第56話 分岐点
「こっちだ」
音羽は待ち合わせ場所から少し歩いたビルの裏手へと回る。ビルとビルに夾まれた谷間の通り。表通りと違い閑散とし表通りから漏れるネオンでなんとかうっすらと物の影が見える程度の薄闇の中、普通のドアが浮かび上がっていた。
「有ると認識していれば捕らえるのは難しくないな」
音羽は独り言を呟きつつドアに向かっていき、俺と皇も続く。ドアの前まで来ると音羽は特に警戒することも無くノブに手を掛けた。
ドアがユガミというわけではないようだ。
ドアを開けるともわっとした若いフェロモンとアルコールのブレンド臭が香る空気が溢れ出してきた。
入口とホールの間に特に仕切りは無く、見通せるテニスコート二面分くらいスペースの三分の二ほどは一段高いステージになっていて、ネオンボールの点滅とラップ調の音楽にトリップして二十人ほどの若い者達が踊っている。中には上半身裸になっている少女までいる。
残りのスペースの奥にはバーカウンターがあり、立ち飲み用の4人用のシックな丸テーブルがランダムに並べられている中踊っていない若者達が酒で喉を潤し騒いでいる。
酒と音楽と狂躁、理性から俺から縁遠いものが揃っている空間。俺にとってはアウェーもいいところだな。
「取り敢えず席に着こう」
大人しく音羽に付いていき空いているテーブルに着いた。
「いらっしゃいませっ」
手慣れているのか席に着くなり黒服がさっと寄ってきた。
ここで入場料を取られるのか? こんな居心地の悪い所にわざわざ金を払わないといけないのかよ。
「俺はマティーニ。お前は」
此奴はこういう店こそホームなんだろうな。此奴だとて初めてだろうにメニューも無いのにスマートに注文をする。いきなり振られ初めての店でメニューも無いのに分かるかと文句を言いたいところだが、酒にさしたる興味も無ければ長居をするつもりも無い。さらっと流すことにした。
「同じので」
「其方のレディーは」
こんな店だからなのかいやに気取った黒服だ。
「私もマティーニで」
「では、少々お待ちください」
黒服は注文だけ取ると去って行く。ん?入場料を取らないのか、ならどうやってこの店は収益を上げているんだ?
「さて、遊びに来たとは言わないよな」
「当たり前だ」
俺の問いかけに音羽が心外そうに応える。
「そうなのか? こんな場所で遊ぶ以外何があるんだ」
皇が素朴に尋ねてくる。
「そうか、獲物を狙うには都合のいい場所だろ」
「ナンパか」
皇が俺で無く音羽の方を睨み付ける。
「巫山戯るな」
「お飲み物をお持ちしました」
音羽が言い返すのに割り込んで黒服が注文した飲み物を乗ってきた。黒服はきびきびした動作でカクテルをテーブルの上に置いていき、俺達のその間は口を閉ざす。
「では失礼します」
カクテルグラスに入った透明の液体。カクテルの帝王というわりには、他のカクテルと比べて色はおとなしめなんだな。だが無色透明だからこそ照明の光を写しだし煌めいている。
「まっ目出度くも無いが乾杯と行くか」
音羽がそう言いつつも杯を合わせること無くカクテルを飲む。
俺も折角なので飲んでみる。
舌を刺激するぴりっとした辛さと共に体から鎧を一つ脱ぎ去ったような感覚に襲われる。
なんだアルコールが強いというわけでも無いのに、まずいなこの開放感、浸れば裸の俺になるかも知れない。
こんな俺を知っている人間がいる前で、そんなもの晒したくない。
「だがこんなに人が多い場所でどんな怪異が出るんだ?」
俺は思考を引き締める為、さっきは皇のことを考慮して茶化したが構ってられない強引に話をシリアスに戻した。
「怪異?」
皇がマンガのような単語が出て声を漏らす。
「奇妙な男だな」
「どういう意味だ」
「普通の人間ならユガミなんかと関わりたくないと思う。あれは生命の危機もあるが、もっと大事な今まで自分が住んできた世界の根幹が揺らぐ存在だ。俺はてっきり時雨の尻を追っかけているだけの男だと思っていたんだがな」
「お前だってそうは言いつつユガミと関わり合う旋律士になっているじゃないか」
「好きで成ったわけじゃ無い。音羽の家に生まれた者の宿命だ」
音羽は誇るわけでも無く少し自虐的に言う。
「職業選択の自由は憲法で保証されているぜ」
実際は能力家柄などで好きな職業に就けるわけじゃ無いが、それでも挑戦だけは出来る。
「自由自由自由、と謳うが世の中そうは甘くないぜ。ユガミを放っておけばこの世界そのものが揺らいでいくぞ。人類が生まれて幾世紀、旋律士達が認識の歪みを正してきたからこそ、世界はここまで固まってきた。昔はもっと世界は曖昧だった、それこそ神話の世界さ」
「別にいいじゃないか」
嫌みでも無頼を気取っているわけでも無い、本音の素で答えてしまった。
「なに」
「案外世界はその方が面白いかも知れないぞ」
剣と魔法の世界、数多くの創作物が語るように人の憧れの世界となっている。物理法則と法が支配する世界は人にとって窮屈なのかもな。
「人が理不尽に死んでいく世界だぞ」
「今だって人は理不尽に死んでいくぞ。何が違う」
怪異に殺されなくたって、人は虐めで殺される病気で殺される交通事故で殺される社会に殺される。どんなに幸せだろうが最期に寿命に殺される。
「おっお前、本気で言っているのか?」
