第300話 おじ様からのラブコール

 見守ってくれている時雨の視線を背中で感じ悪意の滴が垂れ墜ちる。

 一歩

 一歩

 ぴちゃぴちゃ足音を立てつつも慎重に階段を降りていく。

 身を潜める障害も無く無防備を晒しつつ、いつ廊下の角から敵が飛び出してくるか警戒していたが、まずは何事も無く下まで着いた。

 地下フロアはいい具合に赤い水が浸透し行き渡っている。これで悪意に呑まれていてくれれば楽だなと迂闊に通路に出た瞬間に撃たれたらマヌケ過ぎるな。

 俺は鏡を通路に出して先を見れば、黒田がいた。黒田は両足で赤い水の上に立っていながら悪意に犯されること無く俺を待ち構えている。

 実戦を知らない事務屋だと侮っていたが意外と根性があるようだ。認識を改めないと足下を掬われるな。

 黒田に赤い水は効かない、だが銃がある。

 通路に飛び出すと同時に距離を詰めつつ発砲、先制で当たればこの事件も終わり、外して反撃されれば俺の人生が終わり。どちらにしろしらけるほどあっけないが、現実を司る演出家は物語のように無理に盛り上げはしない。

「果無君か、まずは話をしないか?」

 飛び出そうとする気勢を削がれ話し掛けられた。

 ちっ迂闊にも鏡を見られたか、それともセンサーでもあるのか、見つからないように様子を伺っていたのが馬鹿みたいじゃないか。

 今度は大胆に鏡を使って確認すると通路上にはやはり黒田しか見えない。鏡をぐるぐるまわしても黒田しか確認できない。

 俺にとっては黒田が本命なのでいいが、何処に隠れている?

 タイミングを見て黒田の援護をするつもりなのか、万が一にも無いように最後まで後ろに下がっているつもりなのか。

 このまま睨み合っていては時間だけが浪費していく、それに奇襲は完全に失敗したんだ無理に急ぐ必要は無くなった。

 最初で最後、悪意の真骨頂セウの技を試させて貰うか。

 話し合いをすると決めた以上俺はまず銃を仕舞い、そして文明の利器のスイッチも入れておく。

 両手を挙げて廊下に姿を晒した。

「黒田か会いたかったぜ」

 俺の姿を認めると黒田もまた銃を仕舞った。

「思ったより早かったな。俺の想定以上に優秀だったようだ」

 追い詰めたのは俺、狩人は俺と余裕の態度で話し掛ければ、黒田も負けじと上から目線で俺を評価してくる。

 男二人、二人の鏡像が映り込む穏やかな赤い水の上に立って静かな対峙が始まる。

「乃払膜はその向こうの部屋か」

 真っ直ぐ進んだ廊下の先にドアが見える。

「乃払膜様と言え」

「ちっお前自ら乃払膜の愛の虜になったな」

 悪意を気にしないほどの深く洗脳されていただけとは、見直して損した。

「乃払膜様が俺の計画に同意してくださったことに対する忠誠の証だ」

 洗脳された者とは思えない強い意思を感じる。洗脳されたでなく洗脳させた。望んで愛を受けることで己の意思を強化したのか?

 それはそれは、聞けば美談だがここが悪意の上だと忘れて無いかな。

 平気なようでも悪意はじわじわくるぜ。

「選挙に立候補して日本を牛耳る計画か? そんなことで本当に世界を救済できるのか、身内にすら疑われていたぞ」

 日本征服という計画なら納得するが、世界の救済と言われると疑問符が付く計画。

 殻や秋津は訝しんでいたが、共産主義の欠陥を克服できる新たなる世界システムでも発明したというなら納得できる。そしてもしあるなら本を出すことをお勧めする。意外と弱者層が啓蒙されて世界革命が起きるかも知れないぞ。

