第121話 ヒーローは語らず
「果無 迫。
一等退魔官、しがない小役人さ」
街灯が演出するスポットライトに照らされて俺はベンチに座る犬走にちょっと気取って名乗る。名乗れば縁が沸き下手すれば情が深くなる。情の強そうな女だ、嫉妬の群衆に呑まれた俺を助けに来たり自分に一人なら助かるチャンスを逃したりして貰うのは計算が狂うし迷惑だからな。時雨以外はドライがいい。
だがもう二人とも助かったんだからいいだろう。
「犬走 火凜。仙翠律学園の生徒。
好きなことは陸上、これでも大会では結構な記録を残しているのよ」
ベンチに座る犬走は御姫様、俺を見上げて得意気に名乗る。さっきまで死にかけていた女とは思えないほどに屈託が無い笑顔。
「そうか」
仙翠律学園か、一度行ってみたいとは思っている。時雨やキョウのような旋律士という宝玉を隠すため多種多様な原石が集められ磨き上げている学園。彼女もまた旋律士という宝玉を隠すため集められた原石、いやもう輝きだした宝石であり、その輝きこそが嫉妬の対象となった訳か。
そして栄えある一等退魔官は嫉妬すらされないと、自虐的に小役人と言ってみたが第三者的に見ても所詮小役人なんだな。
「それにしても退魔官なんてご大層な役職名乗っている割には逃げるだけなんて大したことないのね」
大人なら遠慮して言えないようなことをズバリ言ってくれる。この年頃の娘さんは怖いものなし、無邪気な猫の如く相手の心が壊れてしまうまでじゃれてくる。
「こうマンガみたいにお札を投げるとか呪文を唱えるとか出来なかったの?」
そんなのは俺でも見たこと無い。だけど、この世界そういう事が出来る人間がいたとしても俺はもう驚かないんだろうな。むしろ旋律を奏でて世界の律に干渉して超常の力を発揮するよりはマンガ世代としては突飛な設定で無いと受け入れてしまう。
「残念ながら、小生は役所勤めの役人に過ぎないのさ。
退治するにはそういうことが出来る奴らを呼ぶ必要がある。俺の本来の仕事はその前調査と退治の立ち会いさ」
創作物では得てしてそういうポジションの人間は有能であるほどに嫌われる嫌な奴。そう考えれば俺にぴったりな仕事なのかも知れないが、今回もただの調査の積もりで来てまた命を落とし掛けた。
滅多に無いと触れ込みだったユガミ事件、それをこうも引き当てる俺の引きの良さ、何か対策が必要だな。
「じゃあ、これからそういうことが出来る人を呼ぶの?」
「普通ならな。ただ今回は退魔官としてで無く、恋人の時雨の依頼で事件の調査を善意でしていただけで仕事じゃないんだよな」
まあ実際にはデート二回の報酬を取り付けたから正確には純粋な善意では無いかも知れないが、時雨以外ならそもそもこんな仕事を引き受けない。やっぱり恋人の善意と言って差し支えないだろう。だがデート二回の報酬がある以上、立派な仕事の依頼とも言える。時雨に依頼されたのは調査して報告するまで、後は時雨の方で何とかするだろうと丸投げしても勝手に退治するだろうから問題は無い。
「うわっザッお役所って感じ」
「当たり前だ俺はザッお役人だからな。まあ知ってしまった以上報告せざる得ないのも役人の悲しいところだがな。報告したら十中八九、俺にお鉢が回ってくるな」
なんせ関東で一人しかいない退魔官だからな。
それでも俺は上司に報告する。報告しなかったメリットと報告しなかったことが後で発覚した場合のリスクを天秤に掛ければ当然のこと。そして時雨が動けば当然前埜の知ることに成り、俺が関与していたことなど直ぐバレる。そこから五津府まで繫がるかは運にも寄るが、そんな賭は俺はしない。
それにこの仕事転がしようではそんなにめんどくさくも無い。犠牲者は仙翠律学園の生徒、ならばこれは仙翠律学園での問題であり、しいては黒幕の旋律士の問題と言ってもいい。仕事の丸投げは無理でも、旋律士の斡旋くらいは融通して欲しいとうかさせてやる。その際には時雨を指名させて貰おう。時雨の美しい旋律を久しぶりに堪能するのも最近溜まったストレス発散にいいだろう。
「下っ端は大変ね」
一応警部級だから結構偉いんだが、部下がいないんじゃどんなに偉くても意味が無い。
「そうだよ、運動公園の封鎖に退魔士の手配と明日は目まぐるしく忙しくるな」
存外にもうお前に構っている暇は無いと匂わせる。
「ねえ」
犬走の決意の秘めた瞳が俺のを見詰め、嫌な予感に背中が寒気が走る。
「私に怪異を退治させて」
「それは無理だ。
