規程の料金を説明しているだけです。文句があるならお前が料金を出したらどうだ?」

「そう、ビジネスに同情はない。ビジネスだから引き受けて欲しければ提示した金を出せということね」

「そうだ」

 俺は反射的に返事をしてしまった。

「予想通りの答えね。ある意味期待を裏切らないわ」

 ん? 賀田は怒るでも呆れるでも無い、何処か得意気でしてやったりの雰囲気を醸し出している。

 背中に嫌な汗が流れる。

「どうします? ここまでは事前に説明したどうり、料金を払えば仕事を引き受けるそうよ」

 ここで俺はとんでもない読み違いをしたことに気付いた。

 悪い男を手玉に取ってきた賀田はある意味俺以上に合理的で手練れで擦れている。

 ある意味俺を知る女が俺が同情することを期待して話を持ってくるか?

「お支払いします」

「えっ!」

 この金額で断らないとは、賀田の客だけあって資産家だったか。

 俺は通常料金で無くボッたくり料金を提示するべきだったのか、下手に規則拘った俺の失態、いやそもそもこの女を甘く見て資金力を見定めなかった俺の傲りなのか。

「いや、旦那さんのことが心配なのは分かりますが・・・」

 何とか冷静にさせて、こんな大金を使うのを思い止まらせないと。

 現状八咫鏡は嬉しい悲鳴のオーバーワーク、これ以上社員を酷使するのも自分を酷使するのも願い下げたい。

「私が夫を心配しているですって、巫山戯たことを言わないで!!」

「えっ!?」

 冷静にさせようとしたのに、何がトリガーだったのか悦子は今まで資産家の婦人のように物静かだったのが嘘だったように般若のような顔で激昂し机を叩いた。

 俺のような人間が軽率に心配と言ったのがいけなかったのか?

「私はあんな男大嫌いなのよ」

「だったらなおのことそんな大金を掛けなくても」

 矛盾だ、合理的じゃ無い、感情的すぎて俺では理解出来ない。

「私は離婚をするつもりだったの、その為の準備を進めてきたのよ」

 バンッバンッと感情を吐き出すように机を叩き湯飲みが倒れそう、そもそも机が壊れそうだ。

 今度買うときは丈夫なのにしようと途方くれている俺が横目で見れば、いつの間にかお茶を手に取っていた賀田は傍観者の態でお茶を啜っている。

「生死不明の状態じゃ離婚できないのよっ。

 生きているか死んでいるかハッキリさせてさっさと離婚して縁を切りたいのよっ!!!」

「失礼ですが、そんな大金持っているのですか?」

 怒りは理解出来た。

 法外な料金が気にならない資産家じゃ無い、法外な料金が些細と思えるほどの怒りだった。

「離婚が成立したときの慰謝料でお支払いします」

「この人の資産状況は調べたわ。都内に土地付きの自宅を持っているし、離婚は旦那さんの過失で慰謝料はたっぷり貰えそうよ」

 賀田め。

 そうだよなこの雌狐が調べていないわけが無く、俺が誤解するようにしおらしくするように指導したのもこの女だな。

 法外な料金をちらつかせて断らせようとした手前今更受けないとは言いにくい。

 だが俺もこのまま引き下がれない、下がったら部下達の冷たい視線に晒される。

「支払いに問題が無いことは分かりましたが、離婚の理由は何ですか?

 こちらとしてもそこまでして別れたい理由を知らないと納得できません」

「理由?」

「はい。一度は夫婦になった二人じゃ無いですか」

「はんっ、あなた若いわね。

 だから知らないのよ、男女が、他人と暮らすということが」

「すいません、なにぶん女性にはもてないので(友達も少ないが)」

「色々あるのよ。

 恋人の時には頼もしいと思えたことも一緒になれば裏返る。

 彼は確かに資産家で仕事も出来るわ。でもね、あの身勝手さ。付いていけないの。あんなのと一緒にいたら私の人生絞りカスになるわ。だからまだやり直しが出来る内に別れたいの、幸い子供もいないし」

「人生リスタートは素晴らしいですが、だったら尚のことお金は大事なのでは? もう少し待っていれば自然と別れられるかも知れませんし」

 バンッと机にヒビが入りそうな音が響いた。

「時間は待ってくれないのよ。今はまだいいけど数年後には男が振り向きもしなくなるわ。私にとっては今は時間が一番大事なの。

 それにあの人が残したものなんか綺麗さっぱり処分したいわ」

 怖い、怖すぎる。ある意味魔人やユガミより怖い。

 この人だって最初からこうだったわけじゃ無いだろうに、今は可愛い時雨も俺次第ではこうなってしまうのか?

 想像しただけで、全身に鳥肌が立つほど身震いした。

「理由も納得しました」

 理由に納得と言うよりこの人のオーラに圧倒された。

「料金も問題ないとなれば、引き受けましょう。

 あなたの人生再スタートにご協力します」

 ええいやけくそだ。

 俺は立ち上がって笑顔で悦子と握手をするのであった。

 クソッこれでまた休み無しだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る