「そんなもの計画の第一段階に過ぎない」

「ほう」

 やはりあるのか新世界システム、少し胸が高鳴る。

「日本の権力を掌握後、真の計画は発動する。

 それは世界救済委員会で見付けた聖者候補達に乃払膜様の愛のコーティングをすることだ」

「日本を愛で包むとか言うなよ」

 世界は愛に包まれて平和になりました。なるわけない今以上の地獄になるだけだ。

「彼等はそのたぐいまれなる思想と資質の種を持っている、故に聖者候補。だがほとんどの者は萌芽することなく無く俗世で燻り続け腐っていく。

 なぜだっ。素晴らしい思想と資質を持っていても他人を動かせるほどの力を得ることはそれこそ奇蹟だからだ。

 だがそんな彼等に自分の意思を押し通せる力が与えられたらどうなると思う?」

 どうなるんだろうな。

 そもそも彼等は聖者候補であって聖者じゃ無い。下手すれば独りよがりの正義が横行する混迷の時代になる。

 ポリコレ、ヴィーガン、フェミニスト、環境保護団体、その思想は素晴らしいが周りの無理解などで暴走して正論の暴力になっていく例は腐るほどある。

 他人を動かせないのはそれだけ彼等がまだ未熟だからだ。

「ただでさえ愛の強い彼等の愛を強めるのだ、抗えるはずが無い。

 春秋戦国時代の諸子百家の如く新しい思想が発芽し入り乱れ人々は争い淘汰され目覚めていく、変わる世界は改革されるぞ」

 蠱毒かよ。

 だが確かに世界の変革期には人々は狂乱に酔い痴れ思想を戦わせ、血に酔った。

 今を平和に生きている連中にとってはいい迷惑だな。

 人類史に残る救世主に匹敵する者を生み出す為に日本という国一つを潰すか、スケールが違うな。そして確かにそんな計画国を掌握してからで無ければ実行できない。普通ある一定ラインを越えたら国が鎮圧に動くからな。

 確かに筋が通っている、計画に嘘は無いようだな。

「どうだ、お前は俺が思って以上に有能なようだ。今なら仲間に入れてやるぞ。

 世界を変革し苦しみの無い世界を築こうでは無いか」

「苦しみの無い世界ね。

 大望はいいが、その計画を実行するには多くの聖者候補がいるぞ」

 セウほどの強い意思と世界をいい方向に変えたいと思う高い志を持った人がそこらに転がっているか?いるわけない。そもそもセウクラスの人がごろごろいたらとっくに世界は変わっているだろ。

「世界救済委員会の日本支部は計画の実行に必要な数の聖者候補を見出している」

 セウほどの人間を探し出すのは相当苦労しただろうな。

 強い意思を持っている奴なら結構いる。

 世界をいい方向に変えたいと思う高い志を持っている奴はそこそこいる。

 その両方を持っている人間など滅多に無く、更に周りを変えるほどのカリスマを持っている奴など奇蹟に等しい。

 まあ黒田の計画だと最後のカリスマだけは魔の力で与えるようだから、日本一億人の中からなら100~1000人くらいなら現実的に見いだせないことはないか。そして思想が入り乱れるにしてもそのくらいの数が妥当か。

 十分現実な計画。

「そのリスト、素直に見せて貰えるのか?」

「何が言いたい」

「何どうにも下とのちぐはぐさにトップにちゃんと話は通っているのか人ごとながら心配になっただけさ」

 秋津や殻は間違いなく真の計画とやらを知らされていない。

 世界を救えるとなれば国一つの犠牲など承認するのが世界救済委員会という組織なのだろうが、悪の組織じゃ無いんだ無意味に国を潰すようなこともしない。

 どこかの悪の大王よろしく武力で世界征服を目指すので無く、慎重に影に隠れて聖者を生み出そうなんて悠長に行動していた組織が、折角見付けた聖者候補だけで無く一億もの人々を潰してしまうような計画を承認するか? 一億潰して絶対に聖者が生まれる確信が無ければ承認しないだろう。

 だがどうにも真の計画発動まではいいが、その後は成り行き任せの計画に見えてしまうというか、実際そうだろう。

 これは我慢が出来なくなった者に閃く名案という名の破滅の罠。

「乃払膜様の力を借りれば造作も無いこと」

「なるほどね。

 だが次はもっと問題だぞ。それだけの聖者候補にヒューマンコーティングするには、一体どれだけの人材がいるんだ? ヒューマンコーティングに使える人材は一般人じゃしょうが無いんだろ。悪意が強いとか怒りに燃えているとか尖った人材がいるはず。聖者候補全てを補えるだけの人材を集められるのか?」

 一億の犠牲を省みないから奴だから何万の犠牲が出ようが問題ないんだろうが、質は問題になるはず。乃払膜の眼鏡に適う人間をそんなに集められるのか。

「その為の国家権力だろうが、日本中を探す。それで揃わなければ海外から購入すればいいだけのこと。世界の闇は深い、金さえ出せば容易に揃えられる」

「いやはや参ったね。本当に真の計画の発動までは完璧なんだな」

「当たり前だ、俺を誰だと思っている黒田だぞ」

 ただの官僚をやっていればトップまでいけただろうに、何をトチ狂ったんだかな。

「新世界が来ようともユガミは生まれ続ける。人の争いが無くなっても退魔機関は必要とされる。俺はお前を買っている、仲間になれば新世界における退魔機関のトップにしてやるぞ」

「俺を殺そうとしておいて今更だぜ」

「それは部下の暴走だ。俺はお前を拘束しておくだけでいいと命令していた」

「はっお粗末だな。完璧な黒田さんが部下の統制が取れないなんてことがあるんですか?」

「俺が完璧でも限界はある。秘密裏に計画を進める身で志が高く優秀な人材を必要数確保するのは困難なんだよ。どうしても金で転ぶような輩を使わざる得なくなる。

 そしてこれからはもっと人材が必要になる、来い果無。共に世界を変えよう」

 今まで貰ったことの無いような強烈なラブコールを受けるのであった。


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