君を危険に巻き込みたくないという立派な正義感からじゃ無い、どうあがいても不可能だからだ」
「対価は私の躰。貴方が魅力的だと言ったこの躰を好きにしていいわ」
この女、俺が駆け引きをしていると思っているのか? しぶってごねて報酬の釣り上げをするのは基本で時雨相手には散々したが、これはそういう話じゃ無い。
「前払いでもいいわ。このまま貴方の部屋にお持ち帰りしてもいい」
確かに俺も男、目の前に齧り付きたくなる青い果実を好きにしていいと言われ心が動かないわけでも無いが、力の無い俺にとって契約こそが命綱。した以上は敵とであろうが真摯に履行するのがポリシー。計画倒産を画策するような真似が出来るわけが無い。
「こんなものを持っている俺ですら怪異に対しては無力に等しい」
俺は懐から黒光りするコンバットマグナムを引き抜いて銃口を犬走に突きつけた。
怪異を倒せるのは旋律士または同じ魔の力のみ。そんなものない俺や犬走ではどうあがいても倒せない。
「銃口をこっちに向けないでよ」
本当に素人かこの女? 本物の銃口を突きつけられて冷静、左手で銃口を静かに脇に寄せる。まあ俺もそれに逆らいはしないが、それが隙だった。
銃を脇に向けられ俺の前面がガラ空きとなり、そのスペースに流石陸上のエリート見事なダッシュでベンチから飛び出し潜り込む。
「なっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!?」
首に腕を回され口を塞がれた。
彼女の柔らかく暖かい感触が唇に伝わってくる。
彼女の舌が俺の唇を掻き分け彼女の吐息が俺の肺に浸食し胸が熱くなり、命の息吹が俺と彼女で共有される。
「これは前払いよ」
ねっとりと吸い付いた唇を離して彼女は言う。
「要求した記憶は無い」
官僚らしい答弁は嫌になるが、契約を結ぶ前に対価を払う行為はサギに等しい。
「雪月さんに言いつけるわよ」
「時雨はそんなことくらいで嫉妬しない」
「そんなに寛容なの?」
それは勘違い。時雨は俺に寛容だから嫉妬しないじゃ無い、本命は別にいる契約恋人だから関心が無いから嫉妬しないが正しい。
っが彼女の誤解をわざわざ訂正もしない。勘違いしていて貰った方がいいからな。俺にだって多少の見栄がある。
「諦めろ」
「止めを刺させてとは言わないわ。せめて何かさせて、彼女の仇を討ちたいの。
部屋で大人しく待って報告を聞くだけ何てご免だわ」
俺は明言しなかったが彼女の親友がどうなったのか実際に体験して察したようだ。
まあ下手に生きているとありもしない希望に縋るよりは俺好みとは言えるが。
「凡俗がこの道に践み入るなら命が対価だと知れ」
「構わない。命をベットするわ」
「大した覚悟だ。惚れそうだぜ」
「じゃあ」
「だがその提案、俺に分が悪すぎる。
考えても見ろ。幾ら本人がいいと言ったところで俺は立場上お前を見捨てるわけにはいかない。凡俗で有る俺が自分の命だけで無くお前の命まで守らないといけないんだぞ。
それがどれほどの危険が想像出来ないのか?
お前は自己満足のため俺の命までベットする気か?」
自分の非力さを持って相手の良心に付け込んで脅迫する。我ながら嫌な奴だ。
「なら一夜とは言わない。事件が終わって私が生きていたら私を自由にしていいわ。この躰も命も人生も貴方に捧げるわ。
自惚れかも知れないけど、私にはそれだけの価値がある」
自惚れだよ、その報酬に俺の心は震えない。だが彼女のなりふり構わない覚悟には心が揮えた伝わった。
「そこまでか」
「この胸に滾る怒りを抱えたまま長く生きること何て出来ないわ。
こんなの抱えていたら私はきっと道を踏み外す」
この激しい気性、魔に目覚めるかもな。それはそれでやっかい。事前に危険を取り除くのが俺の信条か。
こんなもんで俺は俺を騙せるかと思った時には口を開いていた。
「その言葉忘れるな」
以外と俺もチョロい。
「なら」
「まずは体調を万全にしろ。
お前にはおいしい餌になって貰う」
ちっどうして俺はこう裏目裏目の貧乏くじを引いていく。
これで時雨への報告は出来なくなりデートはおじゃん。当然仙翠律学園を巻き込むことも出来なくなって、旋律士も自力で手配するしか無い。
よくあるヒーローものの様に名乗りもせず、多くを語らずそのまま去って行くの正解だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます