第303話 傘は天下も回り物

 ぽつぽつ

 日が沈むと共に今にも落ちそうな曇天の空模様に変わっていったが、とうとう堪えきれず雨粒が落ち始める。

 最初こそ堪えていたが降り出せば水を溜めたシーツが裂けたように一気に激しい雨になり、建物やアスファルトに叩きつけられる。


「あ~あ、振ってきちゃったか」

「そうだな」

 飲み屋の暖簾を潜って外に出てきた中年男性の酔客二人。軒下から空を見てほんのり赤く出来上がって楽しげな顔から溜息が零れ落ちる。

「全く天気予報も当てにならない、傘用意してなかったよ。

 綿柴は傘持ってきたか?」

 酔客の一人がアスファルトで跳ねてスーツのズボンに跳ね上がってくる水飛沫を払いながら言う。

「俺もない」

 そもそも天気予報すら見ていない。見なくても何とかなるからな。

「止むまで呑むのもいいが止みそうも無いし、駅までの距離でタクシーを呼ぶのもな~。

 ええい、覚悟を決めた。走って駅に行くか。

 綿柴はどうする?」

 学生時代の友人と久しぶりに呑んだが相変わらずせわしない奴だ。

 俺は慌てずチラッと横を見る。

 此奴はこれに気付いてないのだろうか?

 さり気なくこれを友人から目から隠す。

「俺はもう少し様子を見る」

「そうか、また呑もうな」

 そう言うが早いか旧友は駅に走って行き、その背中が人混みに紛れて消えるまで先程の言葉通り様子を見る。

 そして完全にいなくなってから横を見る。

 飲み屋の入口の脇には傘立てがあり、降り出してから店に入った客の傘が一本刺さっているのが見える。

「傘は天下の回り物」

 俺は遠慮無く傘を引き抜いた。

 これに気付かないとは愚かな奴だ。もし彼奴もこれを見付けていたら今頃一本しか無い傘の取り合いだったろうな。

 男二人で相合い傘何て冗談じゃない。そんなことしたら俺の折角のスーツが濡れてしまうしな。

 傘を広げてみる。

 うむ、破れてないし綺麗で問題ない。

 破れている傘なんて使いたくないからな。

「そうだ」

 俺の家はここから数駅離れたところ、駅から家まで雨の中傘を差して歩くのも鬱陶しいしタクシーをわざわざ使うのも勿体ない。

 迎えに来させるか。

 スマフォを取り出すともう直ぐ帰るから駅まで車で迎えに来いと妻にメールをしておく。

 流石俺手配も抜かりなし。

 気分良く俺は傘を差して繁華街を歩き出した。


 傘を手に入れることが出来ない愚か者共が小走りに駅に向かう中俺は悠々と歩いて濡れること無く駅に着く。

 駅に入ると、まずは丁寧に傘に付着した水を払う、幾ら傘が濡れる物でも濡れたままだと気持ち悪いからな。

 十分に水を払うと、傘を閉じこまを丁寧に畳んでバンドで締める。

 ぽたぽたと傘の石突きから水を垂らすようなみっともない真似をすること無く電車に乗り込む。

 最初こそ人が多く温度と湿度が高かくむわっとしたが、駅を通過していく度にだんだんと減っていき。都内を離れ家々より山々の方が窓からの風景を占めるようになる頃にはガラガラになっていた。

 そして駅名すら忘れ去れているような無人駅に電車は停車する。

 こんな駅で降りる酔狂な者は一人だけのようで、俺が降りると同時に電車は直ぐさまドアを閉めて発車しホームに一人取り残された。

 電車が遠くに過ぎ去れば、都会と違い音は木々に雨粒が当たる音だけになる。

 静かになってポケットが鳴っているのに気付いた。

 ポケットからスマフォを取り出すと同じ人間からの無数の着信といつ帰ってくるのとメールがあった。

 今帰るさ。

 スマフォを投げ捨て駅舎から出るとまだ雨は降っていたので傘を差し歩き出す。

 街灯すら無いような山道を一人歩いて家路に着く。

 舗装されてない細道。

 泥道に足を滑らせれば木々生い茂る斜面に滑落してしまう、運悪く木々にぶつかって傘の骨が折れたら一大事にだ、気を付けないと。

 誰一人すれ違うことの無い山道を登っていけばやがて我が家が見えてきた。

 燈も付いていない家だが、やはりほっとする。

 庇の下に入り傘の水をさっと払い、戸を開けて土間に入るとここで丁寧に水気を取る。下手に残すと骨が錆び付くから手は抜けない。

 いい加減払うだけの水気が無くなったところで部屋を暖めるために囲炉裏に火を入れる。

 ばっと火は付き家の中が明るくなる。

 戸を開けると土間がありそのまま部屋になっているような時代劇にでもでてきそうな古い造りの家。

 土壁に裸の人間の雄雌が三人ほど掛かっているだけの何も無いような家だが、我が家だ。

 よく乾くように傘を広げ土間に干す。

 これで一息付いてしまいたいが、ものぐさはいけない。

 手入れは大事、手入れ次第で長く使える。

 まずは服を脱ぐと、良く水を払って部屋の上に通してある棒に掛けて干す。

 素っ裸になったら土壁の方に歩いて行く。

 土壁にはフックがあり、口を大きく開けるとフックを銜え込んでぶら下がったところで放置した。

 これで囲炉裏の火で暖められ、風邪を引くこと無く長持ちする。

 さて、今日はもう終わった。

 明日はどの人間で出掛けようかな?

 今日は久しぶりに新しい人間が手に入ったし、暫くこの新しい人間を使ってもいいかもしれない。

 はあ~こまが乾いていくのが気持ちいい。

 今日はもうゆっくり休もう。

 明日が楽しみだ。


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