第260話 さよなら

 ドアを蹴破ってしまったことによる止まれない強襲。

 足を止めない俺の視界に飛び込んでくる汚いまな板ショー。

 ジャンヌに体重を掛けて覆い被さっている中年の汚い尻とV字に広げられたジャンヌの足。

 それらを食い入るように見て背を向けている男二人。

 音に驚き振り向いてくる顔が此方に向ききる前にその興奮した下半身を俺は後ろから全力で蹴り上げる。

「うごっ」

 白目と泡を吐いて崩れるのを確認、まずは一人と思う俺の視界の隅が陰る。

 反射で上がった左手のガードに痺れが走ったお返しに直ぐさま大ぶりのフックを振り回す。

 トンッとバックステップで躱され、フックは空振ったが視界は相手を捉えた。

 二十代後半、丸刈りで精悍さが際立つ。

 トン、トン、トンとキックボクシングのスタイルで構えリズムを取っている。

 闇雲に放ったフックにカウンターを合わせてこなかった時点で才能は凡夫、訓練と実戦で磨き上げてきた強さ。

 俺も訓練と実戦で強さを積み上げてきた凡夫。

 ならば天才怪物魔人との修羅場を潜り抜け実戦を積み重ねた俺が負けるわけがない。

 才は無くとも潜った修羅場が男を作る。

 時間は掛けられない、確固たる自信が体に突き動かされ積極的に仕掛けていく。

 キックボクシングに対して腰を低くしたアマレスの構えを取るやいなや相手に向かって行く。

 拙攻に狼狽でもするかと思えば、ニヤッと笑ったのが見えた。

 タックル対策は修練済みか。

 熟練者が低めギリギリなら俺のは浮いてしまった打ちごろコース、打ちごろの頭にカウンターで膝を合わせるのも後頭部に鉄槌を打ち下ろしをするもの思いのまま。二択を選び放題で待ち受ける相手の間合いに入る手前で俺はくるっと背を向け低空から伸び上がっていく後ろ回し蹴りを放つ。

「なっ」

 完全に意表を狙った技。

 凡人は想定し訓練し強くなる。想定と想定外の差は実戦経験が埋めてくれるが、俺の圧倒的実戦経験による想定外は時を奪う。

 カウンターを狙っていた相手は思考が停止し致命的に一瞬止まる。その一瞬の間に伸び上がる俺の蹴りが下腹部にめり込む。

「うごっ」

 放った回し蹴りを折り畳みつつ地に下ろせば軸にして側頭部を狙った上段回し蹴り。

 確かな手応えあり。

 サッカーボールのように吹っ飛ばされ壁に叩きつけられズルズルと落ちていく。

 よし。

 残心で倒したことを確認した俺がベットの方を向けば勝負は付いていた。

 ベットから落とされ床にぐにゃっと転がる中年とベットの上辛いことを押し込めるように腕で目を隠し横たわるジャンヌ。

 泣いているのか?

 間に合わなかった!?

 一瞬血が逆流しそうになったが、目をやった下半身は幸い脱がされた様子は無い。

 ギリギリ間に合った。

 だとしたらいい薬だ。

 この結果から分かる通りジャンヌがその気なら逃げることなど難しくはなかった。それをこんなカス共のペテンに引っ掛かって俺如きを助けようとしてこの様だ。この馬鹿女は本気で抵抗しない積もりだった、女にとって何よりも耐えがたいだろうに己の体が穢されても耐えるつもりだった。

 そんな精神力なんて糞食らえだっ。

 自己犠牲なんて自己満足で他人にとっては胸くそ悪い。

 馬鹿女がっ。

 俺はそんな重い十字架を背負って生きていけるほど強くは無いんだよ。

 俺の為に自分を犠牲にされても嬉しくない笑えない。

 俺のように自分優先で生きていればいいだよっ。

 それが適度な距離感だろうっ。

 俺の心の平穏の為にも自己犠牲はノーサンキュー。

 俺はベットの側まで行くと溢れ出し止まらない苛立ちを全てジャンヌにぶつける。

「あんまり俺を舐めるなっ。あんな稚拙な嘘に騙されやがって、俺があんな奴らにどうこうされるわけがないだろ。

 こういう時は自分の事だけを考えていればいいんだよ」

 言いたい放題言うだけ言った。相手の気持ちなんか何も考えてない俺の怒りを吐き出しただけ。

 俺の為に犠牲になろうとした女に掛ける優しい言葉なんか出てきやしない。

 何処か人とズレているいつもの俺の本心。

 いつものようにシミュレートしたいい人の仮面を被って優しい言葉でも吐けば良かったのだろうが、これでジャンヌともさよならだろう。

 いつものこと、こんな重たい女と縁が切れて良かったくらいだ。

 俺の無事も確認し縁も切れたんだ後はジャンヌ一人で大丈夫だろう。

 踵を返そうとした俺に目を隠していない方の腕が伸ばされる。

「起こして」

 この女にしては随分と弱々しい声。

 やはり女にとって未遂でもショックが大きいということか、だったらさっさと俺を見捨てればいいものを。

 仕方ない、こんな弱々しいジャンヌを放置はできない。

 少々お別れが伸びるがタクシーでフランス大使館までは送るかと俺は腕を伸ばし手を取った瞬間視界がひっくり返った。

「えっ!?」

 ベットにダイブ。

「そういう台詞は私に心配掛けないくらい強くなってから言いなさいな」

 その顔はしてやったりとした猫の顔、ベットに倒れる俺をジャンヌは見下ろしながら窘めるのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る