「世界を積極的に壊す気もないが、自分を犠牲にしてまで守る気もない。そうなったらなったでなんとかなるだろ」
現に神話の時代を人は生き抜いて今がある。
音羽は一時俺の目を覗き込み口を開く。
「強がりじゃ無いんだな。
俺にはそう考えることは出来ない。だからこそ、やらねばならぬのならと運命を受け入れた。
時雨もそうだぞ、お前に時雨の持つ運命を背負えるのか?」
「お前なら背負えるのかよ」
「少なくても同じ側には立っている」
「それじゃシーソーは傾いて二人揃って転落だぜ」
俺と音羽の間の空気が一気に張り詰める。
ちっ俺はこんな事をしに来たわけじゃないが、するならするで構わない。運命なんぞ背負った気になって選民を気取りやがって。俺がまるでお前等のおかげで生きていられるみたいじゃ無いか。冗談じゃ無い、俺はあの地獄を一人で切り抜け、俺は俺の力で生き抜いてきたんだ。
「なんだ二人は同じ女を取り合って争っていたのか?」
「そう言えば、お前がいたな。此奴が横恋慕してきているだけだ」
好き合ってはいないが俺と時雨は付き合っている、割り込んできているのは此奴。
「巫山戯るなっ。後から出て来たくせに」
「ふふっこれは確かに割り込んだ私が無粋だったな。
すまない」
皇が俺達二人に頭を下げた。
「別にいいが。お前は俺達に何の答えを求めたんだ?」
「私はそっちの色男と逆かな。私の家は古流武術の道場でな、私は幼い頃からその技を叩き込まれてきた。しかしな、そんな技極めたところでこの時代どう発揮する。私は極めた技を発揮できなく欲求不満さ。私は私が積み上げてきたものを発揮する場所が欲しいのさ」
決して叶わない望みを抱えた女の憂いの顔はどこか惹かれる。
古流武術の技を十全に発揮すると言うことは人を殺すということ。確かに現在社会じゃ無理。古流武術は伝統芸能として生きていくしか無いのが現実。
そういった意味では俺と音羽に何かを嗅ぎ取った嗅覚は中々鋭い女だ。ユガミ相手なら殺人剣を存分に振るっても問題にならない、まあ切れればだけどな。
「ふう~。ここでお前と顔を付き合わせていても息が詰まるだけだな。皇、踊りに行かないか、多少は発散できるぞ」
「そうだな。折角来たんだ少し踊ろう」
音羽の誘いにあっさり乗る皇、結局色かよ。
音羽と皇はカクテルの残りを飲み干すとステージの方に行ってしまい俺が独り残される。
俺は二口目のマティーニを飲む。
がやがやと周りの喧噪の壁が俺を隔絶していく。
集団にあってなお一人。それが俺。
俺が一人が醒めている。
ヘイ!ヘイ!ヘイ!
ラップの調子のいいリズム。
それに合わせステージ上の若者達は踊り狂う。
俺達人間。
俺達自由。
法も律も無い。
己を解放しようぜっ、Hey。
「いえい~」
踊っていた男が掛け声に合わせて拳を突き上げる。己を解放する拳が天向かって伸び上がり、釣られて体もぐにゃ~とそのまま伸び上がっていく。
「なっなんだ!?」
驚いてグラスを倒してしまった。
己の殻をぶち破れ、Hey!!
「ほうっ」
雄叫びを上げ胸の張った女の内側から肋ががばっと口を開けるように胸を破って飛び出してくる。
明らかに異常事態、なのに周り似る奴らはそんなこと気にすること無く躍るか酒を飲んで騒いでいる。
どういうことだ?
誰も異常だと思わないのか?
誰も異常と思わない中俺だけが異常と思うなら、俺が異常なのだろう?
「うわあああああ」
いた俺以外にこの事態を異常だと思っている奴が。男は腰を抜かし床にへたり込んでいる。
「お客様、狂気が足りませんね」
「へ?」
俺より先に黒服がへたり込む男に駆け寄った。黒服は遠目で見る限り理性がありそうだ。
「さあ、もっともっと飲んで狂気に浸りましょう」
「へっへやっやめ」
黒服は男を抑えその口に酒を無理矢理流し込む。
「ごぼごぼ」
「さあ、己を解放しましょう。
へいっ」
「へい」
酔った男は掛け声に合わせてブリッジした。
「さあもっと解放を」
「Hey!」
パタンという音と共に男は背中側に折りたたまれ床に転がったのを見て、俺は慌てて視線を外した。
拙い正気だと思われれば黒服が来る。
あの黒服は何者なんだ? 魔人? ユガミ? それこそ悪の秘密結社の戦闘員?
パッとステージを見ると音羽は気付いた様子も無く躍っている。
馬鹿が狂気に飲まれたか。お前は結局半人前だよ。
さてどうする?
このまま店から脱出すれば、時雨さんに集る虫を一匹苦も無く始末できる。
敵に情けは無用。
皇は可哀想だが、俺の忠告を聞かなかった時点で俺の知ったことじゃない。
自己責任だ。
キョウに関しては旋律具を渡した後音羽とは別れたと言えば問題ないだろう。
追求されても証拠は無く、拷問されても吐かない自信は俺にはある。
俺の視線は出口に向かう。
急がないと黒服達に俺が正気だとばれる。
何の問題は無い、騒ぎに紛れて気配を消して脱出だ。
なのに、なのに。
先程飲んだ時の音羽と皇の顔が脳裏にちらつく。
この俺が情に流されるというのか?
いったい俺はどうしたというのだ?
音羽と皇を助ける合理的理由はないはずだ。
なのに情の揺らぎが俺の決断を鈍らせる。
くそったれが。
「よ~し、俺も踊るぜっ」
俺は雄叫びを上げてステージに飛び込んでいった。
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