第294話 赤い水

「ねえ、まずはボク達四人であの人を無効化したほうがよかったんじゃない?」

 並走しながら時雨が問い掛けてくる。一人残した影狩が心配なのだろう。

 まあ普通ならここは俺に任せて先に行けなんてしないで、とっとと四人がかりで秋津を無効化してしまった方が、結果的には早く、安全だ。

 だが秋津は話して分かったが夢に溺れる少女じゃ無い、あれでいて雌狐だ。ある意味時雨よりやりづらい相手。

「四人掛かりで挑んだら彼女は迷わず逃げる。四人で逃げたら迷わず背中から攻撃してくる。力量を見極めて目的と手段を間違えない奴は手強い」

 色々言っていたが秋津は時間を稼ぐのを第一にしている。俺をここで倒すことには拘っていない。更に言えば俺達四人を足止めしよう何て無謀なことも考えてない、よくよく己の分を弁えている。現に今一人足止めに残して逃げたら、此方を追撃しないでそれで良しとしている。元々一人、上手くいけば二人くらい足止めできればいいと思っていたのだろう。

 残りの俺達は黒田の部下や殻に任せる積もりなのだろう。無理して全てを台無しにしない手堅さは部下に欲しいくらいだ。

「影狩なら大丈夫だ。彼奴も分を弁えている奴だ。相手の真意をくみ取って適当に流すだろ。

 それよりも俺達だ。作戦通り俺が先行して突撃するから、時雨と天音は頃合いを見て突入してくれ」

「ねえそれも三人で突撃した方が良くない。罠に嵌まって全滅の可能性があるというなら、ボクだけでも君の護衛に付くよ」

 俺のことを心配してくれるとは嬉しいな。その優しさを独占したくなる。この気持ちも愛、愛という毒。

 時雨の護衛、これが通常時ならそう願いたい。いや寧ろ司令官たる俺は後ろでドンと座って時雨達を先に突入させるのがセオリーだろう。司令官が真っ先に突入するなど愚の骨頂。現場主義を履き違えている。

「今回に限ってはそれは愚策だな」

「そうなの?」

 時雨が小首を傾げる。

「全体攻撃役を突撃させて雑魚を一掃してからボスキラーを投入するのがセオリーだぜ」

「それゲームの話し、それに全体攻撃って君何をする気さ」

 意外、時雨もそういったゲームやるんだな。

「たまにはエリクサーをさっさと消費するのも悪くないぜ」

「ねえ、だから真面目な顔してゲームの話しない。

 えっちょっとそっちは崖!?」

 時雨達が段々と曲がっていく中俺は曲がらない。一直線に加速して崖に向かって行く。

 崖下二十メートル、そこに別荘はある。

 高い塀に囲まれていても崖から降下すれば無意味。尤もパラシュートすら開くか分からない微妙な高度を無事に下りられる装備があればだが、今の俺にそんなものを用意してあるわけが無い。

 だんだんと途切れた地面の先が迫ってくる。

 これはチキンレースじゃ無い。ブレーキ代わりに大地を力の限り蹴り上げる。

 俺は崖から羽ばたいた。


 ふわっとする一瞬の浮遊感。

 重力からも解き放たれた圧倒的開放感。

 命綱さえ無い真の自由は、いつ経験してもいい。


 目測通りぐんぐん迫ってくる別荘の屋根。このまま墜ちれば屋根の染みになるだけだが、それもいいかと陶酔に浸りそうになる。

 尤もこれだけの思いを抱えて一人逃げるわけにはいかない。

「超人気分も悪くなかったがここが勝負の時、出し惜しみはなしだ。

 さあ目覚めろ悪意、全ての人間を地獄に誘おう」

 言葉に反応して天見によって鎮められていた悪意が活性化する。

 活性化し俺から溢れ出ようとする悪意。

 俺はそれを押し止め丁寧に練り上げ水飴のようにどろりとするまで濃縮させていく。

 目前に迫る屋根。

「悪意、夢魘搔溺牢。

 さあ、終わらない悪夢に溺れるがいい」

 あのタワーマンションで見た悪意の濃縮された形態、赤い水が皮膚から汗のように湧き出て水滴上となって俺を包み込み、そのまま別荘に墜ちた。


 ベチャッ。


 トマトが潰れるような音が響く。

 水滴上となっていた赤い水は別荘とぶつかって衝撃で弾けて四方に跳んでいく。

 降り注がれる赤い雨粒。

 何だと見上げて赤い雨を受け止めた者達は、どろりと赤い水が皮膚に纏わり付いて染みこんで、悪夢の世界に墜ちていく。

 ほんの数秒前まで閑静な別荘地の一角は地獄に墜ちた。

 使用人も黒田の部下も外にいた者達は皆地に伏して地獄の苦しみに呻いている。

 その光景に時雨が顔を顰める。

「情けは無用ですよ」

「分かってるよ」

 天見の諭すような言葉に時雨は苛立つように応える。

「あの者達を苦しみから解放してあげたいのなら、早期に決着を付けることです」

「分かってる。

 ねえ、あれの中にボク達突入しないと行けないの?」

 もはや別荘を中心とした一帯に赤い水がブチ撒かれ地獄になっている。下手に踏み込めば時雨も使用人達のようになってしまう。

「そうらしいな。それは私が何とかする。

 兎に角私達はまずは別荘に着こう」

「そうだね」

 天見と時雨は崖の脇にある木々が生える坂を駆け下りていくのであった。



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