第295話 怪物を倒すのは人間

 光熱費を気にしなくていい金持ちらしい二階建て別荘の吹き抜けになっているエントランスホール。玄関から入って客人を出迎えるホールは磨き抜かれた大理石、真っ直ぐ伸びる重体に沿って歩いて行けば二階へと続く階段があり、見上げれば壮麗な装飾が施された天井。

 塵一つ無いほどに掃除された内野ほどの広さがあるホールには数名の美男美女のメイドやボーイが集まってスコールのように前触れ無く振ってきた悪夢に狼狽えていた。

「一体何が起きたの?」

「外にいる人達はみんな倒れてもがき苦しんでいるわ」

 窓から庭を見ているメイドが恐怖に顔を引き攣らせながら言う。

「毒ガスでも使われたのか?」

 ほんの数分前まで来客を迎えつつがなく対応していた。来客を応接間に案内し、最高級のお茶を出す一連の動作を映画のワンシーンのように優雅にこなしていた。後は主人と来客の話が纏まった際の晩餐会の準備をどうしようかと仕事の段取りを考えていたときに、飛び降り死体が潰れたような音が上から響いた。

 気味の悪い音に何だろうと思っている内に、庭で仕事をしていた仲間達が魘されだし倒れていく。そんな光景を目の当たりにすれば素人の集まりだったら確実にパニックを起こしている。それがこの程度の動揺で済んでいる当たり、ただのメイドやボーイじゃ無い。

「兎に角上の様子を見に行ってくる」

 ボーイの中一人格上の服に身を包んだ男が言う。ボーイを束ねる執事なのだろう、オールバックに決めた壮年の男で責任を背負った渋みがある。

「気を付けて田辺さん」

「任せておけ」

 心配げに声を掛ける三つ編みを束ねどこか素朴さが残るメイドに執事は懐から銃を抜き修羅場を潜り抜けてきた自信の笑顔で応える。その手慣れた銃の抜き方や様になる構えから素人じゃ無い、それなりの実戦を潜ってきたのが覗える。その姿に他のメイドやボーイ達も安心して落ち着きを取り戻した。

 田辺はエントランスから二階に伸びる階段を銃を構え用心深く登り出す。

 一歩一歩滑るような足裁きで上っていき足音はしない、それを階下に残る者達が見守っている。

 生唾を呑み込む音すら響き木霊する静寂。

 全員の視線が頭上に集中する中、階段をすーーーーーーと赤い水が鮮やかに階段に沿って垂れてくる。

 上に集中している田辺は足下に流れてくる赤い水に気付かない、その足下に赤い水が地獄に引きずる手のように伸びていく。

「田辺さん、足下っ」

「ん?」

 メイドが叫びを上げ田辺が足下を見たときには赤い水は靴裏まで伸びていた。

「なんだ?」

 赤い水は田辺の靴に付いたと思ったら毛細管現象のように一気に田辺の体を呑み込むように昇っていく。

「なっなんだこれ、うごっ」

 一気に赤い水に呑まれた田辺は魘されもがきバランスを崩して階段を踏み外した。

 ズダンッバタンッ、あれほど無駄なく階段を登っていった姿が幻でもあったかのように田辺は無様にフロアまで転がり墜ちた。

「田辺さんっ」

 ピクピク痙攣している田辺に三つ編みのメイドが慌てて助けようと駆け寄っていく。

「駄目、よしなさい」

 仲間の制止の声も届かず墜ちた田辺に触れた三つ編みのメイドにも一気に赤い水が伝染していき彼女も呻き出した。

「ひいいいいいいいいいいいいっ」

「きゃああああああああああああああ」

「なんなんだよっ」

 それを見ていた他の使用人達が悲鳴を合唱する。

 田辺を伝って三つ編みのメイドを伝って赤い水は白亜のエントランスに広がっていく。

 それを見て外に逃げようにも外にいる使用人達も藻掻き苦しんでいる。追い詰められていく使用人達。

「紫陽姉さんどうしよう?」

「落ち着きなさい手鞠」

 二人は双子なのか同じ淡い髪色と顔が似ている。手鞠と呼ばれたショートカットのメイドがポニーテールのメイド柴陽に縋るように問う。

 二十代前半ながら他のメイドとは格の違うメイド服を纏う柴陽はメイド長なのか、田辺が倒れた今彼女が今一番上なのだろう。妹や仲間達の重圧に逃げ出すこと無く柴陽は落ち着いた声で指示を出す。

「みんな落ち着きなさい。急いで家具や服でバリケードを作って赤い水の侵入を防ぐのです」

「はい」

 美しいガラスのような柴陽の声で命令され動揺していた使用人達に落ち着きが戻った。

 希望を見出しやることを見出し動き出した者達、急いで家具を倒し出したり上着を脱いで隙間を埋めようとする。

 人間動いていれば恐怖も薄れ希望も湧いてくる。

 だがそんな幻想など打ち砕く音が耳に響く。

 べちゃん。

 べっとりとした水たまりの上を歩いたような音。

 べちゃっピチャッ。

「なっなにがいるの?」

 音は二階から響いてくる。

 触れたら呻き苦しみ出す赤い水を踏む音が響いてくる。

 あんな地獄で誰が動けるというのか? 誰もが恐怖と疑問に固まりただ二階を見上げる。

 ぴちゃん、べちゃ、ぴちゃん。

 近付く足音が響き渡り二階に全身から赤い水を噴き出す男の姿が全員の目に映り込んだ。

「きゃああああああああああああああああ、姉さん姉さん」

 悲鳴を上げて手鞠は柴陽に抱きつく。

 ちょろちょろと赤い水が階段から流れ落ち。

 その上を赤い水を生み出す男が一歩一歩降りて来る。

 それは地獄の使者にしか見えない。

「みんな落ち着きなさいっ。

 マスターの敵をこれ以上の侵入を許してはいけません。

 寧ろ姿を現して好都合です。全員武器を抜きなさい。あの化け物を倒せば助かります」

 柴陽のこの言葉に再度使用人達に希望が灯った。

 見えない恐怖より見える恐怖。見える恐怖なら戦える。

 化け物を倒すのは人間。

 そんな英雄伝記にありそうな言葉を思い出し彼等は武器を手に取り化け物に立ち向かおうとする勇者達。

「赤い水に触れないように気を付けなさい。合図します、一斉射で片付けましょう」

 彼等は手に持った銃口を化け物に狙い定める。合わせるように化け物も手を水平に掲げて柴陽を指差す。

「何をする気なの?」

 柴陽を指差したわけじゃ無い使用人全てが自分に向けられたと思い込む中、あっち向いてほいのように惑わし溜めて急に指で上を差した。釣られて全員が上を見てしまう。

「きゃああああああああああああ」

 真っ赤だった。

 床に気を取られている内に天井一面は赤い水に覆われていた。

 そしてぽたっと一滴墜ちてくる。

 次から次へと墜ちてくる。

 雨漏りのように振ってくる赤い水に打たれた使用人は呻き出し倒れる。中には器用に避け続けるものも入るが、指数関数的に増えていく赤い滴に避けられる隙間はドンドン無くなっていく。

 使用人達が次々と呻き倒れていくのが何よりの出迎えとばかりに悠々と化け物も降りていく。

「とてつもなく気持ち悪いよ柴陽姉さん」

「しっかりしなさい手鞠」

 自分も赤い水に打たれながら気丈にも心を保ち妹を励ます柴陽、どうやら精神力の格が他の者達とは違うらしい。

 己を省みないで他者を思う麗しき姉妹愛、そんなの茶番とばかりに一片の感動をすること無く化け物は近付いていく。

「しっかりするのよ。姉さんが化け物を倒してあげる」

 柴陽は妹を床にそっと寝かすと立ち上がった。

 フレアスカートを捲り、綺麗な足に括り付けていたナイフを抜き放つ。

 気丈にも化け物を睨みナイフを構える柴陽の姿は美しかった、彼女は化け物を倒して仲間を妹を救うことは出来るのだろうか?



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